第十一話 緑天/夢の終わり
時は戻り。
紅天と別れた直後、加村にやって来た緑天。
「食いでの無い、しけた村よな」
闇に包まれた村を一望し腕を組む。
数多の水田に、稀に覗く民家。
加村は大きな集落ではないが、貧しくも無い。
村人もそれなりに居るし、月に一度は市も立つ。
だがより大きな街で暴れていた緑天だ。
此の程度では何を思う事も無いのだろう。
「先ずは、腹を満たさねばな……」
そして彼は、七日を掛けて村人達、三十八人を食い尽くした。
本来は五十を超える数が住んでいた村も、半数が死ねば皆逃げ出し空になる。
廃村と化した其処で、緑天は独り待ち続けた。
だが蓄えた食料とて、三十日も経てば無くなってしまう。
気晴らしに歌を歌うと、稀に旅人が迷い込んで彼の腹に収まった。
時に噂を聞きつけた坊主が村にやって来たが、矢張り彼の腹に収まった。
だが数が揃っていた訳でもない。
「腹が減ったな」
民家の上に寝転がり、月を眺め独り呟く。
今や食料は尽きた。
何時まで経とうが、紅天はやって来ない。
まあ来ないだろう。緑天は解っている。
「こうしているのにも飽きたぞ、馬鹿者め……」
こんな独白も何度目になろうか。
答えが返ってこない事にも、もう慣れてしまった。
緑天は彼に何が起きたのか、薄々ではあるが理解していた。
緑天は、全てを覚えている。
「俺は流石に、面影を感じようもなかったが……あの馬鹿め、肝心な事だけは忘れんかったか。忘れてしまえば楽になった物をよ……全く」
馬鹿は死んでも治らぬ――。
緑天は静かに笑う。
来ぬのなら、此処に居る必要も無い。
此れといって執着する物も無い緑天だ。
紅天との腐れ縁を此処で断ち、気ままに浮浪するも良し。
人を殺すのも、流石に飽いた。
腹は空くので喰らいはするが、積極的に殺そうとも思わぬ彼だ。
故に思う。
彼奴の墓でも作って、共に過ごすのも一興かと。
「――なんだ」
不意に彼方より喧騒が響いてくる。
起き上がり音を追えば、闇の中にゆらゆら、篝火が燃えていた。
こんな夜更けに?
もしや俺を討ちに来たか――と身構えるも、此方に繰る気配は無い。
待て。あの方向は――。
「あの馬鹿め。しくじったか?」
不穏な物を感じ、緑天は起き上がる。
そして音もなく駆けた。
目指す篝火へ近づく程に、忌々しい声が聞こえてくる。
間違いない。坊主である。
其れも尋常な数ではない。
闇に潜み覗き込めば、三十人は連なっている。
奴らの目的は何か。
其れを確かめる為、緑天は静かに跡をつけていく。
坊主共は寝ずに歩き通した。
そして明け方近くになった頃、遂に例の襤褸屋の近くまでやって来た。
或いは其処で曲がるやもしれぬ――と伺っていた緑天だったが。
「ぬ……」
しかし、彼らは曲がらず、真直ぐに歩み続けた。
「……思い過ごしであったか」
呟き、気が抜けた。
此れでもう、俺に拘る物も無くなった。
そう思った後に。
緑天は自分の額をぺちんと叩き、空を仰いだ。
「引きずられているのは、俺も同じであったかよ」
紅天の事を言ってはおれんな。
そう自嘲し、踵を返した彼の耳に。
「目指す村は直ぐ其処だ。憎き紅天を必ずや討ち取れ!」
「……何?」
不意に其れは飛び込んだ。
紅天?
此の先の村に、奴が居るというのか。
緑天は襤褸屋への細道を見る。
奴はあの先で娘と暮らしているのではなかったのか。
だから、俺の元へ来ないのではなかったのか。
緑天は駆けた。
襤褸屋に向かって、全力で駆けた。
「――此れは」
何時かと同じ、ではない。
前に見たよりも遥かに小屋は襤褸くなっていた。
凡そ人の気配など感じられぬ佇まいだ。
嫌な予感がした。
「紅天!!」
何時かと同じように蹴破ったその小屋の中には、誰も居ない。
紅天も、娘も、誰も居なかった。
小屋の中には埃が舞っている。
酷く煙たく、口を開いては居られぬ程だ。
数日なんて物ではない。
或いは一月以上、人が居なかったのではないか。
「……何処へ」
先の坊主共の言葉を思い出した。
紅天と娘が此処を棄て、新たな住処に身を移したのか。
確かに此処は辺鄙である。
娘が暮らすには不便な事も多かろう。
人が多く居る村へ移るのは至極、自然な事に思える。
こうなれば、村を確認せざるを得まい。
緑天は小屋を出て、視界の端に入った其れに気付く。
畑の手前に、大きな石が積まれている。
寄って見れば、石には名前が刻まれていた。
一つは『洛連』であり。
もう一つは『ちこ』である。
「……そうか」
緑天は何を思う事もなく、しゃがみ込んだ。
石に刻まれている名は、酷い物だった。
字を教えた彼でも失笑する程に、下手糞であった。
「娘は聡明であったのだな。母親に似たのだろう」
洛連の名は薄く、また字面が違う。
此れは娘が書いたのだろう。
「独りになったか、紅天よ」
緑天は立ち上がり、静かにその場を後にした。
村に向かって静かに歩く其の姿が、徐々に昇る朝日に消えていく。
次に体が見えた時にはきっと――其処には、紅天も居る事だろう。
「付き合うてやるぞ紅天。お前の悲しみが癒えるまでな……」
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