第二話 緑天/単角の美鬼


 二本角の鬼が真っ赤に染まった口を開く。


「よぉ緑天、こんなシケタ爺じゃあ、腹は膨れねぇなァ」


「当然だ紅天。我らは二人なのだぞ。そもそも俺の分が無い」


「腹は膨らませねえと、体に悪いよなァ」


「そうさな。苛立ちも募りさぞ悪かろうよ」


「じゃあ仕方ねェ、次を狩るとしようかァ」


 骨だらけになった男をひょいと捨て。紅天は勢い良く立ち上がった。


「村にはまだ行くなよ紅天」


 今にも走り出しそうな紅天を制し、緑天は歩み寄る。傍らに転がる死体には鼠がたかり始めていた。


「あァ? じゃあどこで喰えっつうんだ」


「途中にな、襤褸い小屋が在った」


 其の大きな口をくくっ、と持ち上げ、紅天は緑天へ歩み寄る。


「目敏いじゃねェの」


「煙が有り、灯りも有る。数は知れんが――まあ一匹は確実であろうよ」


 言って緑天はぐっと膝を折り、獣じみた跳躍をした。遅れて、同じように紅天が跳ぶ。


 闇の中、道無き道の枝を吹き飛ばしながら、二匹の妖物が駆け抜ける。目指すのは獣道の先に在る襤褸小屋。其処に居るであろう次の獲物である。


「高鳴る、高鳴るなァ! 次の獲物は肥えていれば良いが!」


「食い過ぎると豚になるぞ紅天。……いや、ふむ。『石当て鬼』なる巫山戯た名前に『豚』まで付けば、威厳を超えて箔が付くかもしれんな? 此れは愉快!」


 はっはっ、と笑う緑天に、腹を立てた紅天は小石を投げつけた。ぐぬ、と漏らして頭をさする緑天。思いの外、痛かったらしい。


「はっは! 見たことか! 石とて馬鹿に出来ねェ!」


「戯け。お前の馬鹿力で物を投げれば、何であっても馬鹿に出来んわ」


 其れで益々、気分を良くした紅天は呵呵呵と笑う。緑天は何を言っても無駄だと悟り、大きな溜め息を吐いた。


「着いたな。あれだ」


 街道からやや森に入る事、数分。周囲は突然、小屋を囲うように開けた。見れば井戸やら薪やらが在る。畑は不格好でやや荒れているが、十分に人の気配を感じさせた。


「……ああ、居るな」


 何より煙と灯りが有る。決定的だ。紅天は口やら目やらを引き伸ばす。


「おい紅天。小石は拾わんで良いのか」


 緑天は可笑しそうに、今すぐ家へ駆け出しそうな紅天へ問う。


「要らん。石は外だけで良い」


 ゆっくりと家へ歩いて行く紅天。

 足より体、体より口が前に出ている。目を凝らせば口元が光っていた。瞳には小屋しか映っていない。


「笑わせる。ただ我慢ならんだけであろうが」


 一笑に付し、緑天は近くの大木に跳ぶ。

 一番大きく頑丈な枝を選ぶと、其処にどかっと座り膝を立てた。獲物は全て紅天に譲り、自らは高みの見物をする様だ。


「緑天、感謝するぞ」


「相手を見ぬ感謝が何処に在る、阿呆め」


 緑天はケタケタ笑い幹にもたれた。


 鬼にとって兎角、浮世は生き易い。恰好の餌は呑気に歩き、何時でも食い放題。名刀に法力、野獣に妖物、万物総じて畏るるに足らず。


 不撓不屈、傲岸不遜なる金剛の化物――其れが"鬼"だ。乱世の地獄に在って呵々大笑。住み良い天地に、鼾も高鳴る。


「――故郷懐カシ酒モテ人喰エ。集エ同胞ォ焚ケヨ悲鳴ィ。歌イ狂エバ人消エルゥ。酒二酔エバ人消エルゥ。我ガ住マウハ極楽ナレバ、永久ノ悦楽ニ酔イ狂ゥ」


 緑天は月に美声を撫で付ける。誰もが褒めそやし、感嘆するであろう其の声は正に魔声である。人であれば大層な二枚目であろう貌と声は、其の怪しさのみにて妖物足りえる程だ。


「良い月だ。こんな夜には銘酒の一つも欲しい物だが。さて――」


 緩やかに視線を落とす。

 紅天が扉に手を掛けようとしていた。

 緑天の目が愉しげに歪む。


「聞こえる悲鳴は、如何様な音色か」


 腰に下げた酒杯を撫でつけながら、緑天は静かに双瞼を閉じた。彼の意識が耳へ注がれていく。


 爺ならば酒にありつけようから良し。

 娘でも、まあその悲鳴は心地よかろうから良し。


 大木の鬼は、藍の山影と満月を背負う。

 本来は恐れるべき鬼はしかし、此の時ばかりは絵になる程に美しかった。

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