おにとわらし

かんばあすと

第一話 各々の夕闇

 夏の夕刻。静かな山道を農夫が一人歩いていた。彼は作物を持って町に下り、稼いだ金で生活に必要なものを買う。


 今日は随分と調子も、運も良かった。いちゃもんをつけてくる男は居なかったし、商品を掠め取っていく子供もいなかった。何時もこうであればと、木々を見上げながら思う。


 全てはひもじさと不安から来るのだ。男はよくそう思った。今は平野に下れば大抵、腐臭が漂っている様な時分。威張り散らした男共が作物をかっさらい、其れを咎める坊主は斬り殺される。


 項垂れる様に農夫は谷の下を覗く。

 木々の隙間から自分の住処が見えた。


「もう一踏ん張りだ」


 背負った荷物を担ぎ直す。今は何時、何が起こるか解らない。何時死んでも、何時拐かされても、不思議ではない。盗賊に侍、破壊僧に物の怪。不幸の種など、其処らに沢山埋まっている。大切なのは其れを踏まない事だ。


 がささささささささ。


「ぅうっ?!」


 農夫の背後の草むらを、何かが駆け抜けた。体が凍りつく。けれど経験が僅かに頭を溶かした。


 野党、獣、或いは――。

 いや、どれにしても逃げるに限る。


「っ!」


 素早く理性を回復させた彼は、一気に走り出した。音の主が誰であれ何であれ、走り去るのが賢い選択。正体を知る必要なぞ、何処にも無いのだ。


 暗い山道を疾く走る。枝が体を打ち、葉が皮を裂いても止まらない。怯まない。荷物は正直邪魔だったが、大切な物が入っている。捨てられない。荷を捨てるのは最後の手段と、彼は固く決めたその途中……ふと、横にあった獣道が目に入る。


 ――よりにもよって縁起でもない。


 農夫は一つ毒づき、そして視線を戻した。

 こつん。


「いつっ!」


 固い何かが額に当たった。かなり痛い。石だとは思うが、こんな場所で当たる訳は無い筈。横が崖ならともかく、在るのは森だ。ならば枝だろう、と彼はそう結論し走る。


 こつん。

 こつん。


「た、たたっ!」


 また当たる。三度も受ければ、其れが枝でなく石だと理解はできた。しかしなぜ石が? 転がり落ちる傾斜も無いし、投げたにしては弱々しい。長く走り続けて、疲れていたからだろう。若干落ち着きを取り戻していた彼には今、考えを巡らせる余裕があった。


 こつん。


「……、上か?」


 まさか其れが彼の死期を早めるとも知らず。

 彼は、石の先を見上げてしまう。


「は、あ、あぁああ!」


 目に飛び込んだのは二つの月。

 欠けた下弦の月だ。

 やがて月に霧が掛かった。


 其の霧の中――月の輪郭には、汚らしい白 が

 一本、二本 三本、よ……


 ――ぐちやあ。


「……」


 ケタケタケタ。


 少ない肉を剥ぎ取り、喰らいながら二匹の鬼は愉快に笑う。片や二本角、額に刀傷を付け、襤褸布を申し訳程度に羽織る筋骨隆々の鬼。


 片や一本角、左目に刀傷をもつ、貴族の如き服を羽織る痩躯の鬼。


 彼らが巷で最恐最悪と噂される大鬼。

 紅天、緑天、であった。

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