05.手代木正太郎「幕末洋画異聞(試し読み版)」

 水戸脱藩浪士、狩谷又二郎は、その奇妙な先輩後輩に、目を見張っていた。

 慶応二年十月。幕末のことである。場所は横浜外国人居留地。英国人記者にして画家であるチャールズ・ワーグマン邸の一室であった。又二郎は廊下からその一室の内を眺める形で立っている。

 広々として板敷の西洋建築の部屋には、木製の画架が二脚並べられ、和紙とは異なる薄黄色い紙が板へと括りつけられている。画架の正面にある長卓には籠に林檎、葡萄、西洋梨などの幾種もの果物が盛られていた。

 ひとりの男が画架に向かい、木炭を用いて懸命にその卓上の果物を写生している。

 貧相なほど痩せた男だが、纏っている着物から察するに武士であろう。年の頃は三十代の後半から四十代の前半といったところか。体形に反し、鼻高く、果物を睨みつける目玉はぎょろりと大きくて、厳めしく、神経質そのものだ。ほんの少しの失言にも激昂しかねぬ、気難しげで狷介な雰囲気が満面に現われていた。

「この、ヘタクソがっ!」

 と、怒鳴った者がいた。写生していた中年男ではない。その声は笛の鳴るように澄んで美しく、少女のそれのごとくであった。中年男の真横に、十いくつかほどの小さな女童の姿がある。

 女童? いいや、違う。可憐に整った顔立ちは少女と言って差し支えないのだが、纏っている服は男ものである。白地に太い紺の縞袴、ほうばの下駄というバンカラ風。女童と見えたこの童は、まだ声変わりの始まらぬ少年だったのである。ただ、その可憐に光を湛える双眸、長い睫毛、雪を欺くようなきめ細かく白い肌、赤く濡れた唇は、少女のそれであった。絶世の美少年と言っていい。

 少年が怒鳴った相手は、写生する中年男であった。

「高橋! デッサンが狂ってんのがわかんねーのか? てめえのふたつの目玉は何のためについてやがる? この無意味な線はなんだ? それで、てめえ、ワーグマン先生の弟子のつもりか、このドヘタクソ野郎!」

 十ほどの子供が、四十前後と見えるいい中年男、それも武士をさっきから糞味噌に叱り続けているのだ。

 だからといって中年武士は、怒りもしなければ、不快を感じた風にすら見えない。少年の言葉にいちいち頷きを返し、見ているこっちが情けなくなるほどに、従順なのであった。

 ぽかんとして、この異様とも言える光景を眺めていた又二郎に背後から声がかかった。

「あれがワーグマン先生の一番弟子の五姓田ごせだ義松よしまつと二番弟子の高橋猪之いのすけさ」

 振り返れば、そこにのっそりと熊のように体格のいい大男が立っている。名を岸田吟香ぎんこう。英国人の日本語辞書編纂の手伝いや、外国新聞の翻訳などを行っている、ちょっとこの時代にしては風変りな人物だ。

「あの男は何ゆえ、腹を立てぬのでござるか?」

 又二郎は己の抱いた疑問を吟香へとぶつけてみた。

「先輩だからだよ」

「先輩? あの童が? まだ年端もゆかぬ……」

「ああ。義松は十一。猪之助は三十七。だが、ワーグマン先生に弟子入りしたのは義松が先だ。なら年なんて関係ねえのさ。猪之助のほうが後輩なんだから、何言われたって仕方ねえだろう」

 又二郎は改めて室内の中年武士高橋猪之助と、少年五姓田義松とを見る。義松の罵声はいよいよ苛烈さを極めているが、猪之助の少年にむける眼差しには憧憬とも賛美ともつかぬ光すら湛えられているのであった。

「あの高橋殿と、五姓田という童、いかような人物なのかお教え願えぬか?」

「いかよう? まあ、ふたりとも変わり者だなぁ……」と、吟香は首をひねり、「まあ、ここじゃあ、なんだ。どこかで飲みながらでも話そうじゃないか」

 吟香と又二郎は連れ立って、ワーグマン邸を出、異国情緒あふれる横浜の町を歩み始める。 

 歩きつつ、吟香はすでに話し始めていた。

「まず、あの高橋猪之助ってやつだけどな……」


          ♦♦♦

 時は二十年ほど前に遡る。ところは三番町佐野藩江戸上屋敷邸内の道場であった。

 この時、高橋猪之助は十八歳。日本人離れした鷲鼻に、ぎょろりと大きな目玉。普通にしていても仏頂面に見えてしまう異相といっていい面構えだ。そんな分別くさい顔立ちのくせに、体形は情けなく痩せている。

 そんな猪之助が神妙な面で道場の冷たい床板の上に正座していた。

 対座するのは猪之助とよく似た顔の老爺である。猪之助の祖父、高橋源五郎であった。年のわりに姿勢がよく、体付きががっしりしている。祖父源五郎は佐野藩剣術指南役・柳生新陰流免許皆伝の武芸者であった。

 今、この顔立ちのそっくりな孫と祖父が、同じ顔、同じ仏頂面で目線を合わせ無言のまま、じっとふたり、暗い道場内で向かい合っている。やがて、祖父の方から口を開いた。

「猪之助。破門だ」

 言われた猪之助だが、驚いた様子もなく相も変わらぬ仏頂面で「はい」と、面憎いほどあっさり応える。

「理由はわかっておろうな? 我が高橋家は武芸をもって藩にお仕えする家である。ゆくゆくは御世継様に剣の手ほどきをせねばならぬ使命がある。剣の道に怠りあってはならぬ。左様に思わぬか?」

「はい」

「で、あれば、何ゆえ、職務の合間に絵なんぞにうつつをぬかすか?」

 これに猪之助は答えない。やはり仏頂面のままである。源五郎は溜息を吐いた。

「かの宮本玄信は晩年、絵を描いておった。ゆえに画技もまた剣技に通ずと思い、わしはうぬに狩野洞庭殿の元で絵筆を学ぶことを許した。が、うぬはすぐに師を変えてくれと申しおったな」

「はい。洞庭先生では不満足でありましたゆえ」

「それよ。うぬはなんだ? 絵師か? 武士であろう? 何ゆえ、武芸を怠って絵なんぞに邁進するか?」

「怠っているとは思っておりませぬ」

「たわけっ!」

 ついに源五郎が怒鳴った。それでも猪之助の表情に変わりはない。

「怠っておるわ! 先程の稽古もまるでなっておらぬ! その情けなく痩せた脆弱な体はなんじゃっ! 絵の師が不満足ゆえ、変えてくれじゃと? 剣の師が不満足ゆえ変えてくれぐらいのことを申す気概はないのか!」

 源五郎は、すっくと立ち上がった。

「うぬにはほとほと呆れ果てたわ。腑抜けたうぬの剣で藩主様にお仕えすることなど到底できぬ! 剣術指南の御役目は誰かべつの者に継がせるわ! うぬは破門じゃ! 絵でもなんでも好きにやるがよかろうぞ!」

 怒鳴り散らすと、源五郎はどすどすと怒気を湛えた足音を鳴らし、道場を出ていった。

 ひとり、猪之助だけがぽつんと道場内に残される。

 石仏のごとく端座したまま、しばし微動だにしなかった猪之助の肩がふるふると震え始めた。一見して泣いているかと思えるその様子だが、顔を見ればそうではない。鷲鼻ぎょろ目の奇相が笑いをこらえて歪んでいた。

 内心で猪之助は快哉を叫んでいた。抑制せねば飛び上がりたい気分であった。

(破門? ようやく解放された! これで存分に絵が描ける! やった! やったぞ!)


 そもそも猪之助が初めて絵を描いたのは、生まれて僅か二歳の頃であるらしい。

「生まれて二歳、筆を把って人面を描く」と、回顧録にある。

 これを猪之助の画才の表れと見るべきかどうかは、判断が難しい。二歳の幼児でも筆さえ与えれば人面らしきものぐらい描くものである。そんなものを見て、猪之助の母親は「あたしの子って絵の天才なんじゃねーの?」と、思ったに違いない。そういうことを親に認められ、褒められれば子もまたその気になる。高橋猪之助が生涯に亘って絵の道を突き進んだのは、この幼少期の母にベタ褒めされた経験があったからなのではなかろうか。

 とにかく、猪之助は絵にはまった。家業である剣術を疎かにするほどにである。

 猪之助の絵に向ける情熱はいささか異常とも言えるほどで、藩務の僅かな暇を惜しんでは絵を描き、周囲から馬鹿なのではないかと思われるほどであった。剣道を破門にされてからは、もう水を得た魚のごとく画道に邁進したものである。きっとこのままいけばそれなりに名の知れた日本画家にでもなっていたことであろう。

 猪之助に転機が訪れるのは嘉永六年のことである。この年は、日本中の人間にとって衝撃的な年となった。

 ――浦賀に黒船来航。

 見慣れた帆船ではなく、真っ黒く馬鹿でかい蒸気船艦隊に日本人の誰もが度肝を抜かれた。

 浦賀に停泊した黒船を見物した吉田松陰などは、かなりの衝撃を受け、燃え立つものがあったらしく「聞くところによれば、彼らは来年、国書の回答を受け取りにくるということです。そのときにこそ、我が日本刀の切れ味をみせたいものであります」と、宮部鼎蔵に物騒な書簡など送っている。

 さて、高橋猪之助である。彼もまた衝撃を受けていた。とはいえ、彼の場合、ペリーが開国を迫っているだの、日本が海外から侵略を受けるかもしれないだのと、そういう衝撃ではない。

 彼の手には、一枚の紙切れが握られている。ぶるぶると震える手。ただでさえでかい目玉が倍ほどに見開かれ、手の内の紙面を凝視していた。絵である。日本の絵ではない。西洋の石版画であった。

 ペリーが日本国へ贈答品としてもたらしたものの中に石版画もあったらしいので、その一部がひょんな経緯で猪之助のもとまでやってきたのかもしれない。とりあえず「或る友人より洋製石版画を借観」と回顧録にある。

 描かれていたのは鳥の翼を生やした幼子であった。

女子おなご? いいや、男子おのごか? そ、それにしても……美しい)

 それがこの世ならぬ天上の存在であるということだけは察せられた。有翼の童の燦然と光放つがごとく美しい中性的な笑顔、漲らんばかりに溢れる崇高な雰囲気が、知識を超えてそれを猪之助に教えていたのである。

 一時、猪之助はただただ紙上の童のおかしがたい美貌に見惚れ、息をするのさえ忘れていた。が、ようやく我に返った時、次に猪之助を驚倒させたのは、その描画技術の巧みさである。

 線のみで描く日本画とはまるで異なった迫真の描画法。さながら現実をそのまま写し取ったかのようであった。

(み、見事な……。人の手が斯様なものを描きうるのか……?)

 猪之助は、その版画を見せてくれた「或る友人」を振り返り、興奮冷めやらぬ口調でこう言った。

「この絵をしばらく拙者にお貸し願えぬか? 決して借りパクなど下賤な真似は致すまいゆえ」

 と、言いつつも、すでに猪之助は掌中にある絵を己のものにしてしまうつもりになっている。

(このようなものを俺も描いてみたいぞ。いかにすれば斯様なものが描ける? ああ、教えてくれ!)

 猪之助は心中にて画中の童に語りかけた。嫋やかに微笑む画中の童の姿は、猪之助にとって何やら己に新たな画道を照らす芸術の守護神のごときものに思えていたのだった。

 日本中に攘夷の火種がくすぶり始めたこの年に、高橋猪之助の胸には、それとはまるで性質の異なる火がくすぶり始めていたのである。


(※この続きは12月30日発売の合同誌本編でお楽しみください)

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