〈9〉

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 とてもとても古い、昔話の中でも化石になりかけている、おとぎ話だ。ボクの身体はおろか、ヘレブや教会すら存在していないころの話だから、神話といってもいい。

 まだこの惑星固有の生物たちが自由を謳歌し大地を闊歩していた悠久の昔、汚染しつくした母星を捨てた人間たちが大きな宇宙船でこの惑星にやってきた。

 母星から持ち出した少しの種とたくさんの人間と膨大な知識を載せた船が何隻も着陸して、我が物顔で大地を焼き、町を作り、種を蒔いた。

 もっとも人間側のボクには住処を追われた在来種たちの嘆きも怨嗟の声も語られなかったから、その辺りは教会が作り上げた壮大かつ神聖な、そのくせ逆立ちして聞いたって胡散臭くてつまらない創世記と同じ内容になってしまう。

 だからこれは、それより少し後の話だ。


 移民船団も終盤に差し掛かったころ、一隻の船が到着した。その船は母星で絶滅してしまった生物たちの死体と情報を詰め込んだ研究船で、搭乗員は学者たちとその家族だけだった。

 長い旅路を冷凍睡眠で過ごしていた彼らは数時間もかけて覚醒すると、船外に広がる光景に釘付けになった。初めて目にする惑星の肌は茶色く荒れていて、それでも力強く天を目指す植物があちこちに生えていた。そのずっと先で築かれつつある人間の街並みに、歓喜の声を上げただろう。誰もが競って小さく丸い窓に顔を押し付けて船の気圧が落ちつくのを待っていた。早くハッチを開けて未知なる土地を踏みたい、と。

 だから、冷凍睡眠室に留まった学者には誰も気付かなかった。

 学者は一つのカプセルの前で立ち尽くしていた。

 そのカプセルには学者の娘が、学者の唯一の肉親が、冷たく凍ったまま蘇生することなく眠り続けていた。

 学者は新しい惑星に夢中になっている仲間たちが戻って来る前に、大急ぎで娘のカプセルを閉ざして再冷凍した。たとえ心臓が動いていなくても冷凍睡眠状態ならば身体の組織を保たれると考えたんだ。

 実際、娘の身体は腐らなかったし、きれいなままだった。

 学者は研究に没頭した。もともと母星で絶滅した生き物を蘇らせるための研究船だったから、娘を生き返らせることも簡単にできるはずだった。少なくとも、学者はそう信じていた。

 けれど、この惑星は彼らの母星ほど豊かじゃなかった。

 母星では容易に造りだせた薬品が、母星とは微妙に違う空気の比重のせいで精製できなかった。そもそも、母星では当たり前に手に入った物質が、この惑星に存在しなかった。ようやく造りあげた薬品が未知の物質に変異していたことすらあった。なにもかもが学者の予想に反していた。

 そのうち、予定にない研究を続ける学者に仲間たちが反発し始めた。母星の貴重な物資をなにに使っているんだと問い質し、詰り、何人もの仲間が学者の元を去って行った。

 それでも学者は研究内容を伏せ続けた。どこかでその研究が異常であることを理解していたのかもしれない。

 そうこうしている間に、たくさんの組織を採取され、度重なる温度変化に耐えきれなくなった娘の身体が傷み始めた。粘膜が白濁して緩み、内臓のどす黒い腐臭が漂い、重力に引かれた皮膚や筋肉が千切れて、乾いて茶色くなった鼻先や頬の骨が剥き出しになった。

 それでも学者は諦めなかった。

 だからきっと、神さまとやらが憐れんだのだろう。

 ある日、研究船の近くに掘られていた坑道で爆発事故が起きた。

 たくさんの作業員が爆風で吹き飛んで、何人かが地中に閉じ込められた。もちろん研究船のスタッフも救助に参加したし、学者だってその中にいた。

 掘ってもほっても出てくるのは人間の部品と死体だけという状態になって二日目、ようやく生き埋めになっていた作業員の一人が出てきた。驚くことに、左足の膝下が吹き飛んでいたのに自力で瓦礫を除けて出てきた。

 本当ならその時点で警戒するべきだったのに、感動したスタッフの一人が彼に抱きついてしまった。

 作業員はスタッフを強く抱き返し、その首筋を噛み切った。隣で呆然としているスタッフも腰が抜けた作業員の家族も、作業員は手当たり次第に食い漁った。

 我に返った仲間たちが作業員をつるはしやスコップで殴りかかったけれど、作業員は肩に突き刺さったつるはしもそのままに仲間に襲いかかった。

 簡単な話だ。作業員は怪我を治すためにエネルギーを補給する必要があった。そこに運よく、食料が自分を掘り出しに来てくれた。あとはもう、破壊と捕食と再生の繰り返しだ。

 結局、というよりも当然の結果だけど、小一時間もかけて人間を食い散らかした作業員は二本そろった足を見て満足そうに笑ったんだ。

 その一部始終を、学者が見ていた。

 どう考えたって好い結果にはなりっこないのに、よほど切羽詰まっていたんだろう。その学者は作業員を平和的に説得し、だまし討ち、捕獲して研究を開始した。

 原因物質はすぐに見つかった。

 作業員の腹に食い込んだ青い石を取り除いた瞬間、彼はただの死体になった。呼吸が止まり血が滞り、頬の血色が失われて数時間で蝋色になった。

 学者はすぐに鉱山から青い石を掘り出す作業にかかった。何時間も何日も何カ月も、学者は穴を掘り坑道を這いまわり、青い石を集めた。

 憑かれたように石を集めた学者は、けれどまだ賢明だった。

 すぐには娘に与えず、どこからか集めてきた死体に埋めてみたんだ。

 案の定、最初の一体は眼を開けた瞬間に自分自身の腕を食い千切り、食い尽くして死んでしまった。二体目は眼も開けなかった。三体目は石を埋め込んだところから腐り始めた。

 蘇生して、解剖して、再生させて、人間を食わせて――しばらくして食糧はなんでもいいことに気が付いたらしいけれど――もともと正気じゃなかった学者の研究はさらに狂気を孕んでいった。

 研究船が手狭になり母星から持ってきた物資が尽きると、学者は着陸したばかりの他の移民船を引っ張ってきて研究船の一部にした。

 母星の技術を載せた移民船を何隻もつなげて、研究船はいつしか立派な施設へと成長した。

 この惑星の乏しい資源で必死に新しい生活を形成した人々の反感なんかに気付くこともなく、研究船は青い石とそこから生まれるエネルギーを、そして関係する技術や知識を独占した。

 それがヘレブ社の始まりだ。


 つまり、とボクは結ぶ。

「ボクらはたった一人の女の子を生き返らせるためだけに造られた、本当の意味での実験体にすぎないんだよ」

 たっぷり五秒も、誰一人として口を開かなかった。重苦しい呼吸音だけが床の上を這いまわっている。ふおん、と遠くの方で三輪トラックのエンジン音がした。

「その女の子は」所長が掠れ声を押し出す。「どうなったの?」

「さあ? 生きているのか……じゃなかった、生き返ったのか死体のまま腐って逝ったのか、彼女の情報は昔話の中でしか語られていないからわからないよ。ボクはヘレブの成功例として見学者の案内役を仰せつかっていたから必要な情報は与えられていたし調べてもいたけれど、彼女のことは必要ないと思ったからね」

 不意に手を握られて視線を落とす。

 シュンの小さくて丸い手がボクの手首をつかんでいた。

 逃げないよ、と伝えるように指を絡める。つなぎ留めることを恐れるような柔らかい力加減でシュンの手が握り返してくれた。

 いつから起きていたんだろう、昔話を訊かれただろうか? 人を食い散らかす稀人の件はシュンに聞かせたことがなかったから動揺させてしまったかもしれない。

 そう思ったけれど、まどろみの余韻に瞬くシュンの瞳は妙な強さを帯びていた。乾いて白くなった唇が小さく蠢く。

「ボクが死んだら、生き返らせてくれる?」

「そんなことはしない」と言いたかった。そう答えるべきだとわかっているのに、冷たく切り離してしまうにはもう、ボクは誰かとつながる安らぎを知り過ぎていた。

 決して頷いたとは思われない首の角度を注意深く保って、ボクは微笑みを作る。

 シュンは安堵したように口元を綻ばせて生温い息を吐く。

 そのとき、ボクの嗅覚が異臭を捉えた。すでに活動を終えた肉体が無理矢理活性化させられている、不快な臭いだ。

 素早く立ち上がる。シュンがソファーから転がり落ちて床に這いつくばったけれど、構う余裕はなかった。

 銃把を握り直した朝月に、ボクは鋭く警告する。

「軍用探知犬」

 その場にいた全員が固まった。

 廊下を叩く軽快で、それ故に危険な爪音がもう近い。と思ったときにはガシガシと扉の下を引っ掻かれている。

 軍用探知犬が町に戻って来た。

 もう審問官の列車はないということだ。なら、ホタルはどうなったのだろう。

 焦りに任せてシュンを抱き上げる。窓は、開いている。二階からならば飛び降りたって大した損傷にはならない。

 そう判断した一歩を踏み出すより早く、朝月がボクの腕をつかんだ。

 所長を押し退けるように大きなデスクを廻り込み椅子を脇に退けると床板を跳ね上げる。

 ぽっかりとシュンの背丈ほどの深さの穴があった。

 朝月はシュンとボクをその狭苦しい空間に押し込めると、なんの説明もなく床板を戻してしまった。昼に馴染みかけていた視界が閉ざされる。

 瞼を下ろして闇に親しむボクの耳に、扉の開く音が届いた。

「また、あなた?」所長の尖った声が頭上で響く。「いい加減に『待て』を覚えさせてちょうだい。何度も扉をキズものにされちゃかなわないわ」

「いい加減に本性を現してほしいね」

 低い男の声が揶揄で応じるのが聞こえた。語尾に硬質で重たい音が重なる。

 銃の撃鉄を起こす音だ。

 ぎょっとして眼を開くと、床板の隙間から場違いに美しく光の帯が射し込んでいるのが見えた。間近に息衝くシュンの丸い瞳が不安を宿したまま上目に光の先を窺っている。

「本性もなにも、アタシは人間よ。どう証明すれば信じてくれるの?」

 所長のヒールがボクのすぐ耳元で攻撃的に鳴った。姿は見えない。朝月やもう一人の男の姿も床板に邪魔されて影しかわからなかった。

 ただ一人、戸口に立った軍人と軍用探知犬だけが覗いている。銃は持っていない。あの音を立てたのは軍人じゃなかった、その事実にボクは少しだけ安堵する。

 トタッ、と軍人の足元に駆け戻る犬の横顔が見えた。両眼の周りにある垂れた楕円形の漆黒が間抜けな印象を与える茶色い探知犬だ。名前は、ラストだったように思う。ボクらの生活圏の端を掠める巡回経路をとっていたはずだから直接顔を合わせたことはなかったけれど、追尾されかけて危ういところでまいたことなら何度かあった。

 首輪から垂れているはずの鎖は、見えない。唸り声の他に音がしないので、初めから拘束されていないのかもしれない。軍規違反だけれど、ままあることだ。

「証明って言われてもなぁ」軍人が短く笑った。「探知犬が吠える以上の証明があるのか?」

「だから、あなたたちの無茶な拷問も受けてあげたじゃない。お陰で二カ月も指が伸ばせなかったわ」

「体に埋めてるとは限らないからな、どっかに隠し持ってるんじゃないか? 今日は見慣れない仲間もいるじゃないか。稀石の取引現場」

「だったら出世モノね」嗤いの抑揚で所長は軍人の言葉をさらう。「でも、残念だけど彼は仕事の臨時手伝いよ」

「ネズミのドブ浚いか」

「確かに下水道の掃除を依頼されることもあるわね。でも、アタシたちみたいな掃除屋のおかげで快適な生活が送れているということを忘れないでちょうだい」

「説教かよ」

「真実よ」

 軍人が苛立ったように手首を翻した。ラストが軽快な足取りで、飢えた声音を喉で燻らせながら事務所の中に踏み入ってくる。

 再び鋭い銃の音が響いた。けれど、軍人は気付いていないようだ。

 シュンの手を握る。冷たい手だ。血が滞り始めた死体のように骨が軋んでいる。でも本当に強張っているのはどちらの手だろう。

 濁音混じりの鼻息が近付いてくる。

 所長は止めない。

 朝月ももう一人の男も、もちろんけしかけた軍人だって腕を組んでラストが部屋中を嗅ぎまわる様を眺めている。

 摩耗して黄ばんだラストの爪が床板の隙間からひょこひょこと出入りを繰り返す。もう三歩でボクらの足先に触れる。

 そう思ったとき、不意にラストの歩みが止まった。わふ、と大量の空気を含んだ間抜けな一声を上げて戸口へと戻って行く。

「なんだラスト、今日も寄り道か」

 床板を振るわせるほど大きいのに、敵意の感じられない男の声が響いた。ラストを眺めていた軍人が慌てた様子で振り返る。

 所長よりも上背のある軍人が足元を跳ねまわるラストの頭をつかんで力強く、頭をもぎ取ろうとしているのかと思うほど激しく撫でまわしていた。パタパタとラストの耳が空を打つ音がする。

「今日も元気に、アタシが気に食わないそうよ。なんとかしてちょうだい、隊長」

「悪いなぁ、掃除屋。最近、あっちこっちに稀石を食ったネズミが這いまわってるだろう。おかげでこいつも気の休まるときがないんだ」

「昨日、下水道に入ったのよ。きっとネズミの臭いがとれてないのね」

「商売繁盛でなによりじゃないか。新しい男手も増えて」

「全然間に合ってないわ。下水道なんか町中に張り巡らされてるのよ。遭難したら助けてくれる? 隊長さん」

 ふふ、と笑った所長は平然と軍人たちにコーヒーを、ラストにはクッキーを勧める。足の下にボクらを隠しているのに。

 優秀なラストはクッキーなんかには見向きもせず、床板の隙間に鼻先を突っ込んで、ぐふぐふと鼻を鳴らす。きっと彼には愚鈍な人間が自分の主人だという事実が不満だったのだろう。

 死臭を孕んだラストの息遣いと軍人たちの平和な世間話を聞きながらボクらは強く、互いの手に縋って体を縮める。


 朝月が床板を上げてくれたのは、軍人たちを送り出す所長の足音が廊下に消えてからだった。

 朝月に引き上げられながら、ボクは彼の首筋から立ち昇る汗と砂と甘苦いコーヒーの香りに顔を埋める。

「ボクらが来たせい?」

「いや、所長に反応して何度か踏み込まれてる」

 囮としてはちょうどいいだろう、と唇を歪めた朝月はボクの膝についた砂埃を払うと、軽々とシュンを抱き上げた。シャツの上からでも鍛えられた腕の筋肉がわかった。

 ボクは自分の腕を擦る。

 包帯でごわついた腕は頼りなく垂れ下がっていて、筋肉を痛める気で力を出さなければシュンを抱えて逃げることは難しいだろう。

 ボクは稀人としての再生能力に頼らなければ生きていけない。その治癒力にしたって、エネルギーの余剰がなければ発動しない。

 人間たちはボクらを恐れているけれど、どう考えたって稀人に人間より勝っている点があるとは思えない。

 ふとデスクの引出が半分だけ開いているのに気付く。

 暗いその口の中に、大きな回転式拳銃が待っていた。あの音はここから響いていたらしい。所長のものだろう。

 ボクは彼女が軍人と連れだって消えた扉を見る。上着すら羽織っていない彼女は、武器の一つも持たずに軍人たちといるのだ。その腕は、軍用探知犬の獲物なのに。

「拷問って?」

 シュンを引き上げていた朝月が顔だけで振り返った。

 自分の力で足を持ち上げたシュンは唇を尖らせて、それでも礼儀正しく「ありがとう」と呟いた。

 ボクの腰に抱きついてきたシュンのつむじを見下ろして、「所長が」と頭上で交わされていた不穏な話題を問う。

「拷問を受けて証明したって、なに?」

「お前も受ければいい」まだ片手を上着の中に入れて、男が吐き捨てる。「小指の爪から順番に剥がして再生速度を調べるんだ」

「君が見たいと言うなら、受けてあげるよ。今さら爪くらいで怯えたりしない。ヘレブでは脚だって斬り落とされていたんだから」

 男は怯んだように少しだけ眼を見開いた。

「そんなことより、所長の腕は再生しないの?」

「俺の知る限り」朝月が床板を戻しながら答えてくれる。「腕も身体も、傷の再生は人間と同じ速度だ」

「軍が拷問で稀人を判別するなんて思わなかった。『解放の子供たち』なら、まだ納得できるけど」

「俺たちは稀人しか殺さない」

 男のセリフに思わず笑いそうになった。けれど、朝月が顔を伏せていることに気が付いて、呑み込む。彼の表情だけで悟ってしまったから。

 朝月は稀人を――ボクの仲間を殺したことがある。

 そっと息を吐いて笑いの欠片を吹き消した。同時にボク自身の感情にも蓋をする。

「ボクが拷問されなかったのは、エンヴィーのお陰だったわけだ」

 ボクは傷痕の消えた腕をさする。たった一日前までそこに刻まれていたかさぶたが、なぜか懐かしい。

 人間たちはボクらが傷の再生速度をコントロールできないと思い込んでいる。だからこそ、ボクは胎内に蓄積するエネルギー量を調節してあの傷を残していたんだ。

 けれど所長は、石の心臓を持たない不完全な稀人はどうなのだろう? 彼女の腕は稀人のものだ。その腕に蓄積されている稀石が融け込んだ彼女の血を、稀石がなければ朽ちていたはずの死肉の臭いを、ボクらは嗅ぎわける。

 だからこそ疑問を抱く。その腕から全ての稀石が流れ出してしまったら、彼女の腕を斬り落としてしまったら、彼女はどうなるのだろう、と。

「君たちの結論では、所長は人間でボクは稀人なんだね」

「どういう意味だ?」男が不愉快そうに顔を歪めた。

「君は……えっと」

ジオ

 ボクが言い淀んだ理由を正確に理解した朝月が、紹介とも独り言ともつかない抑揚で教えてくれる。

「焦・アーサー。西部ブロックからの応援だ」

「ありがとう」と頷いてから、焦を見る。

 弱点を知られた装甲砲撃車のように、彼は体を斜めにして一歩下がった。まるで名前さえ知られなければボクを圧倒できると思っていたように。

「焦は所長を人間だと、君たちの仲間だと信じているの?」

「そうじゃないなら、なんだってんだ」

 反射的に口を開きかけて、やめた。ここで彼女の正体を暴露してしまうことがボクの利益になるだろうか? なりはしない。かえってホタルを助ける足掛かりを失うことになりかねない。だから、ボクは別の言葉を口にする。

「所長はボクに協力してくれると言った。そんな人を、君は信用するの?」

「理由があるんだろう」

「人間の子供が教会に拘束された」朝月が低い声で告げる。「こいつと一緒にいた子だ。教会が見逃すとは思えない」

 焦が舌打ちをした。「汚い手を」と唾棄したのは、教会に対してだろう。けれど、彼の眼はボクを責めている。きっと、稀人のくせに人間を連れ回しているボクの責任を問いたいのだろう。

「ボクが一緒にいようって言ったんだ!」唐突にシュンが叫んだ。「ホタルもボクも、もうツキ姉しかいないんだ。三人だけの家族なんだ。お願いだから」

 ホタルを助けて、という懇願が掠れた嗚咽に紛れてばらばらと解けていく。

 全員の視線がその言葉の破片を追うようだ。焦の居心地の悪そうな呼吸も、朝月の痛みに耐えているような眉間のしわも、後悔に痛むボクの拍動も、その全てがシュンの悲鳴の前では無力だった。

「ママが死んじゃったのも、ホタルの病気が治らないのも、全部ボクのせいなんだ。心臓が欲しいのなら、ボクの心臓をとればいい。だから、ツキ姉とホタルをいじめないで」

「別にいじめてるわけじゃ」

 ない、と続くはずの焦の声は、廊下から押し寄せた人の喧騒にさらわれた。

 階段を下りてくる『解放の子供たち』の談笑と所長の声が、ボクらの間に漂う沈痛さを砕いていく。

「こいつの件は」朝月が焦の肩をそっと叩く。「俺が所長から一任されてる。お前の言い分も、理解してるつもりだ」

「どうだか」

「生半可な覚悟でこんなところにくるわけないだろ」

 そう言った朝月の声は部屋に入って来たヒナコたちの声に紛れていたけれど、長いボクの時間の中で耳にした一番寂しい響きを帯びていた。

 あのとき、ヘレブであんな別れ方をしたから、ボクらはどこか食い違ったままなのかもしれない。

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