夕立の屋台にコスモスは咲く
『よだかの星』。
容姿が醜い「よだか」は美しい鳥達の兄でありながら、鳥の仲間からは忌み嫌われ一人きりだった。同じ名前を持つ「
やがて居場所を無くした「よだか」はその命を懸け、精一杯に飛び回り自らの命を燃やし続けた。そしていつしか青白く燃え上がる「よだかの星」となり、今でも燃える存在として闇夜を照らしている。
「あら、いらっしゃい。いよいよじゃない、本番。今日は深酒しないようにね」
「言われなくても分かってらぁ、
「だから“さち子”だって言ってんでしょうが!」
「ところで、あの“二人”は来るのかい?」
「最近はあんまりね。バイト終わりに一杯引っ掛けるくらいかしら? まぁ小料理屋でアルバイトも始めたことみたいだし。ほら、稽古もあるんでしょう? あ、今日は牛スジあるわよ」
「おお、珍しいな。関東にはない具材だ。あと熱燗も頼む」
「その二人が入れろ入れろってうるさいのよ。関西では普通なのよね、おでんに牛スジは」
「ああ確か
「そういや、
「夕立って、まだ早いだろう。夏はまだ先だ」
「でも、もう五月も下旬。それに今日は暖かかったから。もうすぐ梅雨よ」
「嫌いな季節だ」
そう、神木が死んだのは丁度今日みたいな雨が降っている、梅雨の季節だった。
それでも俺は大友に勝とうとした。
「……まだ後悔しているのかしら?」
「してるからこそ、まだこうやって情けなくおめおめとこの世界にいる」
「それは
「俺を“英介”と一緒にするな」
「男三人に女一人。そりゃあ取り合いになるわよ。それに百合ちゃん美人だし」
「俺はちげーよ」
「あら、本当かしら? 当時、誰がどう見たって津田さんは百合ちゃんに恋してたわよ」
「だからちげーよ、俺と神木の間にはもっと複雑で、こうなんというか」
「それを恋っていうのよ」
「……そうだとしたら世知辛いなぁ。最初で最後の初恋だ」
「誰もが最初はそう思うわ。熱燗、おかわりいる?」
「ああ頼む、さち子さん」
平成十一年の五月二十九日。日中降り注いだ陽射しによって暖められたアスファルトは、微かに夏の匂いを感じさせていた。日が暮れると少し肌寒く、雨が降った事により丁度良い熱燗を飲む気温となっている。まだ少し、上着がないと肌寒い。そんな気温にそんな季節。この雨は恐らく春の終わりを告げ、夏の始まりを示している。
「そういえば、演目は宮沢賢治のよだかの星なんですってねぇ。本当に懲りない男」
「だがあいつには持って来いの演目だ。それに当の本人も自分の名前にコンプレックスを抱えている。男なのに女みたいな名前だってな」
「顔は可愛い顔してるじゃない、いっそのこと女の子になってしまえばいいのに」
「……あいつの心は男だよ。それに誰もがさち子さんみたいに強いとは限らないだろう?」
「それ、嫌味かしら? 強くなんてないわ……ただ必死に誤魔化してるだけよ。“自分自身を”」
「なぁ、もう一度やらねぇか? “あの時”みたいによ。前に言ったろ、座長も待ってるって」
「“彼”……元気してる?」
「ああ、元気にやっているよ。皆の精神的な支えとなっているし、リーダーには持ってこいだな。相変わらず実家からはりんご農園を継げと催促が来るらしいが」
「継げばいいのにね。そうしたら年収なんて軽く何千万よ」
「それでも舞台役者を続けたいんだろう」
「それでも、きっと未だに演技はからきしでしょう……」
「五郎丸さんと二人でやれば無敵だったけどな。懐かしいなぁ、あの日々が」
「場末のスナックに、寂れたバー。小汚くて狭い居酒屋。よく営業回りしてたわねぇ。あなたの映画製作費用を稼ぐために」
「まだ終わっちゃあいねぇさ」
「珍しく心酔してるじゃない、
「玄爺もミリンも認めた。他の奴等もな。表現力はまだないし、演技力の点で言えば座長よりひどい。それに活舌も悪いし、鼻濁音も無声音もできちゃいねぇ。それでもあいつは舞台役者に求められる物を持っている。誰もが羨む物を」
「“
「それも関係ある。ようは、生まれ持っての
「それって」
「ああ。間違いなく『垂水さくら』は【天衣無縫の役者】だ――」
1999年――平成11年の5月30日。大都会東京のこれまた大都会の新宿の一角にある『スペース105劇場』にて、いよいよ『劇団夕暮れ突撃隊』の公演が始まろうとしていた。俺にとっては初めての本番で初めての舞台である。それも何故かの主役。 え? 役者経験はだって? まだ始めて一か月少しのペーペーですよ。そうだよ、そうだよ、未だに右も左も分かりませーん。上座も下座も分かりませーん。台本も完璧に頭に入っておりませんとも。大体ですよ、話が急だと思いませんか。急に入れと言われ、急に本番に出ろと言われ、おまけに主役ですよ。ええ、頭が可笑しいんですよこの劇団の人達は。
しかしながらです。この状況に馴染んでいる俺も、きっと頭が可笑しいのでしょう。いいですよいいですよ、全ては己の野望の為にです。俺は一流の役者となって、有名になって、お金持ちになって、女にモテモテになって、そしてあの
それに少し不思議なんです。かなり緊張するかと思えばそうでもなく、むしろ早く舞台が始まってほしいと思っている自分がいます。この感覚は人生で初めての感覚であり、何とも言い難いものでした。
「よーう、さくら。緊張してっかぁ?」
「ミリンさん。それがあんまり緊張はしていないみたいで」
「ほう、生意気な。まだ台詞も覚えていないくせに」
「いや、緊張はしているんですよ。ただ……それと同時に早く舞台に立ちたいと言うか、何ていうか……体が震えるんです」
「やっぱ生意気だな、さくらは。それはな武者震いってやつだ。俺達舞台役者は常にそれを感じて、そう思ってんのさ。いつもとは違う自分を、こんなはずではなかった自分を、本当の自分を、自分ではない自分を……誰もが抱える“自己のしがらみ”。それの解放だ。謂うならば、心の解放だな」
「それ、俺も思いました。演技って自分からの解放ですよね。自分が決めた自分を否定する為の唯一無二のもの」
「帰る場所だけは残しとけよ。じゃないと帰れなくなる」
「帰る場所とは?」
「自分だよ。それで自己を見失ってしまった役者は山ほどいる。麻薬みたいなもんだ。実際出るからな、脳内麻薬が。“自分を否定して誰かになる”ってのはぁ、そういう事って覚えとけ」
舞台袖で待機していた俺達に、開演十五分前だと
「受付は大変だったよ、座長。今度からはアルバイトか誰か雇わないと。照明の準備が出来ないよ」。山北さんはそうぶつくさと言っていた。ちなみにこの舞台で山北さんは出演しない。お金もなく、人も足りないこの劇団は毎回少数で回しているらしい。舞台に出て、裏方をやって、また舞台に出てなんてのは日常茶飯事らしかった。だから大体みんな裏方でも役者でも何でも出来る。
「ごめんごめん、山北君。私もここまでとは考えていなくて。想像以上だよ……
「いあや、だから言いましたよね! その幸子さんいないんですよね!? 出てきたのが俺だったら落胆するのでは!?」
「ここまでの理由はそこまでじゃねーよ、さくら」
「はい、それはどーゆう事かな
「だから少年じゃねぇ!」
「津田さんの身許がバレてますよね。そりゃあ続けてたらこうなるとは思っていたけれど」
「
「はいはい、それはどーゆう事でありますか座長さぁん、
「津田さんの身許って、なんだ?」
「あれ? 津田さん言ってなかったのか、この二人に」
「……言ってねぇ。というか、ミリン。お前がもう口を滑らしてるもんかと。玄爺、永井の姿は? あったか?」
「ああ、あったよ。今度の大河の“主役級”を引き連れて」
「やっぱ“来やがったか”。笑いに来たか、それとも何か盗むつもりか……」
「ちょいちょいまてーい! 玄爺さん、いま今度の大河の主役級って言ったか?」
「永井……永井ってあの
「おおーなんだ
「知ってるも何も、有名な脚本家じゃねーか。次の大河の脚本も永井英介だろ、たしか」
「だぁーかぁーらぁー、大河の主役ってあれか、
「大友映画の一番の功労者。なんであの永井英介がここに?」
「大友映画なら、俺も知ってるから! 映画好きだから見てたから! それより玄爺ぃ、答えてくれよぉ、無口になんなよぉ」
「……もう隠しても意味はねぇか。昔な、作ってたんだよ」
「何を?」
「新菜は来てたのかよぉ、どうなんだよぉ」
「映画を」
「永井英介とですか?」
「ああ。大学の映画研究会から一緒でな」
「それって……俺、知ってますよ。昔、永井英介の自伝を読んだ。大友勝利、永井英介、そして井崎玄瑞。その三人から『
「おお、
「その井崎が、俺だよ」
「はい?」
「マジで言ってますか、津田さん」
「俺は役者じゃねぇ、嘘は吐かない」
「おいおいおい、冗談はダメだよー津田のおっさん。俺はな、芝居は知らないけど映画は知ってんだよ。特に大友映画はな。あんたが“あの井崎玄瑞”だというならば、この俺が気付かないはずがないだろう」
「まぁ、さくらなら気付かないだろうな。どうもありがとう、屋台のおでん屋で俺達の映画を語ってくれて」
「えっ、まじなの」
「……皆さんは知っていたのですか」
「まぁな。俺も加藤さんも最初は知らなかったけど」
「元々ね、大友監督が亡くなったあとに、私が誘ったんだよ。あ、ちなみに私も大友映画に出た事があるんだよ。……エキストラだったけど」
「それはもう、出たって言わないですよ座長! だめだ、色々とあり過ぎて頭の整理がつかない」
「つくだろ、垂水。この劇団は間違いなく凄い劇団だ……俺は昔、大友映画で救われたんだよマジで。これはやるっきゃねー。やるしかねー、マジで」
「そうだぜ、大全。俺達はやるしかない。這い上がるしかねーからよ。井崎玄瑞という男を知ってるなら、お前なら、この意味が分かるだろう?」
「分かりますよ、ミリンさん。嘗て、映画界は大友監督亡きあとに井崎玄瑞を追放した。完成した映画があったはずなのに」
「よし、分かった。とりあえず落ち着こう。この話は本番が終わってからにしよう。とにかくだ、とにかくだよ。その話が本当だと仮定して、永井英介が来てるならばだ。新菜も来ているという事になる。だったらだ。だったら、大河主役の『
「いや、もう撮影はじまってるし無理だろ。下手したら終わってる」
「いまさら変えたら、制作側がスポンサーに違約金とか払わんといけないし。無理だよさくら君」
「あはは、本当にぶれねぇなぁ、さくらは。好きだぜ俺は」
「3年後くらいに変えたら? その目標。あ、そろそろ5分前だ。ではでは、開演のご挨拶といきますか。行ってきます」
「お願いします、藤堂君」
「さくら、大全、私語はもう慎めよ。もう間もなく本番だ。行くぞ……この公演、“俺達の未来”が掛かっている」
「良い事を言いますね、加藤さんは」
やがて客席の照明が落ち、劇場は漆黒の闇となる。何も見えない中、俺はこの感覚が初めての感覚ではないと思い出す。そう、あれだ。小学校の学芸会を思い出す。元来、人前に出るのは苦手だった俺なはずだが、発表当日になると胸が高鳴ったのを思い出す。そうなんだよ、苦手なだけで実は好きだったんだよ、人前に出るのは。
きっと男子ならば誰もが憧れる変身願望。俺はずっと【ヒーロー】になりたかったんだ。そして真のヒーローは、いつだって遅れてやってきやがる。そう、正にこの俺の事だ。待たせたな、今から行ってやるよ。
『結構、人は入ってますね。広いですよねここ。300人は入るのでは?』
『500人だよ。
『いつも池袋の劇場だから。ここは初めてだから分からないよ。それに
『見た事くらいあるもんねー、
『悠は歌劇だろ。また少し畑が違う』
『
『それより、永井さん。本当に井崎玄瑞はこの公演をやるつもりらしいですね。看板役者の
『私、その人を見に来たんだけどなぁー。それに病気なんでしょ? 大丈夫なのかな。何時か共演したいのに』
『“中野幸子は確かに良い役者”だ。井崎が久々に惚れ込んでいた役者だからな。それでもお前達二人にはまだ劣る。それでもなお、あの井崎がこの公演を押し進めた理由がきっとあるはずだ。なにか理由が……』
『例えば、どんな理由ですか? しがない小劇団の公演だと、俺は感じています』
『私は幸子さん目当てだったぁ』
『あるとすれば、それ以上の“何か”を見つけた。例えば“お前達のような役者”を見つけたか』
『ほう、それはまた。そんな役者がいたら俺は堪りませんよ』
『ああ、“天衣無縫の役者”だっけ? そんなの、私しか在りえないのにね。進君、残念でーした。もう私がいたね』
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