伝説が生まれた日
「――決めた。俺は
「お前、今の
「黙れ、
「誰が少年だよ! もう大人だって言ってんだろ!」
「一目惚れした……この芹沢新菜にも、このゆうぐれ突撃隊にも。舞台演劇か、悪くない。やってみせようじゃないか!」
「何で突然テンション上がってんだよ、やっぱお前童貞だろ。加藤さんー、何とか言ってやってくださいよ。こいつ完全に舐めてますよ、この世界」
「動機なんて何だっていい……こいつが
「あの、さっきから幸子さんとかミリンさんとか誰なんですかね。今はいない人?」
「津田さんー、大丈夫何ですこいつ? 演劇素人でしょ?」
「ああー、多分大丈夫だろう。芝居の“いろは”を教えりゃあ、もしかしたらお前ら二人より上手くなるかもな。おいさくら。お前、地元は京都だったな?」
「はい。それがどうかしたんです?」
「いいや、“合格だ”。関西出身の奴はうちにはいないからなぁ。良い起爆剤になるよお前は。よし、休憩は終わりだ。座長、もう一回下の稽古場に行こう。こいつにざっとうちの歴史と演劇は何たるかを深く教えましょうや」
お茶を飲んだらすぐに帰るつもりだったが、何故かまた一階の稽古場に一同諸共戻された。津田のおっさんが言うに、これから俺は色々と深く教えられるらしい。望むところだ。色々と教えていただこうじゃないか。今日の俺は希望と感動で胸が一杯である。コンディションここ数年で最高潮だ。今日、俺は此処に就職してやる。そして、芝居を学び、有名になり、一流となって“
「いいか、さくら。よく聞け。先ず俺達の土俵である舞台演劇界には大まかに分けて二つに分類される。何か分かるか?」
「全然分かんない。売れてるか売れてないか?」
「その通り。それ以上もそれ以下もねぇ。一般企業と似ているよ。大手企業か、中小企業か……まぁ俺達はその小劇団の中の小劇団だ。その中でも、全く売れてねぇ部類に入る」
「じゃあ全然駄目じゃん」
「今はな。さっきも言ったろ? 劇団ゆうぐれ突撃隊は“此処から這い上がるんだよ”。大手はそうさなぁ……『演劇集団ブラックボックス』、『東京ウーピーズ』に『劇団メトロ特急』。もっと分かりやすいのだとミュージカル劇団の『
「おおー……
「お前さっき、芹沢新菜と結婚するとか言ってたよな? それは役者で有名になってか?」
「それ以外にどの道がある」
「結構なこった。しかしその夢はこの劇団にいる限り不可能に近い」
「そんな事はやってみないと分からないだろうに。最初から諦める馬鹿が何処にいる」
「……無知は愚かって言葉があってな。正に今のお前だ。“この世界にいる人間”のどれほどが売れるか知っているか?」
「さぁ、百人に一人くらい?」
「明確なデータはない」
「ねぇのかよ!」
「……舞台役者は売れなきゃ意味がねぇ。売れなきゃ役者じゃねぇんだ。じゃなきゃ、ただの無職と一緒だ。趣味でやり続けている奴も中にはいるだろうが、誰もが夢見るのが“より多くの大衆の前で芝居をする事”。つまり己が認知される事。そして今やその一番が映画やドラマなんだよ。だけどその映画やドラマに本来の本業である舞台役者は使われなくなってしまった」
「ほう、それは何でまた?」
「“時代”だね……。芸能界は70年代後半から急成長している。それはTV局も一緒だよ。あの中では今でもバブルが続いているとも言われているよ。さっき加藤プロも言っていたけど、TV局はスポンサーで成り立っている。では何が重視されるか、やっぱり“顔”なんだよね。だから映画やドラマ、CMとかに使われるのは“芸能事務所養成所出身”の人や、“アイドル事務所のアイドル達”。最近ではグラビアアイドルなんかもいるね」
「それで大体そんな奴等が“主役”なんだよ、さくらちゃん」
「あいつ等に【演技】なんか出来る訳がねぇ。真に演技力を培うのはあくまでも、俺達がいる舞台演劇の世界。撮り直しや編集でやり直しが効かない“一発だけの世界”。その場限りの
「そんな実力ある舞台役者が、映像の世界だと脇役にね。まぁ僕達の業界からしたら脇役は大切なんだけど」
「主役って“概念”も今や潰れてんだよ、あの世界にはよ……。狂った金の亡者しかいない世界だ。いいか、さくら。お前がその世界の人間に憧れるのも結構、惚れるのも結構、だが舞台役者になるのなら忘れるな。お前が惚れた相手は俺達の“敵”だという事を」
「お、おう。肝に銘じておく」
「だがお前は運が良い。いま風向きは再び舞台演劇に向き始めている」
「じゃあ行けるじゃん!」
「さっき言った“大手劇団”にだ。芹沢新菜が出る大河ドラマの主演に、先述の『演劇集団ブラックボックス』の舞台役者が抜擢された。名前は『
「……その河上って奴は格好良いんですかねぇ。新菜は確かヒロインポジションでしょ。キスシーンとかもあるんですかねぇ」
「あの……さくらちゃん? お前マジで狙ってんの?」
「俺は“嘘は吐かない”」
「あるだろうなぁ」
「あるだろ、そりゃ。無かったら逆にお高く止まってるぜ」
「ありますね」
「さくらちゃん、お前がマジで芹沢新菜と結婚出来たら、“俺は渋谷の交差点で一日中裸踊りしてやんよ”。いや、マジで。こいつ本当に大丈夫ですかねぇ、津田さん」
「大丈夫な人間に役者は務めれない。何処か可笑しいからお前達は役者なんだよ。それにさくら、役者は“嘘を吐く”のが仕事だ。嘘を誠にするのが役者の本質だ。次の俺達の公演は5月30日。場所は新宿のスペース105劇場だ。満席となれば500人近くとなる。“いつもより大きい会場だ”」
「おお、それは凄い」
「うん。やっとね、何時もとは違う会場を借りれたんだ。結構立派な劇場なんだよ。というか、そこで公演出来たら小劇団としては立派だね。一種の登竜門としてのブランドみたいな劇場」
「つまり、やっと借りれたって事?」
「そうに決まってんだろう、さくらちゃんのお馬鹿さんよ。実力とコネがなけりゃ借りれない劇場だ。こっから成り上がんだよ“俺達は”」
「実は欠員が出てな。一人は体調不良、一人はバイクの事故で骨折しやがった。そしてその代役がお前だ」
「ああ、それがもしかして幸子さんとミリンさんですか。何か繋がったー……ん、代役?」
「そう、代役です」
「誰に」
「さくら君にですよ」
「いあいやいあ、何を仰いますか。え、本番は5月ですよね?」
「そう、5月。それも500人のお客様の前で。有難いことに“幸子”を目当てにチケットは完売。満席になる予定です」
「……やっぱり皆さん頭が可笑しいですよね。俺、幸子さんじゃないんですけど? お客はその幸子さん目当てで来るんですよね? それにやった事ないんですけど、お芝居だなんて」
「垂水さくら。今日からお前に、俺が知っている【この世界の全ての知識と技術】を教え叩き込んでやる。さっきも言ったがよぉ、この『劇団ゆうぐれ突撃隊』にいる珠はこんな場所で終わる珠じゃねーんだよ。だが全員が上に行くには今回の公演は絶対に成功させなくてはならない。原題は『宮沢賢治』の『よだかの星』。津田流の脚本にして舞台演目として完成させた。此処から成り上がるぞ、俺達は。いよいよ貧乏からの脱出だ。お前も貧乏には飽きただろう? いいか、芹沢新菜と結婚するんじゃない。芸能界に、新菜のような奴等をぶん殴りに行くんだよ」
俺の将来の夢は“小説家”だった。今でもそうだ。だけど現実とはうまくいかないもので、夢が必ず叶うとは限らない。何故小説家になりたいのか……もう切っ掛けさえも忘れてしまった。きっととても大切な事だったはずなのに、日々の忙しい業務で思いも諸共、まるで昨日に置いてきてしまったみたいだ。そう、本当に昨日に。
大学卒業後、俺はとある新聞社に入社した。“記者”としてだ。少しでも夢の為に近い仕事がしたかったが、蓋を開けてみれば記者とは嫌な仕事で、ようは他人の落ち度を深く深く追求する仕事であった。殺人事件の遺族に取材するのも心が折れた。凶悪な死刑囚に取材するのは反吐が出そうになる。清濁併せ飲まないといけない世界なのであろうが、俺には荷が重過ぎた。政治家に取材する時だってそうだ。向こうは間違いなく悪なのだろうが、こちらも間違いなく悪だと気が付いた。平成に入って暗いニュースばかり続くこの時代、俺の気はすっかり滅入り、心身共に砕け散りそうになっていた。
「“
「はい。えーと
「池袋。ブラックボックスだ」
「ああ、大河ドラマの主演の」
「そう。お前、“こっち”は慣れたか?」
「ええ、まぁ少しは。気持ちも大分楽に」
「入って数年は誰もがそうなる。スポーツ新聞はまだ良いだろう?」
「そうですね。でもこの世界も色々あるんですよね……」
「まぁな。何処の世界に行っても、裏切りや既得権益は付き物だ。割り切れよ」
「はい、ありがとうございます」
入社して五年程経った頃、俺の精神は崩壊した。全てから逃げ出そうとしたが、引き留めてくれたのが、救いの手を差し伸べてくれたのが、いま俺の横にいる
「お前も大分顔色は良くなってきたなぁ。飯は食えてきたか」
「はい。澤さんのおかげです。ありがとうございます」
「お前は良い物を持ってるよ。記者に置いておくのは惜しい。感受性が高いんだろうな、小説家に向いてるよ。夢だったんだろう?」
「ええ、まぁはい」
「この世界、何処に行っても嫌な事だらけで、人の汚い部分や闇しか見えてこない。でもな、スポーツ新聞に関わってると光もしっかり見えてくるんだよ」
「光、ですか?」
「ああ。まだ闇に染まってねぇスポーツ少年とかな。甲子園とかインターハイ。あれはいいぞぉ。見てるこっちもその舞台の一員となってしまう。もう二度と感じれない青春を味わえるんだから。だからこの仕事だって良い部分もあるんだよなぁ。例えるなら“終わらない青春”を感じれる」
「……確かに。それは良いかもしれませんね」
「ああ、良いもんだよ。本当にな」
「そう言えばなんですけど、今からブラックボックスに行くんですよね」
「おう、そうだ。かなりの実力派が沢山いるって有名な劇団だよ。芸能界にも切り込んできていやがるからな。元々あそこの主宰は、あの伝説の大友監督と長年タッグを組んで来た『
「“十年前”に肝臓がんで亡くなった『
「詳しいじゃねーか」
「世代、でしたから」
「大友監督亡き後に、永井が立ち上げたのが『演劇集団ブラックボックス』だよ」
「永井さんも終わらない青春を追い求めているのでしょうか」
「さぁな。そういや確か学生から一緒だったか、その二人は」
「もう一人いましたよね。“演出家”の……あの人達はタッグじゃなくて実はトリオだった」
「本当に詳しいじゃねーか。それは“ほとんど誰も知らない”ことだ。調べたのか?」
「世代ですから。名前は『
「……そう。大友監督亡き後に井崎も一本の映画を作ろうとした。ずっと大友映画に出ていた女優を使ってな。映画は完成、だが結局公開される事はなかった」
「その女優って、大女優の『
「ああ……そうだよ。以来、“井崎玄瑞”は行方不明。今や残ったのは永井英介だけだ」
「澤さん、実は気になる劇団がありまして。口コミで聞いたんで僕も実際に見てはいないんですけど、とある小劇団の演出がその井崎玄瑞の演出に似ている部分があると……密かに界隈では話題になっています」
「
「では――」
「ああ、間違いなく津田源三郎は井崎玄瑞だ。正に“伝説の残り香”だよ」
「好きですよね、澤さん。“伝説”って言葉」
「“よだかの星”? 賢治じゃんかよ!」
「なんでお前は
「黙れよ藤堂少年。賢治が好きなんだよ、俺は。銀河鉄道の夜とか超好きだから」
「それで下の名前で呼ぶ辺りが、さくらちゃんは童貞なんだよなぁ」
「さっきから黙ってくれないかな、人にはそれぞれの事情があるでしょ。そうゆうお前こそ童貞なんじゃねーの?」
「はん、毎日百人くらいとやってるし。舐めんなよ」
「お前、馬鹿だろ」
「はぁ? 馬鹿にすんなよな、女みたいな名前しやがって」
「だから、さくらが女の名前で何が悪い! 謝れ全国のさくらに謝れこの野郎!」
「うるせぇこの野郎、ぶっ飛ばすぞ!」
「こいよオカマ野郎が――!」
――なぁ、
『げんすい、次は“よだかの星”をやるんでしょう? 私ね、賢治が一番好きなの!』
『宮沢賢治を賢治呼びする奴は、初めて見たよ』
『あら? 結構多いのよ? 賢治のファンはみんな彼の事をそう呼ぶわ』
『そうかい』
『私、しっかりやるね』
『あまり無理はせずに』
『げんすいは優しいね。まるでジョバンニみたい。かつとしは頭が良いからカムパネルラかな。えいすけは意地が悪いからザネリだね!』
『なんだそりゃ。じゃあ神木はなんなんだよ』
『んー……私はよだか! よだかの星のよだか!』
『いいや、ゴーシュに出てくる狸だよ』
『ええー、意地悪だなぁ。ジョバンニはそんな事、きっと言わないよ?』
『僕こそがきっとザネリだよ。ジョバンニは英介だ』
『本当に仲が良いよね“三人”は。いつか、いけたらいいよね……“ブロードウェイ”。この四人で何時の日にか行けたらいいよねぇ。ねぇ、げんすい?』
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