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宴会の後、皆は朝が早いと言うので早々に寝床に潜り込んでしまったが、私はしばらく起きて撮影機材の梱包状況の確認をしたあと、ふと夜空が見たくなり懐中電灯片手に要塞の外に出た。
長い長い地下通路で何度か迷い、諦めそうになったけど何とか出口に到着。見張りの戦士に声をかけ「クソ寒いのに物好きですな」と笑われながら一歩踏み出す。
思った通りの満天の星空、あまりにも星が多すぎて星座なんてわからない。時々流れ星が鋭い光跡で夜空を切り裂き消えてゆく。
見張りの人に言われた通り体の芯まで染み込むような底冷え具合だが、圧倒的な夜空に見とれてしばらくたち尽くす。
目線を少し降ろし東に向けると真っ黒い城壁の様に立ち塞がるワリャリョ連峰の稜線が、星影のお陰ではっきり見える。
気配がしたので振り返ると、そこにはロルカ師。
「すまないね、驚かせて、我々イェルオルコはこのべたりと広い足と毛のせいで足音がしないのだよ」
と、あの柔和な顔を綻ばせてお詫びを言うので「こちらこそ、お気になさらず」と返す。
「よいよ、明日だね。この日の為にお国で血のにじむような努力を詰まれと聞いているよ。まだお若いのにこの年寄り、心から感服するよ」
一族を束ねる指導者からこんな事を言われて恐縮しない人間は居ない。思わず「いいえ、上官からの命令に従ったまでで、軍人としては当然の事です」と答えたが、ふと師が表情を曇らせたことを、この闇の中でも見逃さなかった。
「お国の為に命を懸けて挑まれる人に、中々言いづらいことだが、一つ老いぼれからの小言と思って聞いてもらいたいことがあってね」
どんな言葉が出てくるか、不安をいだきつつも兎も角頭を縦に振る。
「あなた方が挑まれる峰々は、もともと我々イェルオルコの民が神々がおわす場所として崇めてきた場所でね、この度の話が舞い込んだ時も一族の者で喧々諤々の大議論が巻き起こったのだよ、インティキルの者たちは『同盟に一泡吹かせる千載一遇の好機』と大賛成だったが、年寄り連中は最後の最後まで渋った。かく言う私もその一人でね」
えっ、と思わず声が出たが、そりゃそうだ。この人は一族の長、ハラカタ。伝統を守る立場に立つのは当然で今でも私たちの、いいや帝国の行動を受け入れた事に忸怩たる思いを持っていることは間違いない。
「まぁ、結局は多数決で決めようと言う事になって君たちを受け入れる事にしたんだ。神々への畏敬よりも、同盟への憎悪が勝ったということだろうね。ほとほと左様に我々イェルオルコは同盟を特にウンハルラントを憎んでおると言う事かな」
神様が憎しみに負けた。
実に嫌な言い方をされるもんだと思いつつも、しょうがないとも思う。
少佐は私に登山や野外での生存術を教える一方で、この土地の歴史や文化についても色々知識を与えてくれた。その中で聞いたのがイェルオルコ族の悲惨な歴史だ。
それは彼らが北方大陸の人々に見つけられた時から始まった。
最初はその美しい毛皮や長く立派な尾が狙われ狩猟の対象として命を奪われ、百万いたとされる人口が五分の一にまで激減したと言う。
やがて、北方大陸の人々が言葉を話し道具も使う『人間』を毛皮を剥ぐために殺す事の非道さに気付きしばらくは虐殺は止んだが、この地域を支配しているウンハルラントが、優生主義を掲げるゾンハルト・ブゲルを元首として頂くようになると、今度は『人類の未来の為に必要のない人種』つまり、彼らが言う所の『整理対象種族』として虐殺の対象となり、せっかく六十万にまで回復した人口もまたまた二十万を割り込むまで殺され続けた。
ここまで案内してくれ、明日からのオルコワリャリョ登頂にも参加してくれるラチャコ君の家族も、本人以外全員『整理対象種族』として皆殺しにされたと言う。
当然彼だけでなく、この砦に居る者は必ず近しい人を『整理』されてしまっている。
そして、さらに言えば私が所属している帝国とて、イェルオルコの悲劇に何ら加担していないと言えばウソになる。
アキツ帝国の人々もかつては尻尾を着物の衿飾りや帯にするため彼らを殺してきたし、近代に入っても、以前は連合、今は同盟との領土争いに彼らを利用し続けていることも、彼らの命を自らの利益の為に『消費』していることには変わらない。
そんな私たち帝国からの、ある意味無礼な申し入れを受けざる負えない彼らの苦悩。同じ被支配民族でありながら支配者の軍服を身に着ける私に何が言えるだろうか?
ロルカ師は近づいてそのふさふさの手で何も言えず立ち尽くす私の手を取り。
「大尉殿、大事な旅立ちの前にこんな事を聞かせて申し訳ない。実に大人げない行いだが、やれずに居れなんだ年寄りの気持ちも多少は汲んでくれまいか?」
私は、固くて暖かい白化した毛の上から師の手の甲に自分の手を重ねて。
「師のお気持ち、いいえ、イェルオルコの皆さんのお気持ち、私なりに出来るだけ胸に刻ませてもらいます。それでオルコワリャリョの頂にたどり着けたらその場で何ができるか私なりに何ができるか考えてみます」
今はそれくらいの事しか言えそうにない。
「お心遣い、痛み入るよ。これで心置きなく君たちの無事登頂を心から祈れる」
眼鏡の奥の師の瞳は、心なしか潤んでいるように見えた。
翌朝、予報通りの晴天の元、私たちはオルコワリャリョ目指し砦を発った。
背中にうず高く荷物を載せたワカオルコやリャンママの頭数は二十を超え、まるで交易を行く隊商の様、所々に積もった雪や氷をジャリジャリと音を立てて踏みしめ大きな石が積み重なった圏谷の底を進んでゆく。
空気は冷たく冴え冴えとし、濃度は薄く意識して呼吸しないと胸苦しさを味わうがこれはまだほんの序の口。
人を拒絶する神々のおわす場所まではまだ遠い。
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