5
思わず「え?」っと聞き返す。
「怖がると、体が自然と強張って言う事を聞かなくなる。身を護る為にそうなるらしいが、逆にそれでは身動き取れずやられてしまう。怖くない絶対に上手くやれると自分に言い聞かせて怖がる心を飼いならすんだ」
徒手格闘訓練の教官も同じような事を言っていたっけ?曰く。
『兵士にとって最も親しく最も厄介で良い距離を保たねばならぬ友は勇気と恐怖心だ。勇気に近づきすぎれば慢心し窮地に落ちるし、恐怖心に近づきすぎれば窮地から脱することはできない。しかし、共に良い距離を保てば窮地を突破し窮地を事前に回避する事が出来る』
確かに、私は滑り落ちる恐怖に全身を支配され体が硬直し頭ではわかっていても動作に移すことが出来なかった。
この子の指摘の通り。
でも・・・・・・。「君は怖くないの?」
答えは間髪入れず。
「怖い。でも
どういう暮らしをこの子は今までして来たのだろう?
少佐にも以前突っ込んで聞いたことはあるけど、結局適当にはぐらかされ『まぁ、それなりの修羅場を潜って来た強い女の子ってことは確かだわな』としか答えてくれなかった。
確かにこの子の雰囲気から察すれば、油断ならない世界で生きて来たって言うのは解かるけど。
「君はそう言う育てられ方をして来たから平気で出来るかもしれないけど、私は違うの軍隊に入るまでは普通の暮らしだったし、入ってからも前線になんて出たことが無い。今でもごくごく普通の人間よ。氷の急斜面から滑り降りる恐怖をあっという間に感じなくなるような君とは違うの」
若干の当てこすりを含ませていってみたが帰ってきた言葉が「
また「え?」っと聞き返してします。
「ライドウから聞いた。
そう真剣な顔で瞳を輝かせこの子は言うのだ。
メチャクチャ褒められてるじゃないの!私!
返す言葉が何もなくどう返すべきか必死で考えている間に彼女は天幕から出ようと四つん這いになり後ずさりを始めた。
そして、天幕の中に頭だけ残すと。
「風向きが変わって寒くなって来た。ここではこんな風になると晴れに成る前触れだ。明日はまた滑落防止の訓練だ。がんばろうねぇよ」
そして頭を引っ込め自分の天幕へ帰っていった。
ところで、ネェって、どういう意味???
翌日はシスルの予報通り見事な晴天だった。
幕営地では雨だったけど五三〇二峰の頂上付近では雪だった見たいで、一昨日私たちが着けた航跡はきれいに消えていた。
また安全帯に縄を取り付け、雪の斜面を見下ろす位置に立つ。
「さて、今日も滑落防止の訓練だ。動作は一昨日教えたと通り、あとは実際に出来るかどうか?さぁ、景気よく滑り落ちて見よう!」
と、軽いノリで言う少佐。
見下ろすと、千
思わず固唾をのみ込む。
シスルが、あの黒い瞳で私を見つめていた。そしてこくりと頷く。
踏ん切りがついた。
一歩踏み出し、尻餅をつく。
耳元では風を切る轟音、景色がすごい速度ですっ飛んで行き、刺すような寒風が顔面を強かに打ち据える。
胃を絞り上げる様な恐怖が沸き起こり、体が固まる。言う事を聞かない。また出来ないの?
頭に、シスルの言葉が電光の様に閃いた『
そうだ。私は勇気のある女だ!
まず上半身を捻り。目の前が真っ白になり口の中にも鼻の孔にも目にも氷の粒が飛び込んでくる。
次に
脚を上にあげ折り曲げる。
滑り落ちる速度がだんだん落ちて来た!
そのまま体重を体の前に。
気が付けば、私は止まっていた。
頂上から少佐の声「やったじゃねぇか!成功だ!」
ゆっくり立ち上がり、
頂上は遥か彼方だ。こんなとこまで滑り降りたんだ。
薄い空気を何度も肺に取り込みつつ急斜面を上り山頂にたどり着くと、少佐が私の頭を子供の様に乱暴に撫で。
「よくやったぞ!シィーラちゃん!ちょっと制動に入る時期が遅いが、最初にしちゃ上出来だ。この調子なら次の段階に入れるな」
子供扱いすんな、とも思ったが、年から考えればこんなもんかと大人しく撫でられる。
シスルはと思い彼女を見ると、まるで自分が成功したみたいに小鼻を広げ満足そうに私を見つめ返して来た。
幕営地に帰ったらお礼を言わなきゃ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます