第一章
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皇紀八三五年苗月(聖歴一六二九年四月)三日
アキツ諸侯連合帝国陸軍新領拓洋市 民主国同盟租界 高等弁務官事務所 大会議室
新領総督府外事局フルベ・ノ・ジャクリン局長は、遥宮州産の葉巻に
本年とって四十五歳、出身は中流貴族ながら外務卿フルベ・ノ・ソウリン公爵の三女に婿入りし十二公家が一家門フルベ家の一員となった人物だが、それもすべてソウリン公爵がその才覚を買っての事。
事実、難航を極めた全球大戦の休戦協定も彼の尽力で何とか締結にこぎつけたとのもっぱらの評判で有り、葉巻をくゆらす口の上の、西方の悪魔のようなおよそ東方人種らしからぬ鉤鼻や、油断ならぬ小さな垂れ目など、年相応とは言えぬ抜け目のなさを醸し出していた。
隣席に座る、目にも鮮やかな純白の軍服を身に着けた若い女性将校の、その端正を通り過ぎ、聊か魔的ともいえる美貌を葉巻の煙が撫でると、局長は慌てて。
「これは失礼、少将は煙草を飲みませんでしたね」
その気遣いに対し、トガベ・ノ・セツラ少将は相好を崩し。
「お気遣い、痛み入ります。小官、煙草は嗜みませんが煙は一向に気になりません。むしろ香りは好きな方であります。それに、吸わねばやっていられぬ局長のお気持ちも解ります」
局長は呵々と笑い。
「確かに、同盟の方々はは人様を待たせて平気と見えますね。革命前ならこの会議室には名画の数々が飾られていたと義父に聞いていたので、退屈しのぎに成ると期待していたのですが、今では実に残念、退屈極まる革命画ばかですよ。革命とは人類を進歩させる行為と聞いていますが、これを見せられるとその言葉の真偽を疑いたくなりますね、せめてもの救いは、内装を往時の姿のままに止めて置いてくれた事ですかね」
と、精緻な木調の梁や柱、鮮やかな意匠の壁紙に飾られた内壁を見上げつつ、一枚の絵に顎を剥ける。農民と工員、兵士が肩を組み空を上げる姿を堅苦しい筆致で描いた革命画だ
「ほれ、あの絵など、五つになる末っ子が描いた絵の方がよほど芸術と呼ぶにふさわしい」
トガベ少将は、はしたないと思い半ば必死で笑いをこらえたが、随員たちの中にはたまらず噴き出す者もいた。
背後の扉が開き、外に待機していた随員が上司に紙片を渡し、彼は局長の耳にそっと囁く「どうやらお出ましの様ですね」
その局長の言葉に和すように、正面の扉が開き同盟側の代表団が入出してきた。
背広姿や軍服姿の随員を従えて現れたのは、同盟海外共同統治領中央政庁外交部、イヴァン・ワリシロフ部長。
濃灰色の工員服のような立て襟の上着に同色の
彼らが席に着くと、灰色のリルシア陸軍の制服を着た軍人がトガベ少将の姿を認めるなりワリシロフの耳元に囁く。
「あれがトガベ・ノ・セツラ少将、内務卿トガベ・ノ・バンリ公爵の腹違いの妹、二年前に若干二十代で少将への昇進と同時に新領総軍特務機関長になった女傑です」
対してワリシロフは、彼女を冷ややかにねめつけ「ああ、あれが噂の『銀髪の女狐』か」
すべての会話はリルシア語なのだが、彼女にはマル聞こえだった。
まず、帝国の側から声が上がった。
「議題に入る前に、まずは遅参についての謝罪と理由の説明を」
ワリシロフは敢えて聞こえるようにフンと鼻で笑い。
「遅れた理由は外交上の機密であり返答しかねる。謝罪についてはその必要性は無いと判断する。高貴な方々は甘やかされているからそうではないだろうが、我等平民は多少の不具合では一々腹を立てぬものだ」
いきり立つ随員を葉巻を持つ手で制し、局長は。
「ご貴殿らが無礼な方々でることは先般から承知しておりますところで、さほど腹立ちも致しません。つまらんことで言い争っても時間の無駄。我らが時間は恐れ多くも畏くも皇帝陛下とその臣民より賜り預かった物であり、貴殿らの時間も党総書記殿や終身大執政殿等から預かった物でしょう。さぁ、あの忌々しい彷徨える大氷原が誰の物であるか、今日こそ決着を付けようではありませんか」
そう言い放ち、会議室の壁に掲げられた地図を睨む。
峰々を長々と連ねた二本の連峰に挟まれ、寒々しい青さで塗り上げられた平原。その真ん中にはチュルクバンバ氷原と記されていた。
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