第8話 桜舞う水平線

「技ありっ!! 静止まてっ!!」


『さあポイントが入りましたっ!! 入ったのは……西村にしむら選手だぁぁぁぁ!!』


 審判の右手は肩よりも高く、畳と殆ど平行に伸びている。

 ポイントが入ったのは西村。

 乱れた道着を整えながら白いテープの前まで戻る両者。

 先制された青桐は、呼吸を整えながら先ほどの攻防を簡単に振り返っている。


(俺が先に背がついたのか……内股は効かないダメだとすると、アイツを投げ飛ばすのは背負い投げ、一本背負い……それか最大火力フルパワーのアレしかねぇな)


 ため息を吐く青桐。

 1か月前の相手とは異なるが、リヴォルツィオーネと十分戦えているにも関わらず、彼の表情は暗いままである。

 青桐はアレからの自分のランクの推移と、目の前の敵のランクについて考えを過らせていた。

 

(ランクが14でコレかよ……西村コイツよりもえぐいやつが13人もいるってことなのか? ……勘弁して欲しいぜ、どんだけ先が長いんだよ……)


 衣服を整え終わった青桐。

 それを確認した審判は試合を再開させる。

 両足に稲妻を纏う西村は、目に捉えることも困難なスピードで、青桐との組手合戦をおこなう。

 先に技ありを取ったということもあって、勢いに乗る西村。

 あともう一つ技ありを取れば、一本勝ちになるということもあり、多少前がかりになってでも勝ちを掴み取りにいく黒衣の武人。

 このまま相手に何もさせず、一方的に試合を運びたい……そのような思惑があるようだ。


(先手必勝は有言実行ッ!! だが……油断禁物ッ!! さっきの返し技で決めきれなかった以上、攻撃の手は緩めんッ!!)


「オッスッ!! このまま押しき……」


「……テメェさっきから調子に乗ってんじゃねぇぞっ!!」


「ッ!?」


 前のめりに差し出してきた西村の右腕を青桐は右手でいなし、左手でいなした腕の前袖を掴むと、出会い頭に背を見せる青桐。

 合気道のように力ではなく、相手の勢いを利用して、タイミングよく一本背負いを繰り出す。

 目には目を、歯に歯を。

 速攻を仕掛ける青桐。

 戦いのテンポを変える彼の策を、西村は鍛え上げた肉体によって強引に潰していく。


「ぬぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ッ!!」


「……!!」


(野郎……!! 踏ん張って強引ラフに止めやがったっ!! けど……仰け反り過ぎすきをさらしすぎだぞっ!!)


「大内刈……」


「オラぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ッ!!」


 立て続けに迫りくる水の猛威を払いのけるため、青桐を両腕の力だけで振り回す西村。

 雷と化した黒衣の柔道家は、ハンマー投げのように回転し、技を繰り出す前に始動を潰していく。


「はぁ……!! はぁ……!!」


「ふぅー……ッ!!」


 試合時間は残り半分を過ぎている。

 初っ端から全力で戦っている両者の体には、確かな疲労が溜まっている。

 肩で息をする青桐。

 一旦息を入れるため、互いに組み合ったまま、睨み合いの時間となる……はずだった。

 

「ふぅー……オ"ッス"ッ!!」


「……あ"ぁ"!?」


 このまま膠着状態が続くと想定していた青桐。

 その浅はかな見積もりを西村は軽々覆す。

 亀のように動いていたかと思えば、再びエンジンフルスロットルで青桐を引きずり始める彼。

 スタミナが切れかけている青桐と比較しても、まだまだ余力が残っているように見える。


「ぐ……野郎……!! 体力馬鹿かよっ!!」


「オォ"ォ"ォ"スッ!!  最後まで……己の得意ぶき押し付けるぶちかますのみッ!! No.71ッ!!」


 雷を体全体に帯び始める西村。

 彼に気を取られていると、背後からトラックにぶつかったような衝撃を食らう。

 電磁力によって西村に突っ込むように背中を強く押された青桐。

 体勢を崩した青桐の懐に入り込み、紫電の雷をまき散らしながら放たれる閃光の如き一本背負い。

 No.71―――


紫電しでん投げぇ"ぇ"ぇ"ッ!!」


 観客達は息を呑み心の中で嘆き悲しむ。

 青龍と呼ばれトップクラスの実力を持っていた青桐が、またしても負けるのかと。

 圧倒的な力を有するリヴォルツィオーネには、誰も勝てないのか。

 誰もがそう諦めていた。

 ―――


「……ッ!?」


(右膝からッ!? 怪我が怖くないのかッ!?)


「ざっけんなよ……こっちはこんな所で、足踏みする気ねぇんだよ……っ!!


 風前の灯であった青桐。

 だが勝負を諦める気など毛頭にない彼は、担がれている最中に腰を無理やり捻り、背中からではなく右膝から畳へと投げつけられる。

 無理に藻掻いたことによって、相手を制して投げるという条件が満たされず、西村の攻撃は不発に終わった。

 だがその代償は大きく、本来なら受け身で逃がす衝撃を右膝が全て引き受けることになり、怪我までとはいかないが、立ち上がる際に大きく顔をしかめる程の苦痛を味わうことになる。

 咄嗟の反応……彼の意地とプライドが、大怪我してもおかしくない捨て身の賭けを選択したのだ。

 即座に立ち上がるや否や、満身創痍の体を動かし、最後の攻撃を仕掛ける青桐。

 畳に雫が滴れ落ちると、世界は月明かりに照らされ、桜舞い散る夜のウユニ湖のような場所へと変貌していく。

 

「……ッ!!」


(これは……不味やばいッ!! 早く回避を……ッ!?)


「遅ぇよ……鈍感野郎のろまがぁ"っ!!」


 これから繰り出される技にいち早く勘づいた西村。

 咄嗟に回避しようとするも、彼はそれなりに隙の大きな技を使った直後である。

 次の動作が間に合わない西村。

 もたついているほんのわずかな時間に、彼の両足が水中へと引きずり込まれると、身の丈を遥かに超える津波が西村のバランスを崩しにかかる。

 荒れ狂う水の動きにもみくちゃにされる黒衣の武人。

 波を搔き分け猛追してきた青桐は、最後の切り札を切っていく。

 敵の懐に背を向けながら潜り込み、荒波と共に担ぎ上げる、背負い投げをベースにした水属性最強の技。

 柔皇の技で最も美しいとされているその技は、荒波を束ね桜を着飾り、月明かりが絢爛に勝利を彩る。

 No.91―――


一本負けくたばれ……っ!! 桜花水月おうかすいげつ……!!」


 宙を舞う西村、担ぎ投げ飛ばす青桐。

 畳へと投げつけた青桐に、勝利を祝う水飛沫が、天へ高々と舞い上がる。

 その光景の美しさに審判はおろか、周囲で観戦していた人々の心が奪われていく。

 正気に戻った審判は、すぐさま判定を告げた。

 

「い、一本っっっっっ!! 終了それまでっ!!」

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