第2話 新人戦

 2020年8月16日の早朝8時。

 蒼海大学付属高等学校の道場には既に部員が集まっており、これから始まる朝練に向けての準備が始まっている。

 いつもは淡々と作業をしている面々だったが、この日ばかりは違う。

 夏川が交通事故に遭ったことが既に知れ渡っており、道場内はざわついていた。


「……なあ、夏川なつかわちゃんが交通事故じこったって」


「ああ、そう聞いたぞ……あっ!! おい、青桐あおぎり!! 大丈夫か? その……夏川ちゃんが交通事故じこったって……」


「……」


「お、おい、青桐……?」


「……え? ああ、すみません先輩。何て言ったんですか」


「いやその……ってかお前、目の下のクマが凄いパないぞ……ちゃんと寝たのか?」


「当たり前じゃないですか、今日からバリバリ練習するんですからっ!! ははっ……」


 更衣室に入って来た青桐。

 リュックを指定のロッカーに置き、中から道着を取り出すと、おぼつかない足取りのまま出口へと向かっていく。

 噂の真偽をはっきりさせようとしていた先輩部員達は、その様子から全てを察した。

 

「おいおい……本気マジかよ」


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「……ん? 来たな」


 顔面蒼白のまま神前に礼をし、畳の上を進んでいく青桐。

 そんな彼の前に、歩み寄って来た4人の人間がいる。


「……伊集院いじゅういん石山いしやまに……花染はなぞめ先輩に木場きば先輩まで」


「9割9分9厘」


「……?」


「俺達が把握している事件の内容の割合だ」


「……」


「ちょ、伊集院君、もっと遠回しオブラートに包んだ方が……」


「だがな……それだと話が進まん」


「2人共、少し話すのを止めてくれないか。風もそう言っている」


「は、はいっす!!」


了解うっす


「ふー……青桐、今回の事故については伊集院と石山の話通り、俺達も大よそ把握している」


「えっと……はい」


「……1?」


「……!!」


「お前は悪くない。自分の不注意でこんな事態を招いたと考えているかもしれんが、それは間違いだと言っておこう」


「いや、でも……!!」


「青桐っ!!」


「う……!? 木場先輩……」


「俺達はお前の苦しみまでは理解不可能わからねぇ、事件の当時者じゃねぇからな。でもよぉ……苦しくなったら俺らを頼れよ? 必ずお前を支えるからよぉ!!」


「……はい、ありがとうございます。俺、ちょっとトイレ行ってきますね」


 うつむいたまま一礼し、この場を後にする青桐。

 その背中を眺める4人は、それぞれ心の内を吐いていく。


「青桐君、本気バリ心配たい……」


「あの野郎……絶対100%俺達に心配かけさせたって思ってんな」


「9割9分9厘、そうでしょうね」


「……お前ら」


「あん? なんだ花染」


「今ここにいる4人が、実力的に言えば次のレギュラー候補だ。風が見ても間違いない」


「お、俺もと!?」


「そうだ石山、だからこそ聞いてくれ。青桐アイツがいつか重圧に押しつぶされる時がくるかもしれない。その時は俺らがアイツを支える。気合い入れていけよはらくくっていけよ


「あったりめぇだ……!! 言い出しっぺが途中で折れんなよ、


「風はこう言っている……もちろんだとな、


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「えー……先ずは先日の大会、お疲れ様。満足のいく結果には―――」


 練習が始まる前に、柔道部の監督である井上宗一郎いのうえそういちろうが、スーツ姿のまま先日の大会の総括をしている。

 時間にしてほんの僅かな時間だが、余裕がなくなっている青桐には永遠にも思える時間が過ぎていく。


「それと……いや、もとい。今日の練習は軽めに行うから怪我が無いように。花染、木場、よろしく頼む」


「風も承諾した」


了解うっす


「マネージャー陣も、今日は事務作業をメインにな。それと……青桐、ちょっといいか」


「え? はい」


 井上監督から名指しで呼び出された青桐。

 道場の入口まで連れていかれると、神妙な顔つきで話し始める。


「えっとだ……怪我はないんだな」


「……はい、


「そうか……青桐、柔道出来そうか?」


「大丈夫です」


「……分かった、気を付けてな」


「はい……アレ? 井上監督は今からどっかに行くんですか?」


「ああ、ちょっと交渉をな。前々からある人に掛け合っていたんだがな……その大詰めすじあわせみたいなところだ」


「そうですか」


「じゃあ、よろしくな」


 青桐に背を向ける井上監督。

 彼は今、9月5日に東京で開かれる新人戦と、そこへ連れて行きたいある人物のことについて、思考を巡らせている。


飛鳥国光あすかくにみつさん……人間不信ひとぎらいな方だとは聞いていたが、ここまで交渉が長引くなんてな……新人戦までに間に合うだろうか……)


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 時は流れ2020年9月5日土曜日。

 東京、羽田空港の地に降り立ったあるくたびれた中年男性。

 ため息を吐きながら重い足取りを動かす彼は、ぼそぼそと独り言をつぶやいている。


「……結局来てしまった。う~ん……気が進まない、断れば良かったよ……あの井上さん、何でそこまで僕に掛け合ってくるかなぁ……」


切望おねがいします。どうか生徒たちの戦いを見て、考えてくれませんでしょうか。これは東京行きのチケットです―――』


「……ふう……おっと?」


「あ……すみませんっ!!」


「こらつばさっ!! 謝罪さっせん、この子が迷惑をかけました……」


「いえいえ、元気なことはいいことですよ。今日はどちらへ?」


「ああ、ちょっとうちの甥が柔道の新人戦を見たいって言うもんですから、日本武道館まで」


「おお、奇遇ですね~僕もなんですよ」


「そうんですか? 自分、青山龍一あおやまりゅういちって言います。この子は甥の青山翼あおやまつばさです」


「こんにちはっ!!」


「はい、こんにちは。柔道の試合を見たいねぇ……誰かお気に入りひいきの選手でもいるのかな?」


「うんっ!! 青桐龍夜って人だよっ!! カッコいいんだぁ~!!」


「青桐……ああ、青龍のね。中々目の付け所がいいね」


「えっへっへ~」


「さてと……じゃあ行きましょうか……おや? 青山さん、どうしました?」


「いや、アレ……」


 和やかな談笑を続ける2人とは対照的に、眉間に皺を寄せている青山龍一。

 彼が指差す方向には7人の集団が見える。

 ―――

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