第5話 鯨
「スパ! あんた何しに来たの⁉」
ノイリがクジラに向けて叫んだ。体長は五階建てのビルくらいはあって、まるで大戦艦を目の当たりにしているようだった。
長い全身が露わになった瞬間に、虹色の空間は消え去っていた。まるで魔獣の国との通用口のようだ、と少年は思った。
彼女の台詞に応えるように、クジラが大きな口を開けた。トラバサミのように鋭い歯が並んでおり、真っ赤な舌の向こうは虚無のような闇が続いていた。
瞬間にノイリが一二三を抱いて羽根を広げたから、オートも地面を蹴飛ばした。
無助走で垂直に飛び上がると、足元には光線が広がっていた。螺旋を描いて放たれた攻撃は、荒野の彼方へと飛んでいった。
「やっぱりね!」
一二三を抱えたまま、ノイリは空中で身体をよじらせる。
少年は状況を何一つとして理解していないが、少なくとも相手が敵意を持っているのにだけ気がついた。
どうしたらいい。オートが視線が視線を向けると、彼女が親指を下に向けていた。分かり易い合図を受けて、少年は戦闘状態へと移行した。
空中で息を止めたオートは、落下と同時に足を回転させた。扇風機のように縦に廻し、カカトに魔力を意識させる。炎の灯った靴底を振り回し、クジラの背中に蹴りを叩きこむ。
相手は何の反応も無かったが、半端な攻撃が通用しないのは少年の想定内だった。
十秒の経過と共に息を吸い込んだ少年は、空中で二本の指を弾いた。クジラの脇腹に二つの爆風が起こったが、これも全くの無傷だった。
着地したオートは直ぐに地面を蹴飛ばして、クジラの腹部に炎の入った拳を叩きこんだ。
カエルの時と同じで、腹部が弱点の可能性を考えた。皮膚は強化ゴムのように弾力があり、少年は見事に弾き返されてしまった。
肩から落ちるも地面に一回転して、彼は何とか衝撃を緩和。立ち上がったオートの視線の先にあったのは、クジラの大きな口だった。
鋭い歯、真っ赤な舌、虚無のような闇。少年は初めて、時が止まってくれないか心から祈った。
先ほどの螺旋状の攻撃に飲み込まれる未来が見えたが、少年は決してクジラから目を逸らさなかった。
大口の奥底に広がる闇にやがて飲み込まれようと、自分から視界を黒く塗りつぶすような真似はしたく無かった。
ノイリの声が聞こえたような気がしたが、少年の意識は目の前の大物に呑まれてしまっていた。
その時だった。轟音というものが、オートの耳を劈いた。大きなものが落ちたようでもあり、何かが弾けたような音にも聴こえた。
一瞬だけ、目の前の巨体に光が駆け抜けたように見えた。
クジラの全身に何かが駆け巡り、それが大音量を響かせたように見えた。
これも相手の技か何かかもしれない、と少年は思った。にも関わらず、動きが止まっているのはおかしい。
状況を理解出来ないまま、オートはひたすら狼狽するしか無かった。そんな局面を見事に壊してくれる者が現れる。
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