第2話 雨
彼女はこの場所を、次元だと答えた。
二次元や三次元など、数のついたものは人間が決めたものらしく、魔獣からすれば此処が次元というものらしい。人の苗字でも無いようだった。
次元とは世界であり、空間であり、舞台であり、時空である。ノイリの言っている内容が分からなさ過ぎて、オートは頭が茹だりそうだった。
簡単に言えば、魔法の国と魔獣の国と人間の世界を結ぶ通路のようなものだという。始めからそう説明してくれ、と少年は悪態をついた。
人間を襲う一部の魔獣は、この次元という場所に誘い込んで捕食をするらしい。
大気中に含まれるソサリウムの数は、人間界の方が多いのだが、魔力の消費の量が違う。
次元は魔法や魔獣の国の延長線上にあるため、特有の磁場が働いている。人間界においての魔力の顕現は、次元における消費の倍は費やしてしまうという。
「だからチョードいい場所なのよね、ここ」
おそらくノイリは分かり易い説明をしてくれたと思うが、オートはもう頭がこんがらがっていた。
細かいことを考えるのを諦めた彼は、ここが魔法を使うのに適した場所だというようにだけ捉えた。
次にオートは空腹を覚えない理由を賜った。
聞いたところで理解は出来ない少年だが、何かしら知っておくべきだと思ったのだ。
彼女は一言。ソサリウム、とだけ述べた。便利な代物だとオートは思った。
「けれど、水分は要るのよね。人間程じゃないにしろ……」
言われて初めて、彼は自分の喉が渇いているのに気が付いた。
初日の雨から、少年は水分を口にしていなかった。普通の人間ならば死んでもおかしくない事態にも関わらず、あまり深く考えていなかった。
オートは細かいことを考えるのは苦手で、そういうものだと受け入れるのは得意なのだ。
「じゃあ、ちょっと探しましょ」
その台詞と共に、ノイリの背中に羽根がバサリと広がった。鱗の無い皮膜で作られた艶のある翼は、コウモリのようにも悪魔のようにも見えた。
「……どおしたの?」
差し伸べた手を取らず、ぼんやり彼女を見るオートに不思議そうな声を掛ける。
「飛んで平気か?」
「空からの方が早いでしょ?」
「……いや、魔力」
少年が気に掛かったのは、ノイリの魔力の方だった。ただでさえ尽き掛けていると言われている力を、こんな場面で使っていいものかと考えたようだった。
ノイリは小さく微笑んで、オートの手を思い切り引っ張った。
「これは魔力で飛んでるわけじゃないから、だいじょーぶ!」
弾んだ声で彼女は駆けだすと、オートの手を引いたまま三歩の助走で地を蹴った。無風だった筈の空気が受け入れるように、二人の身体を宙へと包み込んだ。
オートの全力で跳べる高さが信号機くらい、それに対してノイリの飛翔は一山を越える程だった。
高い位置から見ても、一面に広がっているのは荒野だった。
砂利と岩の世界は、生き物の気配がまるで感じない。草木も無いこの場所に、まるで水源があるとは思えない。
どこに向かう気なのか、問おうとオートは彼女の方を向く。ノイリは地でなく、上を向いていた。グレーの絵具で染めたような無機質な空は、雲なんて欠片も見当たらない。
彼女は何を探しているのだろうか。オートが不思議そうな顔を向けた時、ほんのわずかノイリの瞳に光が灯ったような気がした。
「見っつけた」
楽しそうな声を出した彼女は、オートを引っ張ったまま加速した。
空気の壁がピンクと黄桃の髪を棚引かせ、二人は真っ直ぐに宙を飛んでいく。風圧にマトモに目が開けない少年は、普通に瞳を開けているノイリを見て驚いた。
空中で制動したノイリは、グレーの空を指さした。オートは目を見開いた。
天には日本の国旗のように、大きな穴が開いていて。まるで鼠色に塗られた画用紙に、鉄球が落とされたようだった。
「あれが、うろ穴」
「うろ穴……?」
オートの質問もそのままに、彼女は大きな円の真下へと彼を引っ張っていった。
うろ穴と呼ばれた黒い輪に真下は、雨のように水が降り注いでいた。飲んで平気なのか、という少年の問いにノイリは笑顔で頷いた。
「これ人間界の雨だから」
「……どういうこと?」
うろ穴とは次元に出来る正体不明の何かで、人間の世界の空と通じているもの。
それ以外のことはノイリには何も分からないらしいが、ともかく水分補給出来るならそれに越したことはない。うろ穴から降る雨を浴びたオートは、カラカラの喉を潤した。
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