第7話 大鰐


「それより、ほら……」


 震えた腕を上げたノイリが、オートの背中の先を指さした。慌てて振り向く彼の視界に入ったのは、二足歩行のワニだった。


 この間の大カエル程は大きくないが、それでもざっと二メートル以上。


 腕と足は筋肉質で、緑色の鱗をつけたゴリラのような身体。小さいノイリくらいなら丸のみ出来そうな大きな口、怪獣のような鋭い眼光は二人に殺気を放っているようだった。


 そんな相手でも、オートは決して怯まなかった。そう表現するよりも、無意識に身体が動いていたと言った方がいい。


 二歩の助走で飛び上がった少年は、大ワニの腹に蹴りを入れていた。靴に炎を纏わせて、電光石火の如く相手に攻撃を打ち込んでいた。


 鱗に素手を入れるのは危険と判断したのか、次は肘鉄を下顎に叩き込んだ。


 首より上を狙うと噛まれる可能性があると、野生の勘が告げていたのだろう。真っ向から衝撃を受けた大ワニは、背中から地面へと倒れた。


「あれが魔獣ってやつか⁉」


「……そお! いまのオートは人間に見えてんの!」


 ノイリの助言によって、オートは何となく状況を理解した。


 大ワニは自分を人間だと思って、襲ったに違いない。目当ては彼の持つ生命力で、魔獣はそれを取り込もうとしているのだ。


 オートは頭に血が昇っていた。こっちの生命力が目当てなら、か弱い女の子の方を先に狙う必要が無いだろう。


 怒りに昂った感情を燃やすように、彼は拳から火を放つ。まるで死体蹴りのように、倒れた大ワニに何発もの炎を浴びせた。


 火事のように燃え盛る魔物を尻目に、オートはノイリの傍に駆け寄った。目立った外傷は見受けられないが、骨折や打撲も無いのか心配だった。


 大丈夫か、と声を掛けようとする少年。女の子は狼狽の表情で、彼の背の先を指さしていた。


 突如として、オートの腹部側面に衝撃が走った。


 彼の視界が真っ逆さまになり、目の前には雲も太陽も無い空が広がった。まるで大きなトラバサミに、腹を挟まれているようだった。


 首を捻って、オートは自分の下を見る。真っ黒焦げになった大ワニが、少年の胴体に食いついていた。


 胸から腰を分断するように、アバラまで鋭い歯が喰い込んでいた。


 おまけに顎の力は凄まじく、少年がどんなに抵抗しても決して放そうとしなかった。


 右ひじで鼻を、左ひじで下顎を突く。何度も何度も試みるが、いくらやっても力は弱まらない。


 彼から滴る真っ赤な血が、まるで今の大ワニにとっての調味料のようだった。


 オートは少しでも敵から目を背けたことを、今になって後悔していた。ちゃんと仕留めきるまで、油断というものを持ってはいけなかったのだ。


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