6話目 サムタイムス


 8月の昼とは思えないほど部屋の中は夜だった。音楽に合わせて壁に掛けられたレコードジャケットは収縮し、ベースラインで一気に膨らむ。2pacのPVのアニメーションの様に部屋の中をミラーボールが駆け回る。

 しかし天井を見上げるとミラーボールなどなく意識を集中すると天井の木目が一斉にウネウネと動き始めた。



 イメージが直接視覚に繋がり、視界はプロジェクションマッピングのようにその姿を変え続けた。

 幻覚を楽しむだけならこのドラッグは海を越えたこの日本でいつでも手に入ることは無かっただろう。


その威力を知ることになる。



 タクミなんで双龍出てるの?

 純粋に疑問だった。hiphopにはエンターテイメントの側面が必要で、外に広く広める人間が必要だと思うし、双龍は週末のアメ村のイベントとして日本の最前線にあると思う。

 メインストリームの象徴で大都市の洗練された空気を作り込んでいると感じた。ただ、タクミの様な一握りの天才はどの地方であれ突如誕生し、オンラインを席巻せっけんするようなムーブメントを引き起こす。


 多くのプレイヤーを猿に変えてしまう程の才能だった。文化を内に深める存在と双龍はタクミの毛色けいろに違いすぎて、ずっと違和感を感じていたのだ。


「キューさんがな、俺のラップ好きで誘ってくれたんよ。お前は多分、あのイベント絶対興味無いと思うけど、俺はあそこでもプロップスをもらってるし、今はとにかく数打ちたいねん。ノルマも別に言われへんしな。」


 キューさんイケメンやな。

「イキっとるけどインキャなとこあるし人見知りするし、あれで結構可愛いとこあんねん。仕切りもうまいし人もめっちゃ知ってるやん?ええ人やねん。あったかい人やん。」



 俺が思ってた以上にタクミは優しくて体温があった。俺とは違い人を認めて好きになる感性があった。


 俺も昔ラップしてたよ。


「ダンスとちゃうんかい。」


 ブレイキンちょっとだけしてた。ラップの方がずっと本気やったな。めんどかったから言わんかったけど。



 人の目を見て自分の話をするなんて今までだったら考えられなかった。

 気付いたら向かい合って話をするタクミと自分の区別が付かない程気持ちが同調していた。少しだけ残っていた理性はタバコを吸う事しか機能していなかった。

 

 地元のクラブで17からバトルMCしてたわ。アイスバーンとかむっちゃ憧れて、周りのやつ全員ザコやと思ってた。めっちゃイキっとったし今思うとハズい。


 笑顔と真顔の中間でタクミが茶化す。

「なんて名前やったん?」



 カルキンウォーラーボーイ。



「何やそれ!ダッさ!」


 水道水みたいに気付いたら侵食してるって意味。キューブリックの映画見て思い付いた。


「ええやん。おもろいな、カルキン。」


 俺未だに自分のこと特別やと思ってんねん。感性って全員違うやろ?それを出す方法をずっと探してた。お前のラップが凄いって思ったのそういうことやと思う。お前の頭ん中の景色がしっかり伝わってくんねん。



「おいカルキン。」



「ナイスやなあ。書き始めたら1時間くらいでできるし、あとはわかりやすいように、書き直しまくる方がずっと時間掛けてるで。やっぱビビッとくるやつはチャンネルが近い気がする。」

 


 分かる。

「おいカルキン。」



 すごく分かる。LSDのせいなのは分かっているけど、タクミの気持ちがすごく分かった。そしてタクミも俺の気持ちが伝わっているのも分かった。

 他人と自分の内面について、知識も経験もいらない議論をするなんて何年ぶりだろう。答えの出ない話だったけど、少しも苦にならなかった。どんどん本質に迫っては別の結論が出てきて、俺達の話は道の無い草原を静かにひた進んだ。 



 タクミのタトゥーが首筋を泳ぎ回った。

 金魚動き回ってるで。

「ええやん。今どこおんの?」

 Tシャツの中入ってった。

 タクミはTシャツを捲る。へその上、右の脇腹、左鎖骨の下と肩の付け根、背中にもありそうだが動き回っているので、幻覚か区別が付かなかった。

「ええやろこれ。夏って感じするよな。夏好きやし。」


 タクミの体に彫られたらんちゅうは黒と紅のやつが交互に体を滑って、その目は全て歪な黒い痣の様に切り取られて見えた。



 悪寒が走る。


 タクミが変わらないよう閉じ込める様に、まるで、母親が死んでもなお子供を守ろうとする様に、その底の見えないらんちゅうの目が俺を睨んだままタクミの体を縦横無尽じゅうおうむじんに駆け、タクミは全身に鎖が巻かれ、命の取り立てに来た死神が近くに見える様だった。


 その光景だけはその日タクミに言えなかった。何か途方とほうもない、悪い予感がして忘れるように意識を切り替えたんだ。

 このドラッグはまるでジェットコースターの様に気持ちの切り替わりが激しい。しっかり座っていないとどこまでも行ってしまいそうだ。



「またやりいや。ネタやったら俺がなんぼでも引いたるし。お前、くすぶってるで。」


 またやりたくなったらな。




 何となくタクミと俺が似ているってカズトシさんが言ってた事を思い出した。


 寂しがりで負けず嫌いな俺達は、ただ境遇の不条理ふじょうりとか他人の同情とか、そんなもんで自分をはかられたく無かった。

 汚い手で俺の心に触れるなよ。俺達はこんなやり方でしか主張できないけどそうやってしか生きていけない。



「トラックもほぼ自分で作ってる。

 多分LSDは自分の限界を超えたもんくれる。オレンジサンシャインの時間はがっつり40分、おれは全員にブチかますんや。」



 タクミの思ってることが理解できた気がした。脳みそが有線で繋がって、言葉と共に感覚が共有されるイメージ、大麻のハイも、エクスタシーの愛とも全然違う、全く感情の雑味の無い高速のコミュニケーションだった。



 時間の感覚が全く無い。気が付けば準備しなければいけない時間帯だった。

 「バイト行くならビール飲んでいきや。そのままやったらカズさんに怒られるで。」



 すっかり常温になったビールを開けて外に向かう。玄関を開けた瞬間、夏の薄暮はくぼでサングラスを外した。弱めなクーラーに満たされた部屋に外気が押し寄せて来る。

 ビールを喉に流し込んだ瞬間、頭の中に高速で点滅する光を見た。

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