3話目 ポラリス

 アップケミストの非常階段で30分程話していると唐突とうとつに扉が開いた。


 さっきの大柄なMCだった。口髭は短く刈りそろえられ、シカゴカブスのベースボールキャップの下はスキンヘッド、その男は明日には忘れてしまう様な顔をしていた。

 一瞬だけ間があったが男はタクミに呼びかける。


「お疲れっす。こいつ スイミング で働いてる俺のツレです。キューさん。」

タクミが軽く紹介し、俺も挨拶する。キューは俺を一目見る。


「来てくれてありがとう。なんか音楽やっとるん?」


 腹の底が冷めていく。

 昔ダンスしてました。適当な事を言いぎわを探す。


 二、三知り合いの話をし、また顔を出すと言って別れた。

 そのまま非常階段を降りコンビニで水を買う。路上に落ち着くとタクミのライブを見た後の強烈に死にたかった感覚が遠くなり、5分ここに居ようとタバコを吸う。



 最高にキマっている状態でキューを見た時、思わず不快感が込み上げて平常心に戻れたのはなぜだろう。

 考えるがキューでもバトルに出ている奴らでも一緒だったろう。タクミ以外は俺の琴線きんせんれなかった。


 理想の自分が無い事に薄々気付いているくせに、他人のそれを騒ぎ立てて心を落ち着かす。そんな奴らの言葉は、俺には響かない。

 猿真似を習得してオリジナルを主張するやつは俺の生活の邪魔だし全員神に殺されてしまえばいい。



 金曜の夜、都会の熱をコンクリートが歌うように吐き出す。

 6月の最低気温を肌で感じる度セックスがしたくなった。路上に捨てた吸い殻を粉々に踏み潰し店に戻った。


 スイミングの鍵は開いておりオーナーのカズトシ一人だけだった。この人に頼んでスイミングで働かせてもらった。過去は知らないが、穏やかな標準語と父性ふせいを感じ俺が近くに居着いついた。


「ケイちゃんさっき友達とクラブで合流するって出たよ。双龍どうだった?」

 ダンスやってました。適当な感想を言う。


 女の帰るタイミングを充分見計らってきたことはお互いに気付いてるが言わない。

 カズトシさんは決して悟らせないが、僅かに、空気にケイちゃんの体温と匂いを感じた。スイミングのスタッフ全員にフェラチオする壊れかけた女で今はカズトシさんのおもちゃだ。


「タクミかっこよかっただろ?」

 正直びっくりしました。

「あいつもお前に似て変わってるけど社交性あるからな。フットワーク軽いから今色んなとこでやってるよ。今度 オレンジサンシャイン 出るんだって。一緒に行く?」

 二つ返事で了解した。


 オレンジサンシャインは センチメンタルポラリス というインビテーション無しでは入れないジャンルレスな音好きだけのクラブのイベントで、自分で探さなければ決して聞けないような音楽だけで構成されている。

 ストロボとレーザーが高速で点滅する真っ暗な空間で檻の中にブースがあり、その中では普段隠している自分がき出しになる異世界の扉の様な場所だ。




「じゃあ俺帰るから片付けよろしく。

オレンジサンシャインDM来たら連絡するね。」


 締め作業をしていると付き合ってる女から連絡があった。帰るのがめんどくさいから家に来るらしい。先に寝ててもいいと返信し店を出る。



 朝4時のアメ村は一瞬だけ静かになる。熱に浮かされた人の後処理をする微生物の様な人間の活動時間帯だ。

 路上に出た瞬間、大麻の抜け際にある後頭部から広がる熱がよみがえってきた。

 処理が必要だと思い女の眠る家に急いで戻った。

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