通り雨

とむらうめろん

通り雨

 頬に当たる雨粒が次第に強さを増していき、いつの間にかあたりは一面靄ががかった銀色の世界になっていた。

 まずいな。

 横尾はつぶやく。

 早く妻にシュークリームを届けなければならないのにこんなに雨が降っていては雨宿りするしかないではないか。

  横尾の手にはさっき行きつけのケーキ屋で買ったシュークリームの箱と、会社の後輩にもらったなんのイベントのキャラかよくわからないキーホールダーがあった。

 今日は妻との結婚記念日で妻が大好きな一日十個限定のシュークリームをわざわざ会社を早退してまで買ったのにこのザマだ。このままでは一分と持たずにシュークリームはビショビショになり、なんのイベントのキャラかよくわからないキーホルダーの薄気味悪い笑顔に腹を立ててしまうこと間違いなしだ。

 どこか雨宿りする場所はないだろうか。

 周りを見渡すが屋根があるような場所はなく、入れるとすれば、河川敷沿いに建つ小さな小屋ぐらいだった。誰も使っていなさそうだが、入るのには少し抵抗がある。

 この場合、シュークリームを取るか、自分の個人的抵抗を取るか二秒ほど悩んだが、結果、シュークリームに軍配があがった。

 やはり妻の笑顔に代わるものなど何もありはしないのだ。  

 既に、髪は濡れていたが、シュークリームはまだ大丈夫なようだ。

 走って小屋まで向かい、ボロボロのドアをゆっくりと開ける。

 広さは二畳ほどだろうか。ここ二年は誰も使った形跡があるとは思えない汚さだった。

 ずっと使ってないならいいか。。

 横尾は安心してドアを閉める。ここで雨が止むまで待って止んだらすぐに妻にシュークリームを持っていかねばならない。

 五分が経ち、少し待つことに疑問を思い始めてきた。感覚的には通り雨のはずなのだが、こんなに長いものなのだろうか。

 小屋の外から聞こえる雨粒の音は弱まるどころか強さを増し、今も豪快に地面が脈打っている。

 先に妻に連絡しておくか。。

 スマートフォンを取り出し、妻へのメッセージを打つ。妻はまだパートで外に出ているはずだから、メッセージに気付くのはもっと先ではあるだろうが、念の為、だ。

 

 

 十分が経った。まだ雨は止む気配がない。

 遠くの方では雷の音が聞こえる。横尾は少しずつ自分の命に対する危機感を覚え始めた。

 大丈夫だろうか。かなり雨も強いし、風も吹いて小屋が悲鳴を上げている。これ以上強くなるようなら小屋の強度的に持ちこたえられるとは到底思えない。ただしかし、この状況で外に出てしまうのはシュークリームを守らなければならない横尾にとっては取るべきではない手段と言える。

 ここは雨が弱まることを信じて小屋で待つことにしよう。

 この横尾の判断が、二分後に後悔を呼ぶことになる。

 

 

 

 止まなかった。横尾は死への恐怖と妻への懺悔の二つの感情と戦っていた。

 この際、シュークリームを捨てて自分の命を守るべきでは?

 ふとそんな考えが頭をよぎる。

 横尾は首を振った。

 それはできない。シュークリームはなんとしても妻に届けなければならないのだ。

 横尾は決死の覚悟でシュークリームの箱を懐に入れる。

 行くしかない。

 男にはやると決めたらやるしかないことがあるんだ。

 ボロボロの小屋に感謝を伝え、ドアを開ける。川の向かい側の空に光が指している。

 チャンスだ。

 横尾は全力で走った。途中転びそうになることも何度かあったが、それでもバランスを立て直し、家への道を辿る。

 もう少し、もう少しだ。

 玄関の前に着く。自転車があるということは、もう帰ってきているのか。。

 少し安堵し、家のドアを開ける。

「ただいま」

 キッチンへ行くと妻が夕ご飯の支度をしてくれていた。

「おかえり」

 そう言うと妻は、パート先のスーパーでもらったというキーホルダーを僕に突き出した。

 何のイベントのキャラかよくわからないキーホルダーに横尾は少しだけ声を出して笑った。

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