第6話 万聖節前夜祭《ハロウィン》
地獄の釜の蓋が開き、祖霊が戻ってくると言われるのはいつだったか。
日本では『御盆』と呼ばれる期間がそうだったような気もする。
俺も詳しくは知らないが、最近すっかりメジャーになったハロウィンも、御盆と似たようなものではないかと感じるようになったのは最近だ。
ハロウィンには死者の霊が家族を訪ねて来るそうだ。
それだけならいいが、その時一緒に魔女や悪い妖精が現れるらしい。
そんな『悪い者たち』から身を守るために仮面を被ったのが始まりで、それが巡り巡ってどういう訳か、魔女やお化けに仮装した子供たちが近くの家を1軒ずつ訪ねては「
そんなハロウィンだが、楽しけりゃ何でもありなこの国では、本来の意味など知ったことかと街中が仮装大会会場になる。
ただの仮装大会なら何も問題はない。
だがハロウィンの認知度が進んだせいか、はたまた人々の熱気が『そういう場』を作り出してしまうのか、俺にとって少しばかり厄介な日になりつつあるのは確かだ。
御盆はどちらかというと静かな雰囲気だが、西洋由来のハロウィンはお祭りだ。
困ったことに、楽しけりゃ所構わず
十月三十一日。ハロウィン当日の夜。
何度目かの引越し先で、陰気な同居人とぼんやりテレビを見ていると、案の定お祭り騒ぎに目のない奴が押しかけてきた。
「なんかくれ! 酒でも可!」
ドアを開けた途端、声と同時にプシューっと音がして、緑の紐状のものが顔面に吹きかけられた。一昔前に流行った『
スプレーの噴射が止まったところで、俺は目の前の猫男の頭にチョップをくれてやる。
一応中身は入っていたようで、がすっといい音がした。
「悪戯
「猫じゃねーし! 狼男だし! ほれちゃんと狼の尻尾もあるだろーが」
頭を摩りながらくるりと背中を向けた猫男──幼馴染みのケンゴ──が抗議する。
何が嬉しくて野郎に尻を見せつけられにゃいかんのだ。
アホ猫に尻を向けられ、眉間に皺を寄せながら見れば、巨大な尻尾だけのぬいぐるみのようなキーホルダーが、ベルト通しに引っ掛けられゆらゆら揺れている。頭にはどう見ても猫耳にしか見えないカチューシャ。俺の目はその尻尾キーホルダーと猫耳を何度も往復する。
呆れた奴だ。
この猫耳の自称狼男は、特殊メイク並みに気合の入った仮装の溢れる街中を、コレで闊歩するつもりらしい。
「ひと昔のヤンキーかよ。スプレーもだけど、どこで見つけてきたんだよそんな物」
「ド◯キ。行こうぜ、ほらこれお前用」
ケンゴはそう言ってパーティグッズの被り物を俺に差し出した。
ハロウィンのお祭り騒ぎにいつも参加する癖に、こいつの仮装は手抜きだ。ケンゴ曰く「あまり本物っぽいと仲間と勘違いした本物が近寄って来る。怖い」だそうだ。
──分かってるじゃないかケンゴの癖に。当たらずとも遠からずといったところだ。
「どうせ何も用意してねーんだろ?」
「ひとりで行ってこいよ猫男」
「だから狼男だっつーの! こんな辛気臭え部屋にひとりで籠ってないで行こうぜ」
「あんま気乗りしないなぁ」
「いいじゃんか、付き合えよ〜」
俺はちらりと、部屋の隅でじっとりと座り込んだままの
「……まあいいか」
俺は諦めて、
街中に繰り出した俺は早々に後悔した。
辛気臭い同居人とホラー映画でも観てた方が何倍かマシだったかも知れない。精神的に。
実際に何処かの蓋が開いたのかどうかは分からないが、
例えば今すれ違った、仮装というにはあまりにも良く出来ている
問題なのはその人狼の背中に、薄汚れた女性が張り付いているという事だ。周囲は誰もその女性の存在に気付かない。当の人狼でさえ気が付いていない。
奴が何時何処でどんな『
例えばあそこで自撮りをしている、やたら露出の多い三人のゾンビっ
右端の少女の肩を抱くように、通りすがりのゾンビ男がピースサインをして一緒に映り込もうとしている。
腐れた男の体の半分が少女にめり込んでいるが、彼女は全く気にする様子はない。
写真を撮り終えた少女たちが笑いながら雑踏に紛れていく。
その場に取り残されたゾンビ男は次のターゲットを探しにいくようだ。ゾンビの癖に足取りも軽く、行き交う人々をすり抜けながら何処かへ行ってしまった。
──人間ばかりでなく色々なものがはっちゃけているようだ。恐るべしハロウィン。
波長が合えば視える者には見えるだろう。
運悪くそのまま連れ帰ってしまう者もいるかも知れないが、幸いなことにケンゴは昔からそういった事には無縁の男だ。
だが変な事に鼻が利く奴でもある。
「あ、タカヒロだ。おーい! タカヒロ!」
「げっマジかよ」
この雑踏の中よくぞ、と感心している場合ではない。この場で会いたくないナンバーワンの男をケンゴ猫の鼻が見つけてしまったのだ。
ケンゴが呼ばわった先には魔女や妖精の集団がいる。
どれも凝った衣装で気合の入り方が半端じゃない。彼女たちは集団の中にいる男の関心を惹こうと必死だ。
アレに声をかけられるこいつを俺は尊敬する。ケンゴの声に一斉に振り向いた魔女たちの何人かはこっちを睨んでいる。あれはヤバい。呪われないうちに俺は帰りたい。
彼女らが囲んでいるのは、スラリとした白皙の美青年だが腹の中は真っ黒という、幼なじみのタカヒロだ。
奴にとって俺は心霊探知機か何かのようなもので、過去にも心霊スポットに付き合わされたり、似非霊感少女に引き合わされたりした。タカヒロ本人は知らないが、奴が何処かで拾ってきたと思しき和服美人に、奴のマンションで天井から睨まれた事もあった。
タカヒロもケンゴ同様何も見聞き出来ないが、オカルト狂といっても過言ではない男なのだ。
タカヒロは黒いマントを羽織っただけで、仮装のいい加減具合は俺たちとどっこいどっこいの筈なのに、薄っすら笑みを浮かべた唇は赤く、血を吸ったばかりの
大勢の女性に囲まれていても妖怪アンテ、オカルトアンテナ装備の奴の興味は俺に向けられる。
「やあ久しぶり。そういえばまた新しいアパートに引っ越したんだっけ? 今度の所は
「別に普通だ」
「ふうん。それはそうとケンゴは分かるが、お前がこういうのに参加するのは珍しいな」
「心霊スポットじゃないからな」
確かに心霊スポットではないがハロウィンの今日は違う。タカヒロに感づかれると色々厄介なので、さっさと退散すべきだろう。
今も何だかよく分からないものが地面を這いながら擦り寄って来る。ハロウィンの悪戯は勘弁願いたい。
俺が僅かに立ち位置をずらすと、タカヒロがすっと目を細めた。
「何か
「さあな。しかし今日の
俺はすっとぼけて話題を変えた。だが話している事に偽りはない。
華やかな魔女や妖精の中で一際異彩を放つ女性がいる。『貞子』だ。
勿論本名では無い。その容姿がそっくりなので俺が勝手にそう思っただけだ。
長い黒髪のせいで彼女の表情は窺い知れないが、周囲の女性たちに何やら禍々しいものを発している。だが然程力は強くないようで、生者のパワーに押され今にも集団から弾き飛ばされそうだ。
タカヒロよ『灯台下暗し』って言葉を知ってるか?
何処で拾ったか知らないが、お前の恋い焦がれる
だが俺は『今回も』タカヒロに教えてやるつもりは無い。
「色々面白いものも見れたし、俺はもう帰るよ」
「ええ〜? まだいいじゃんかよ」
「おい待て、面白いものって何だ」
「まあ
俺はケンゴにひらひら手を振り、タカヒロに向けて
が、応援はタカヒロにではなく、奴の背後の『貞子』に向けたものだった。それに気がついた彼女は棒のように細い親指をゆるりと上げた。
サムズアップとは、彼女も充分はっちゃけているようだ。やはりハロウィン恐るべし。
お祭り騒ぎから離れ自分のアパートに帰り着いた。
灯りを点けても俺の部屋は少し薄暗い。
確かに辛気臭いが『事故物件』だから仕方がない。
引っ越しして数日しか経っておらず、未だ同居人が『薄まっていない』のだ。
だがケンゴの「辛気臭い」発言は、俺が『
寧ろ部屋の異常に気がついての発言だったら、俺は能天気なケンゴへの認識を改めなければいけなくなる。
事故物件の原因になった『同居人』は、相変わらず部屋の隅にじっとりと座り込んだままだが、死亡理由が一酸化炭素中毒なので、その頬は血色が良く薔薇色だ。
身体の他の部分も綺麗なもので、さっき見かけた『自分の血で』薄汚れた姿をしていた人狼の背後の女や、女の子たちに絡んでいた
「辛気臭くても妙にはっちゃけてない分、
当然答えは無い。
俺はフランケンシュタインの被り物を放り出し、そのままごろりと横になった。
───
死者の祭。
語源はAllhallows Eve。万聖節(古い英語で Allhallowmas)の前夜祭のこと。
俺の非日常な日常 依澄礼 @hokuto1
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