第34話 ファイナルファイト

 私の子だ……、男の子。

 どうやらまだ、戦闘は始まっていないらしい。


「……本当に大丈夫なんでしょうね」

「いまさら言うか、それ」


 手元に近い、ワンダの髪の毛を引っ張りながら。

 落とすぞ、という脅迫にも屈しないで、


「それもそうよね……。この作戦を認めた事に後悔はないわよ。

 モダンをこうして、抱く事ができたんだから……」


「お前は結構、親バカになりそうだ」


 否定はできなかった。

 だって、今の時点で既にデレデレである。


 厳しくしようとは思うけど……、モダンに甘えられたら、断れる自信がない。


「どっちに似ても、良い子にはならなそうだ」

 それはどういう意味かな?


「それは、今はともかく。あとでたっぷりと拷問にかけるわ」


 私が気になるのは一つ。


「七歳の段階で、本当にリグに匹敵する力があるのかどうかよ」


 魔法によって早めた成長を止めたのは、ワンダだ。

 だったら、そこに理由があるのが当然だと思うじゃない。


「テキトーではないけど、勘とかなんとなくとか、そういうもんに近いと思う。

 けど、博打ばくちじゃない。

 モダンが言ったんだ。俺には聞こえた。

 もういけるって。伝わってきたんだよ」


 だから七歳なんだ。

 決して、俺が魔法を使うのがつらいからじゃないからな!? 

 必死に言うと、逆に怪しいから、やめて。


 でも、疑ってはいない。

 この場面で不完全な状態のまま送り出すはずもない。

 ワンダの中で信じられるものがあった――、

 それだけの理由があれば、納得できる。


「モダン、頑張って……。

 お父さんを、止めてあげて」


 そして動き出す。

 先に手を出したのは、リグの方だった。




 七歳って、平均的な身長ってどれくらいなんだろう……。

 リグと比べてるから仕方ないけど、モダンが小さく見える。

 迫る蹴りが、まともに当たれば、モダンの体なんかすぐに壊れてしまう。


 モダンが自分の子供だなんて、リグには分かるはずもない。

 その蹴りに手加減はなく、自分の領域に入った邪魔者を排除する、本能的な行動だった。


 私は見えなかった。

 かろうじて残像が見えただけで、

 リグの蹴りはモダンを吹き飛ばす――瞬間に、


 ぴたっと、止まった。

 十からゼロの変速。


 反動なくぴたりと止まったのは、リグが器用だったから? 

 違う。


 ――リグの蹴りを、柔らかいその手の平で、モダンが止めていた。


 とんっ、と押しただけで、リグのバランスが崩れた。

 片足立ちのリグの唯一の支えを、モダンが蹴りですくい上げる。


 落下が始まるが、リグは片手で着地するつもりだったのだろう。

 一秒もかからない間に、リグの視界は回転する。


 リグは転がっていった。

 そして、瓦礫の山に突撃する。


 モダンは突き出した手の平をにぎにぎと、握りながら、

 私達の方を振り向いた……気づいてたんだ……。

 そして、手を振ってくる――嬉しそうな笑顔で。


 なにあれ……、

「可愛い! 格好いい!」


 さすが私の子! リグを吹き飛ばしちゃうなんて!


「これは、当たりだな」

 ワンダが安堵の息を吐く。


「良かった……」

 私は思わず膝を折り、地面に手をつく……。

 疲れがどっと出て、つられてワンダも倒れてしまった。


 屈んで、おでこに手を当て、彼の熱を測るランコ。


「……うん、大丈夫かな。

 ただの疲労だよ。休めば治るから。

 ……良かった、本当に」


 彼女も、安堵の息を吐く。


 私も膝を着きながら、モダンに手を振り返す。

 凄い凄い、と褒めてあげたい。

 今すぐにでも抱きしめて、頭を撫でてあげたい。


 でも、油断はダメ。

 充分に凄いけど、あれでリグが止まるとは思えなかった。


 現に、ほら。

 瓦礫に背中を預けていたリグが立ち上がる。


 そして、その口元は、笑っていた。


「……お前、誰だよ」

 そう言った。

 ……言った? リグが、思考をした?


「理性、戻ってる……」


 なら! と思った時には、既に戦いが再開されていた。

 フェイントが混ぜられたリグの拳が、モダンを襲う。

 モダンにはリグと同等、それ以上の才能があるとさっき分かった、けど……、

 経験の差は大きい。リグのフェイントを見切れるモダンじゃない。


 状況は分からなかった。

 でも、モダンが危険だって言うのは、見えなくとも、気配で分かった。


 ゾッとした。

 それだけで充分過ぎる情報だ。


 ――だけど今度もまた、リグの拳が止まった。


 モダンはいま、気づいたみたいで、近づいた拳にびっくりしていた。

 ……ってことは、止めたのはリグの意思……? 


 本人は驚いており、そして首を傾げた。


 小さく呟く。

「……フォアイトか?」


 一瞬前まで危険が迫っていた事に気づいたモダンが、今更ながら反撃をする。

 遅いが、しかし、間に合う。


 今のリグは動きを止めていた。

 モダンの掌底が、リグの胸を打つ。


 衝撃が波打つ。

 びりびりと、その衝撃が見物人の私達にまで届く。

 地面の亀裂が、さらに深くなった。


「リグは、倒れない……」

 体の芯に届き、血を吐いたリグは、モダンのその腕を掴む。


「似てる……、フォアイトの面影がある。

 匂いだってそうだ――あいつのものだ」


 弟の昔の服を妹が持っていて、

 それを着せたのだから、私の弟の匂いが強いと思うけど……、


 家の匂いは本人の匂いみたいなものだから、

 リグがそう思うのも無理はないかな。


 ……匂いで気づくのね、なんだか恥ずかしい。


 それにしても、面影、ね。

 リグの面影もあるんだけど、本人はやっぱり気づかないのかしら。


「お前は……」


「おとう」


 ――さん、をつけないモダン。

 父親だと認識しながらも、中途半端なのは認めていないからなのかしら。


 いや、単純な呼び方の問題かもしれない。

 まだ七歳のモダンに、考えて呼んだとは考えにくいし。


「おとうには渡さない」

「……? なにをだよ」


 お母さん、とモダンが私を見た。

 拳を私に向けて、突き出す。

 

 それは約束のポーズだった。

 私も小さく、拳を突き出す。


 くっついた気がした。

 私の子は、リグから私を、奪おうとしているらしい。


 ……最高なんだけど。


「フォアイト、にやにやし過ぎだよお」

「あれよ! あれが私の子なの! 可愛いわよもうっ!」


 はいはい、分かってるわよ、と、

 隣のランコも同意してくれる。

 なんかもう、リグとかどうでも良くなってきたかもしれない。


「あ……」

 そこで、リグと目が合った。

 向こうも気づく。


 互いに気まずい思いがあるはずなのに、逸らす事はしなかった。

 目を、離さない……。

 意外にも、先にはずしたのはリグの方で……、


「お前、フォアイトが、欲しいのか?」


 モダンは、うんっ、と頷く。

 子供らしく、わがままに。

 そして、子供っぽいと言えば、リグだって負けてはいなかった。


「……渡すか。お前にだけは、絶対に渡さねえ」


 それは、もしかしたら、同族嫌悪かもしれない。

 もう一人の自分を――過去の自分を見ているようで。

 だからリグは、いつもと違って、余裕がないように見えた。

 自分の力が通用しないのもあるかもしれない――、


 リグの天敵は、自分の子供だった。


「フォアイト。俺は、裏切り者か?」


 怪盗を逃がし、私達に牙を剥いた事を言っているのだろう。

 簡単に、許せるわけがなかった。


 確かに、裏切りではあった。

 けど、それはこっちも同じだ。


 リグが一度、私達を裏切ったのなら、

 それに値する裏切りが、私達にもあったはずなのだ。


 冷静に見れば、そう思える。

 リグが自分勝手に出ていくとは思えないのだから。


「ええ、裏切り者よ」


 私はそう答えた。


 ただし、


「――出ていく事は許さない。あんたは私を守ると言ったでしょ。

 だったら約束を守りなさい。私とあんたの子を、一生、責任を持って。

 というか、私を汚した責任、取りなさいよ」


 自分から覚悟を決めて人妻になったわけだけど。

 それを盾に、リグを引き寄せる。


 もう絶対に手放さないように。

 しっかりと、掴むためにも。


「……俺と、お前の、子供……?」


 うん、と私は頷く。

 指を差す。

 モダンもきょとんとした顔だったが、

 理解したのか、そだよ、とリグを指差す。


「だから、おとう」

「お前、じゃあまんまる卵から産まれたのか!?」


 おい、私をなんだと思ってるわけ?


 いや、違う。知らないんだ。

 リグは人間の子供がどうやって産まれるのか、知らない。


 ……驚いた。妹よりも無知だったとは。

 純粋、と言えるのか……、

 単に知らないだけで、性欲の猛獣かもしれないのに。


「……それはないか」


 リグにそういった気配はなかった。

 さり気なく誘ってみても、ラッキースケベも、いつも通りに接してきたし。

 アピールが通じなかったのは、区別がつかなかったからだろう。


 いつも通りの私と、その時の私との違いが分からなかったから。

 意識していなければ、そうなる。


 意識されていないのか……と、ショックだったけど、今更だ。

 今はもう、既成事実がある。

 こうして子供がいる以上、リグが選べる女は私しかいない……、


 卑怯? 知らないよそんなの。

 緊急事態で、これしか手がなかったのもある。

 それを利用したのは、私のやり方だ。


 まともにやって落とせないなら、

 まともじゃないやり方でやるしかない。

 結果、こうして、リグは私の手元にあるのだから。


「……愛情はないけどね」

 もしかしたら。

 だからモダンは、リグを敵視しているのかも。


 私への愛情がないから――敵だと思っているのかも。

 全ては想像だ。けど、全部が間違ってるとは、とても思えなかった。


「おとうには、負ける気しないよ」


 モダンは勝利を確信した笑みを見せる。

 モダンが見ているのは、戦いじゃない。

 

 別のところで勝負を挑んでいる。

 それが分からないと、リグに勝ち目はない……。


 拳と力だけじゃあ、勝てないものもあるのよ。


「そうか」

 リグは自分の手の平を見つめ、握る。

「お前に敵わなくても、良い勝負にはなりたいもんだ」


 リグが、妥協した……? 

 勝利ではなく、良い勝負をする、事に……?


「おとう……」


 モダンは不安そうに顔を歪める。

 私も同じ気持ちだった。

 今のリグは、いつもとは少し違う。


「……今のおとうには、もしかしたら、敵わないかも」


 モダンの言葉の意味を、当時は理解できなかった。

 その後の勝敗も、結局、リグが勝利を収める事で、全ての騒ぎが終結する。



 あとになって。


 この時の会話を、随分と遅れて理解した時、


 私はリグに、思いきり抱き着いた。

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