第10話 休戦

「まったくもうっ」


 目が覚めた後、汗のせいでびしょびしょになった服を着替える。

 用意してくれたのはランコだ。


 どうやら、彼……、リグヘットが呼んでくれたらしい。

 かなり仲が良さそうなところが気になるけど、

 とにかく、今はランコをなだめるので精いっぱいだった。


「毒が散布されてる場所に向かっていくなんて、信じられないっ」


「だって……」

「だってじゃなくて!」


 そ、そんなに怒らなくても……。


 私のために言ってくれてるのは分かるんだけど……さ。


 窓の外を見ると、夕焼け空。

 もうそんな時間か……、毒にうなされてから、五時間くらい眠っていたらしい。


 そして、ランコの服に着替え終わった頃には、まともに立てるようになっていた。

 完全回復とはいかないまでも、苦しめられた気持ち悪さはない。

 しばらく眠ったおかげで、スッキリした気分。


「ランコ、ありがと」

「お礼はリグに言ってあげて。フォアイトを助けたのはリグだし」


「リグ……」


 リグヘット……ああ、そっか、あだ名か。

 仲が良くてよろしいわね。


「ん? 疑うようなその視線はなに?」

「べっつにー」


 ワンダがいながら、なんだかなーって。


 それだけよ。


「ものすごく嫌な誤解を受けてそうな……、

 でも、この前に説明したし、大丈夫だよね?」


 目を逸らしたのに、大丈夫っ、と、

 自分の中で完結させたランコ。


 私の事、無視だよね。

 いいけどぉ。


「あ」

「買い物、言われた通りにできたぞ」


 扉を開け、買い物袋をランコに手渡す男。

 リグヘット……、私のターゲットが目の前にいる。


「あんたッ――」

 私が敵意を剥き出しにして睨み付けると、脳天に拳骨が落ちた。

 不意打ちでもあるけど、かなり痛くて、うずくまる。


 ううっ……、

 見上げると、ランコが仁王立ち。


「命の恩人にその態度はないでしょー」


「ご、ごめんって。ごめんなさい。もう睨まないから」


「ふぅーん。じゃあ、リグに言う事は?」


 敵だけど、だけども……、命の恩人に変わりはない。

 向こうは買い物袋を漁って駄菓子を選んでいるけど、関係ない。


「あの……、助けてくれて、ありがとう」

「ん、うん」


 完全に興味が駄菓子に向いていて、私の事など見ていない。


 いつもは上から目線の私が下手に出ているのに。

 なんだこれ、拷問か?


 このままだとまた憎まれ口を叩いてしまう。

 普通に攻撃してしまいそうなので、自分から距離を取る。


 あと、なんだか、気まずくて、照れくさい。

 だって、温もりが、まだ残っている。


 眠っている間、ずっと安心できていたのは、握り続けていたから。

 握り続けて、くれていたから。


 手の平を見つめる。

 リグヘットの、手を見つめる……。

 さっきまで、繋がっていた……んだよね?

 意識し出すと、もうダメだ。


「どうしたの?」


 わひゃっ、と慌てて、両手を後ろに隠す。


「?」

 と首を傾げたランコには、なんでもないよ、と誤魔化しておく。


 隠す必要もなかったな、と思い、

 すぐに後ろに回した手を戻したので、ランコも追及はしてこなかった。


「リグ、簡単な料理は作っておくから。あとは大丈夫?」


「ん。うん」

「あんたね、駄菓子すら作れないのなら、任せられないよぉまったく」


 これはね、こうやってねりねりするのよ、と、

 プラスチックのフォークを一緒に握って、駄菓子を作る二人。


 ……ああ、浮気とか考えたのが馬鹿らしい。

 夫婦とか、カップルとか、そんなんじゃなくて、

 姉弟とか、親子とか、その類だ。


 というか、リグヘットのスキルが拙いなあ……。

 一人じゃなんにもできないんじゃあ……。


 なるほど、だからランコが……、でも、毎日ってわけじゃないよね?


 ワンダもいるのに、リグの世話まで見てたら、ランコが倒れちゃうよ。


「私は大丈夫だよぉ。

 でも、リグのためにも、一人立ちしてもらわないと」


 ワンちゃんなら一生一緒だから、一人立ちしなくてもいいんだけど。

 ――なんて言う。

 甘いよ、逆にあんたはワンダの敵なのか。


 それから。


 ランコは体調の悪い私のために、消化に良いものを作ってくれた後、

 私とリグヘットを残して、部屋を出ていく。


 これからワンダの世話を、楽しそうに焼くんだろうなあ、と、

 楽しそうな表情には、少し羨んだ。


 部屋に二人きり。

 私はもう帰ってもいいんだけど、というか、帰るべきなんだけど……、

 なんだろう、動くに動けない。


 特になにをしているわけでもなく、言ってしまえばなにもしていない。

 テレビもなく、ラジオもなく、本当に無音。

 リグヘットは町で買ったらしい、パズルの玩具で遊んでいた。


 私を残して、一人遊びをするのか……。

 構って欲しいわけじゃないけど。

 あと、一応、敵同士なんだけど……。


「ん、またダメだ」


「一面だけ揃えようとするからよ。

 他の面にも気を遣いながら……、私も詳しくは知らないけど」


 なるほど、と頷くリグヘット。

 本当に分かったの……?


 再び会話がなくなる。

 あれー? 私ってば、会話センスはある方だと自覚してたのに。


 なんか、話題、話題っ。

 ……いや、ここは気を遣わず、聞きたい事を聞けばいいか――色々ある。


「……ねえ、狂男――、背の高い同年代の男の子なんだけど。

 昼間のお店の、扉の前に倒れていなかった?」


「…………」


 スルーされた。

 パズルに熱中し過ぎじゃないかなあ?


「ちょっと、おーい」


 呼んでも気づかれない。


「リグヘット」


 これもまた。


 それにしても、長いな、名前。

 もっと呼びやすい名前とか……、

 確かランコは、リグ、とか呼んでいたような……。


 呼びやすいから、呼ぶだけで……、うん、それだけだし!


「……リグ」


 と、自分でもびっくりするくらいの小さな声で呟くと、しかしこういう時だけ、


「ん? なに?」


 と返事をする。


 た、タイミングわるぅ! 

 いや、呼んだの私だし、返事されるのは当たり前だし!

 願ったり叶ったりなんだけど……、でもさあ、空気を読めよ。


「えと、昼間! お店の前にいた長身の男、知らない!?」


 なぜか声が大きくなる。

 つられて、相手も声が大きくなった。

 近距離なのに、山から山へ呼びかけるような声量で。


「あいつなら、病院! 

 お前を助けた俺を見て、あとは頼むって、言われたからな。

 頼まれた以上は、責任を持ってお前を守るよ」


「そ、そう……」


 騎士団として、どうなんだろう。

 敵に私を預けるって。


 ……でも、私を助けたのは、こいつ。

 リグヘット。

 だとしたら、やっぱり――、


「毒」

「おう」

「毒は……、やっぱり効かないの?」


 もう、答えが出ている質問。


 けれど、一応。


「まあな。小さな頃から毒には慣れてる。

 抗体を作る速度が速いとか、育ての親は言っていたな。

 だから、俺に毒は効かないらしいぜ」


 どういう構造かは知らんけど、と。

 それは、私だって分からないけど。


「そっか……結局、狂男でも無理なわけね」


 遠距離のモヒカン、中距離の狂男――、

 だったら、近距離の後光しか残された道はない。


 まあ、騎士団のメンバーはまだいるわけだし、まだ手がないわけじゃない。


 しかし、中でも飛び抜けた者を選抜しているわけで、

 それがダメだとなると、彼を倒すのは難しい。


 ……しかし、なぜこんなにも強いのだろう。

 後光の調べによると、


 狩猟者ハンターの免許を持っているわけでもない。

 かと言って、ダンジョン攻略者というわけでもない。


 記録が一切ないのだ。

 何者なのか、分からない。


 だから――、

 踏み込んでみようと思った。


「あんたは――なに?」


 初めて出会った時と同じ質問。

 比べてみると、私の興味のベクトルは異なっている。


「リグヘット」

 あの時と変わらず、あいつも同じように返す。

「ただの旅人だ」


 嘘つけとしか思えないが、そう指摘するのもおかしな話だ。

 それに、そう名乗ったのはなにかを隠すため、とは、とてもじゃないが思えない。

 リグヘット……、こいつの中には、人間特有の嘘が混ざっていない。


 純粋。

 不純物が混ざっていない。


 だからこそ簡単に染まりやすく、

 染まらなくとも、こいつの気まぐれで毒になったりもする。


 見て感じたその強さは、平気で魔獣を狩ることができる。

 それはつまり、人間なんていとも簡単に――。


「ふうん」

 ま、モヒカン、狂男……それより前、私が実際に体感した事だ。


 敵意を向けなければ、リグヘットが矛を向ける事はない。

 よく考えれば、いや考えなくとも当然の事ではあるんだけども、

 今更ながら、強力な相手への安全地帯を見つけると、ほっと安心する。


「できた」

 すると、リグヘットが完成したパズルを見せてくる。


「いや、だから一面だけ揃えるんじゃなくて……、いいや、もう」


 満足そうなこいつの顔を見たら――まだ五面あるよ、続けたらその過程で、揃えた一面は崩れるよ、とは、言えなかった。


 彼は大事そうに、パズルを棚の上に置く。

 せっかく揃えた面は、正面から隠れるように右に向いていた。


 飾った意味あるのか……? 

 飾ったと言うより、置いただけかも。

 鑑賞に興味はなさそうだもんなあ。


「そう言えば、お前は?」


 ん? と返すと、

「いや、名前。

 姫様ってのは呼ばれてたから分かるけど、それだけだし。名前が知りたい」


「あんた、名乗っても忘れそうなんだけど……」

 まあな、と頷かれた。


 名乗るモチベーションがすっごい下がるんだけども……。

 まあ、続いた会話としては、当然の流れか。


「フォアイトよ」

「ホワイトね」

「フォアイト!」


 忘れる以前に覚える気がないじゃないか!


 確かに、間違えやすいとは思う名前だけども……、

 しかし、間違えやすいからこそ、覚えやすいとも言えるはずでしょう!?


「フォアイトな、覚えた」

「信用できないわね……」


 明日になったら平気でおまえ呼ばわりしてきそうな感じだ……。


 ともかく、一段落したところで、ランコが用意してくれた料理を用意する。

 リグヘットに任せると、鍋ごと二人でつっつくことになる、大ざっぱな食事風景になるので、小皿(ランコが用意してくれた)に取り分けて準備する。


 木でできた、お箸……

(お箸? フォークとスプーンはないんだ)

 と言うらしいそれを取り出す。

 ぱきん、と割れ、二つに分かれた。


「なにそのイリュージョン!」

「常識がないのはどっこいどっこいな気がするぞ」


 そもそも、お箸を使う料理が家で出てくる事がないから。

 一度も見た事がないってわけではないけど、こうして実際に使うのは今日が初めて。

 これ、口に入れてもいいものなの……?


「挟んだ料理だけを器用に食べなければいけない、とか……?」


「食事中にそんな難易度の高いことさせるかよ。

 広く普及してるんだから、体に毒はないよ」


 へえ、と感心するばかり。


「……けど、用意されてるのおかゆだけど……」

「おかゆは知ってるんだな」


 風邪を引いた時とか、別に、私達でも食べるし。

 食材にはこだわっているけど。


 作ってくれたランコには悪いけど、やっぱり、質は当然、違う。

 しかし、見て不味いって感じもしないし、スプーンがあれば完璧だった。

 ランコめ、ここまで用意しておいて、スプーンを忘れるって……。


 大事なところが抜けてるなあ。


「でも、なんでおかゆ……」


 体調が悪そうだった、私のため? 

 でも、そうなるとランコは、

 私がリグヘットの家で夕食を食べる予定で作っていた事になる。


 男の家に私一人を置いていくって、薄情というか、鈍感というか。

 ……まあ、リグヘットなら、襲われる事はないだろうけど。


 襲われなさ過ぎる気もする。

 こうなると女としてのプライドの方が心配だ。


 なにもされない事で、痛い目に遭っている気がする。


「お箸でも食べられないこともないし……、いただきます」


 当然、お箸を使っても、中々すくえない。

 ほとんどがこぼれ落ちる。

 間抜けな食事風景になっていそうだ……。


「――って、なんであんたは普通にすくえて食べれてるのよ!」


「なんでって……、できないのがおかしいじゃんか」

 バカにされた! こんな田舎臭い世間知らずに!


「もたもたし過ぎなんだよ……、えっと、お前は」


 いま、完全に私の名前を忘れていた。

 早速だよ。


 まあ、予想通りと言えば、そうだけど。

 もちろん期待通りではない。


「こう、掴んで、ぱくっ! とすぐに食べる。

 そうすればこぼれない。こぼれる時間の隙間を作らないのがコツだ。

 というか、掴んだらすぐに食べたいんだから、自然と素早く手が動くと思うぞ」


「そんなにがっついて食べないし、

 そこまで速く手は動かないし、それに、お行儀が悪いでしょ」


「それを言い出したらお前も首に白いタオル巻いてないじゃん」


「聞きかじりを下回るレベルの知識をどうも」


 そこで判断されても……、

 しかもナプキンを首にかける人なんて滅多にいない。


 膝の上に置くのが普通。


 まあ、私も知ってはいても、いつも無造作に投げているけど。


 確認しておくけど、これでも一応、この国のお姫様。


「はいはい、お行儀が悪いとか、私が言うなって感じよね。

 まったく……スプーンはないの? お箸は難しいから、それで妥協するわ」


「ないよ」

 ……ないなら、用意するのがあんたの仕事でしょ。


「違うよ、俺はお前の部下じゃねえ」

 と、黙々と食事を再開させる。もぐもぐと。


 良い匂いがしてるし、

 目の前で美味しそうに食べられると、がまん、できなくなるじゃない……。


「皿を持って傾ければ? 猿でもできる工夫だぞ」


「唇が火傷するでしょうが! 

 できたてほやほや、何℃だと思ってるの!?」


「お、おう、その行動自体に文句はないんだな」


 あるわよ! 

 そんな豪快な食べ方、私に限らず、男子の前で女子がする事じゃないわよ! 


 いやまあ、あんたを男子として意識しているとか、そういう話じゃなくて。

 なんとも思っていなくとも、自分のあられもない姿を見せたくないだけだから!


「なんでもいいよ」

 そんな素っ気ない返事。

 それが一番むかつく! あーもうっ! お腹空いた!


 仕方なく、お箸を使ってすくう――、

 まったくすくえないわけじゃないから、ちょっとずつ、

 ほんのちょっぴり、少しずつ、食べていく。


 全然、腹の足しにならない。

 ここはもう諦めて、豪快に器を傾けちゃおうかな……、と逡巡していると、


「おい、口を開けろ」


 隙を突かれたので、自然と素直に従ってしまう。

 雛鳥のように口を開けると、多くすくわれたおかゆが口の中に入る。


 じわあ、と美味しさが広がる。

 飲み込むと、食道を通って胃に落ちていくのが分かった。


 んー、ランコのやつ、料理が上達したなあ。

 元から、家事全般は上手だ。

 それが全て、ワンダへの奉仕のためというのが、やっぱりもったいないけど。


「……ん?」

 そこで気づく。

 そのおかゆは、どこから? 


 お箸……リグヘットの。

 おかゆも、リグヘットのお皿の中から……、


「あんた、もしかして――」


「言われたまま、まさか雛鳥みたいに求めるとは思わなかったな……」


 あっ、……ああっっ! 

 超高速で、あーん、をされた! 


 なんてムードの欠片もないんだろう……。


 無人島で夜空を見上げながら、

 自分がいる居場所を星の位置と角度で特定するみたいな、

 シチュエーションがサバイバルに通じてしまっているこの感じ。


「最悪よ!」

「でも、美味いだろ?」


 ――同意を求めた、そんな、笑顔を向けられたら。

 ……怒るに怒れないじゃない。


 だって、上手くすくえない私のためにしてれたことだし、

 失礼ではあっても、悪意はない。

 というか、最初から最後まで、リグヘットに悪意はなかった。

 そんなこいつを一方的に責めるのは、違うだろう。


「もういらないか?」


 私も改めて、手元のお箸ですくおうと……、


 しかし、上達の兆しが見えない。


 私のやる気が低下しているのも、理由の一つでもあるけど。


「……いる。もっと私に食べさせなさい、バカ」


 口を開けて待つ。

 運ばれたおかゆの味を、

 それからの私は、どうしてかあんまり覚えていなかった。

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