第9話 vsリグヘット その2

 うごめ蜘蛛くも達が、

 リグヘットが肉に噛り付いた瞬間を合図に、全て離れていく。


 テーブルにぼろぼろと落下し、

 そして、テーブルの裏側へ避難する。


 ……注入したのは、毒だ。

 食中毒などという優しいものではなく、

 巨大な魔獣さえも昏倒させる、強力な毒だ。


 派手さはないがこれでも神器。

 あの蜘蛛達も、神獣の分身と考えてもいい。


 つまり、集団の中の一匹一匹が、ただの数合わせじゃない。


 好戦的な蜘蛛達は、あれでほんの一握りだった。


 神巣は店内に設置されている。

 いつでも、

 やろうと思えばリグヘットを蜘蛛で包む事だってできてしまうのだ。


 それをしないのは、まあ、狂男の性格と言うしかないけど。


「……?」


 怪訝な顔をする狂男の様子に、私も余裕ではいられなくなった。


 見れば、

 リグヘットはステーキをおかわりしており、既に三枚目に噛り付いている。


 それも、ほとんど二口で食べ終わっていた。

 どんな口だ、というか、どんな胃だ。

 ――どれだけ喰うんだ、こいつは。


 いや、それよりも、


「……毒は、きちんと入っているのよね?」


「入ってる」


 はず、ではなく、入ってると断言した。

 運ばれてきてから食べるまでのインターバルが短いので、

 毒が充分に入り切っていない内に食べているのかと思ったけど――、


 それでも、注入した部分には集中しているわけで、

 そこを避けなかった場合、どうしたって毒の餌食になるはずだ。


 それに、三枚目の肉は運ばれる前、調理段階で毒を含ませていた。

 なのにもかかわらず、

 リグヘットは表情一つ変えずに、三枚目の肉を全て平らげた。


 そして四枚目を追加させた。

 ……毒、もしかして、既に抗体があるんじゃないの……?


「神器だぞ? 神器が生み出した毒だぞ? 

 ……抗体なんて、あるわけないだろ」


 言葉が震えているのは確信がないからじゃなくて……? 

 どれだけ口で勝利の確実性を訴えても、

 実際に勝利への兆しが見えていない時点で、

 手元にどれだけ材料があっても、説得力には繋がらない。


 もしかして、狂男でもダメなの……?


「いや、まだ手はある……」


 思い詰めた表情で言われても、嫌な予感しかしないよ……。


 俺にも、店内の知り合いにも、抗体はある……。

 だから、死にはしない。


 ――つまり?


「最も強力な毒を店内に充満させる。……窓を閉めるぞ」


 手伝え、と姫をこき使う。

 ……あとで覚えてなさいよ。


 しかも、さり気なく気づかれないように、とか、無茶ぶりをしてきやがった。

 気づかれないように、ってのは無理。

 音と光のせいで、たとえ後ろ向きでも気づくでしょう。


 閉め終わり、狂男と店長を繋ぐ無線機に動きがあった。


「大丈夫だ、安心しろ。

 見捨てやしねえよ。あんたはただステーキを作っていればいい」


 店長は、はいと頷き、仕事に戻る。

 そして、最後に店の入口の扉も閉め、狂男が背中を扉に預けた。


「姫さん、マジで離れてろ」


 彼の目に冗談の色はなかった。

 そう、私には抗体がない。


 つまり、最も強力な毒でなくとも、

 私は狂男の毒を少しでも体内に入れただけで、反応してしまう。

 なので、素直に距離を取った。


 私が離れたのを確認し、指を、ぱちんっ、と鳴らす。

 ――それが合図だった。


 店内から、人が倒れる音が聞こえる。

 建物の隙間から、紫色の煙が天に昇っていく。


 建物を構築する丸太が、腐り始めた。

 ドロドロぉっ、と、木材の悪い要素が抽出されたような。


 ふらっと、一瞬の眩暈。

 膝がなぜか震える。

 ……嘘、距離を離しても、影響が……。


「姫さん! さらに十メートルは離れろ!」


 途切れそうになる意識の中、なんとか聞こえた声に従い、慌てて離れる。

 離れていくごとに、意識が戻ってくる。

 震えていた膝も、もう笑っていなかった。


 後ろを振り向く。

 扉に背中を預けていた狂男が、横になって倒れていた。


「ちょ――なんで!?」


 あんたは無事なはずでしょ! 

 抗体とか関係なく、だって神器の持ち主なんだから!


「毒使いが、自分の毒は効かないっていう先入観は、間違いだよ。

 まあ、確かに、普通の毒なら大したことないけど……下痢になるくらい?」


 それでもなるのか……。


「でも、この毒は、俺でもまともに喰らうぜ、まったく……」


 死にはしないが、と、最悪の展開は免れたけど、

 見て分かるほどに体調の悪い狂男を、放ってはおけなかった。


 足を一歩、踏み出す。

 たぶん、そこが毒の範囲だったのだろう。


 世界が変わったかのように、視界が溶け出した。

 世界が変わったんじゃない、私の神経が、破壊された――ッ?


 赤と青、紫の、薄っすらと見えるライン……、

 昆虫の足のように気味が悪い。

 それが嫌というほど、瞳に貼りついている。


 拭っても取れない。

 上から下へ、右から左へ、動く。


 自分自身も、真っ直ぐ進めているのか、分からない。

 なにもないはずなのに、つまづいた。

 足を見る。右足首から下が見当たらない。


 世界が三つほど、重なって見えている。

 遂には、振り回しながら撮った写真のように、景色はなにがなんだか……。


「ひ「めさん!」「くるな「っつ」「っただろう」「があ!」


 と、そんな、三段階、いや、それ以上の多種多様な声が聞こえてくる。


 狂男、じゃない。

 いや、口調とか、イントネーションの癖を見ると、やっぱり狂男で間違いない。

 だから、私が、おかしいのだ。


 毒にやられている。

 汗が止まらない。

 気分が悪い。


 いっそのこと、全部を吐き出したら楽に――。




「なにやってんだ、お前」


 目が覚めた時、私は見知らぬベッドの上にいた……ベッド!? 

 起き上がって慌てて身を抱くけど、

 あ……、服も、着てる……、なにかされた形跡はない。


 ぽてん、と落ちた濡れたタオルは、熱湯に浸したかのように熱かった。


「攻めてくるのはいいけどさ、自滅はするなよ。

 というか、そこまでする事ないだろ。

 無理ならいったん退けばいいのに。脅迫でもされてんのか?」


 熱湯のように熱いタオルを回収し、ぎゅうっと絞って、私のおでこに当てる。

 大した力じゃないのに、彼の力に抗えなかった。


 とんっ、と額を指で小突かれ、そのまま倒れて枕に頭を沈める。


 掛け布団まで用意されている。

 当たり前だけど……、一気に眠気がやってきた。


「ここ、は……」

「もう一回、寝ろ。そしたら毒も抜けるだろ」


 敵の施しは受けない……、

 言い返そうとしたけど体は正直で、抗う力が出なかった。


 意識が沈んでいく。

 握り締めて、安心したのか、久しぶりに熟睡をした。

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