第5話 旅人・リグヘット

「リグヘット」


 一瞬、疑問符が浮かんだが、

 相手が自分の名を名乗ったのだと分かった。


 着ている衣服でなんとなく、その者の育ちや趣向が分かってしまうのだけど、

 少年のそれは、まるで竜を思わせるジャケットだった。

 ジャケットを構成する一つに、竜の素材でも混ざっているのだろう――、


 竜……。


 この国の神獣であり、食物連鎖の中でも上位に位置する、魔獣の種族。

 騎士団、全員でかかっても簡単には討伐できないほどの強さだ。


 そんな竜の、素材を……。


 あいつの動きを目で追えなかったのもあり、

 相手を格下だとなめない方が良さそうね。


「……子供だぞ、ここまでしなくてもいいだろ」


 彼の腕の中では、涙でぐしゃぐしゃになった顔を、両手で覆う女の子の姿が。

 路上の隅っこでは、痛みに悶えていた、彼女の兄である男の子がいる。


「やり過ぎ、とでも?」


「やり過ぎっつうか、そもそもやるなよ。

 こいつらは、お前に敵意なんてなかった」


 助けを求めていたんだ、と、旅人は言う。

 この子達を庇っている……わけじゃない。


 この兄妹きょうだいが本当に困っていて、助けを求めているのだと思い込んでいる。

 見て分からず、こうして渦中に飛び込んでも分からないなんて……、

 相当の鈍感か、世間知らずか。


 人間ってものを知らないのか。


「おい、てめえ、おいおい? 

 姫さんに向かって『お前』とはどういうことだ、ああん!?」


「ちょっと黙って、モヒカン」


 えぇー、と文句を垂れながらも、振り上げた拳を下ろす。


 最後尾からいちいち前に出てくるな。

 騎士歴が長いのだから、若手みたいに張り切らなくていいでしょうが。

 なんでそこに根性を出すのよ……。


 言われ、渋々下がるモヒカンを見送る。

 でもまあ、そのガッツ、嫌いじゃないけど。

 まあ、絶対に、本人になんか言ってやるもんか。


 それから。

 私は一歩出て、旅人と向き合う。


「ええ、確かにいま、敵意はないでしょうね。

 ただ――これから先、脅威となる企みをしていて、

 そのための布石を打っているのなら、摘み取るのはおかしなことかしら?」


「……? なんでもいいけど、力のないものをいじめるなよ」


 攻撃されてるなら、お前も反撃していいけど……、

 でも一方的だったら虐殺じゃねえか――


 なんて、物騒な言葉が飛び出してきた。

 というか、大人子供関係なく、互いに敵意を持ち合わせていればいいのね……、

 考えたら当たり前ではあるんだけど、その考え方はなんだか、人間らしくない。


 過ごした社会が、まるで弱肉強食のような言い分だった。


「いじめないわよ。

 私達の道を塞いでいた男の子もいまは端っこにいるし、

 あとはあんたとその子が退けば済むだけ。私達は真っ直ぐ、進ませてもらうわ」


「ああ、そっか。ならすぐに退くよ」


 意外と素直に行動する旅人……、元から、私達に向けた敵意はなかった。

 言いなりってわけじゃないけど、しっかりと自分というものがあって……つまり純真。


 繰り返すけど、やっぱり人間らしくない。


 道が開いたので、私達は歩みを再開させる。


「うおっ、お前――」

 と、旅人である少年側から、騒がしい声が聞こえた。


 旅人の肩を踏み台にして、

 抱かれていた女の子が袖に隠したナイフを手に持ち、私に飛びかかってきていた。


 ゆっくりに感じる……、

 ナイフの揺れる切っ先が、しっかりと見えた。


 女の子にも、迷いがあるらしい。

 小さな子供だ、人殺しの覚悟なんてないだろう。


 それにしても、まさか最後にこうして仕掛けてくるなんて。

 助けてくれないなら、どうせ死んでしまうのだし、道連れにしよう、みたいなことかな。

 短絡的で、そして甘い。


 姫は守られるだけの存在じゃあ、いけないのよ。

 自衛くらいはできないとね。

 特に私は、昔から戦闘技術に関しては教え込まれていた。


 姉や妹、弟を守るために。


 ナイフを持つ手首を掴み、真横に投げ飛ばす。

 貧しく、しかも子供なのでかなり軽い。

 ほとんど、腕力なんて使わなかった。

 女の子が生み出した勢いもあって、それを流しただけだから、尚更だ。


 女の子は、ナイフを落とし、地面を転がっていく。

 柔らかい肌に新たな傷がついた。

 罪悪感なんて、微塵もない。

 こっちは殺されかけたのよ……、相応の報いね。


 落ちたナイフを拾う。

 あっ、と女の子が声をあげた。

 切っ先を向けながら、私は、ちらと後ろを振り向いた。


「止めないのね」

「今のはその子が悪い。

 それに、ここで手を貸すのは、女の子の覚悟を踏みにじることになる」


 大層な覚悟など、この子にはないだろうけど。

 まあ、こっちとしては手を出さないなら気に掛ける必要もないかな。

 このナイフを、もちろん、女の子に刺すわけじゃないけど。


 ……ふう、あと味が悪いわね。

 この子は王族への反逆罪で、死刑にはならずとも、囚人にはなるわけだから。


 三食と寝床がある分、貧しいのならそれもまた、

 ちょっとのグレードアップにはなるのかもしれない。


 真面目に労働もできていいんじゃない? 

 まっとうな人間になったら、きっと可愛くなるんだから、

 ちょっとは自分磨きでもしてきなさい。


「っ、助けるべき人間を、選んで……っ」


「そうよ。選ぶの。

 全員を救えやしないんだから。

 日頃から貢献してくれている人を優先するのは、おかしなことかしら」


 女の子は地面を掻く。

 爪が剥がれ、見てて私までが痛いと感じてしまう。


「最低最悪の、姫よ……!」


 その敵意に反応したのは後光だった。

 私が気が付いた時には、後光の神器が放つ光が、女の子を照らしていた。

 しかし、女の子が血を撒き散らす事はない。

 だから、ショッキングな映像も再生されない。


 すとん、とかばんが落ちる。

 光の斬撃は都合良く、鞄の紐だけを切っていた。

 だから無傷だった。

 服も皮膚も、薄皮一枚でさえも、彼には傷がついていなかった。


「今度は邪魔をするのね、リグヘット」


「あ、やべ。……思わず出ちゃったよ」


 あーあ、と言いながらも、満足げな表情だった。

 ……最初から、命を助ける気は満々だったわけね。


 後光の勝手な判断での攻撃だったけど、

 相手の本性を引き出せたのならば、結果的に良かった。


 本当に結果的にね。

 あれで女の子が死んでいたら、目覚めが悪い。


 悪いだけで、目覚めることはできるわけで、生活も特に支障はないだろうけど。


「最初から……、私に文句がありそうだったのは、ひしひしと感じていたわよ……」


「文句がなくちゃ人の事情に顔を突っ込まないぞ――当たり前だろ」


 ちゃんと考えてるか? みたいな、見下したような言い方が腹立つ。

 小馬鹿にされた感じだ。

 全部、私の妄想なので、実際との差はあるだろうが。


「文句があるなら向かってきなさいよ。

 どうせ田舎の生まれっぽいあんたは、口では勝てっこないでしょうに」


「力づくでいいのか? 俺はいいけど……分かりやすいし」


 相手は自信満々だった。

 なんとなくで分かる。

 武器も持たず、徒手空拳だし、腕に自信があるのだろう。


 しかし、相手は腕を組んで納得のいかない顔で、


「でもなあ、俺が文句あるのは、お前の弱い者いじめなんだよ。

 逆らえない相手を一方的に快楽のために痛めつける、みたいなやつ。

 それをやめてくれるのなら、わざわざ戦わなくてもいいんだよなあ」


「弱い者いじめとか言っているけどねえ、こっちは正当防衛なのよ。

 さっきみたいな、ナイフで直接、刺されそうになるだけじゃないのよ。

 姫にはね、見えないような攻撃もされている場合だってあるの。分かりなさいよ」


「分かんねえよ」


 それは全てを理解して言った言葉ではなく、単純に、理解できなかったようだ。


「見えないような攻撃なんか分かるか。見えないんだし」


「ニュアンス! なんとなく、臨機応変に理解しなさいよ!」


 どうやら、私と向こうには大きな差があるらしい。

 遠い場所ではなく、真ん中で道が絶たれているような、

 言葉では埋められない溝があるみたいに。


 ――すっ、と、


 私の前へ、会釈をしながら後光が出る。


 既に刀身が、鞘から出されていた。


「ここは私が。

 いえ、私が、というよりは、騎士団が」


 後ろを向けば、全員が戦闘態勢だった。


「反逆者を始末します」


 ……三名、と、後光が言う。

 妹の方は明らかな反逆罪であるが、男の子の方は、まだ確定するべきではない。

 それなのに、刀身にぶつかった光の反射が、三人を照らしている。


 まず最初に、男の子の腕に大きな切り傷が生まれた。

 綺麗に、縦に入った切れ目。


 流れ出る血を見て、男の子が悲鳴を上げる。

 そして、女の子もまた、兄よりは傷は浅いけども、

 光を浴びた肩から、血が噴き出していた。


 片方の手で押さえるが、血は止まらない。

 血溜まりが徐々に規模を増やしていく。


「あなたにはやはり効かず、ですか」


 さっきと同じく、旅人には傷がつかない。


 しかし、心の方には少しの動揺が走ったらしい。

 男の子と、女の子、守り切れなかったことに、彼の顔が歪む。


「……悪い、出遅れた」


 だけど、それだけだった。

 傷を手当てする気も、身を隠す気も、彼にはなかった。

 兄妹をその場に放置して、表情が変わる……、たぶんそれは、戦いの眼だ。


「冷たいのですね、あれだけ庇っていたのに、もう見捨てるのですか」


「だって、お前の攻撃、結構きついんだもん。

 誰かを守りながら戦うのは、自分がやられかねない。

 まずは自分の身を守ることが重要だからな、重荷になるものは置いていくよ」


 盾にするのはさすがに酷いだろ、生きているんだし、と。

 それは、死んでいれば遠慮なく盾に使うと言っているのだろうか。


 ……怖いな、こいつ。

 恐らく、彼に人質は効かないだろう。

 人質を取ったこっちが、逆に窮地に追い込まれそうだ。


「光が斬撃になっているのか……、

 光の速さで斬撃が飛んでくるって考えると、厄介だな」


 それを厄介だな、と言ってしまえるレベルに見ているのが、こっちとしては不安だらけだ。


 光の速さで迫る斬撃など、避けるのは不可能としか思えないのが普通だが。

 避けなくとも、こいつの場合は傷がつかないのだから、関係ないかもしれないが。


「姫様、真ん中へ! 必ず守り抜きます!」


 後光の声に頷く。

 しかし、いつの間にかあいつの顔が目の前にあった。


「待てよ、反逆する気はもうねえよ!」


 ――は!? え、あれ……、なっ!?


「いっ、あんたなんでこんな場所にっ!」


 騎士団が密集している、人口密度の高い場所に、

 まるで最初からそこにいたかのような自然さで、唐突に現れた旅人。


 びっくりした。

 まったく見えなかった。

 どんな手品で、タネはどこにある?


「……ただ全速力で走っただけなんだけど」


「嘘つけ! 目に見えない速さで走れるわけが――」


 いや、つまり、そういうことなの?


 こいつは、それができる身体能力を持っているって……? 

 自信があるのは腕じゃなくて、足だった、と。


「姫様!」


 振り向きざまに後光の刀身が光を反射させるが――って、バカ! 

 こんなところで四方八方に光を向けたら、私達まで斬る事になるじゃないの!


 私の胸にしっかりと光が照らされ、

 そう気づいた時にはもう既に遅い……、斬られている。

 それが騎士団、第三席の後光が持つ神器――『後光ごこう』だ。



 一瞬、ぐんっ、と、

 意識だけが今までいた場所に置いていかれたように、適応できなかった。


 いつの間にか私は、地面に寝転がっていて、

 その状態で頭だけ、あいつの腕に乗っかっていた。


 竜の素材の服は斬れていて、中の肌が見ていた。

 けど、やっぱり、斬れていない……。


 頭を乗せている腕は、岩のように堅く、寝心地は良くなかった。

 しかし、手の平は柔らかい。

 私の肩を掴んで、上半身を起こさせる。


「ギリギリだったな……、

 あと少し遅かったら、お前の胸が輪切りになってただろうぜ」


「斬り方に指定はなかったはずだけどね……」


 照れ臭さを、そんな指摘で誤魔化す。


「ひ、姫様、大丈夫ですか!?」


 後光が屈んで、私の手を握る。

 ……涙を流し、反省はしているようなので、叱るほどでもないかな。


 とりあえず、軽く頭を小突いて、こら、と言っておく。


「そんなのでいいのか?」


「……いいのよ。わざとじゃないのだし。

 元はと言えば、私のためなんだしね」


「他の八名は血だらけでやられてるけど」


「あんたらはなんで避けないのよッ!?」


 ――できるかっっ! 


 全員が一致した、元気そうな叫び声が聞こえたので、安堵の息を吐く。

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