杉ちゃんの鍋

増田朋美

杉ちゃんの鍋

杉ちゃんの鍋

12月というのに暖かくて、のんびりした日であった。もう年越しも近いというのに、こんなに暖かい日が続いているのはなぜなんだろうか。其れは、みんな不思議がっていた。本当に今年は、いつもと違うことが起きている。なんでこんなにおかしな気候ばかりが続いているのか。いろんな人が話をしているが、誰もそれを変えるということはできないのである。変えることができるのは、個人の意識だけなのであった。

今日も杉ちゃんと蘭は、ショッピングモールへ買い物に出かけた。ショッピングモールを出て、少し幅の狭い道路を二人で移動していると、いつもなら、人通りの少ないはずの道路に、大勢の人が出ているのが見えた。

「どうしたんですか?」

と、蘭が近くを歩いていた人に聞くと、

「誰かが屋根の上から落ちたみたいですよ。」

と、その人は答えた。

「屋根から落ちたって、屋根の上で塗装作業でもやっていたんだろうか?」

杉ちゃんが言うと、

「いやあ、其れなら、道具とかそういうものが近くに在ったり、足場を組んだりすると思うんだけどね。其れがないよなあ。」

と、蘭は不思議そうに言った。

「ということは、今時屋根に乗って夕涼みする奴もいないだろ。それでは明らかにおかしくなっちまった奴ということだろうかなあ。」

杉ちゃんという人は、変なところで推理力を働かせてしまうのである。蘭も考えてみるが、どうして屋根の上に人が登ったりするのか、其れが思いつかなかった。

「一体どうしたんですか?誰かが屋根から落ちたって。」

「ええ、この家に住んでいる若い女の子、あたし名前はよく知らないんだけどね。なんでも、薬やっていたみたいで、ちょっとおかしな言動だったらしいわよ。」

近くにいた中年女性が、そういうことを言った。

「薬っていうと、いわゆるシャブとかそういうやつですかな?」

と、杉ちゃんはすぐ聞く。杉ちゃんという人は、どうしてすぐそうやって他人の事に首を突っ込むのか、蘭はあきれてしまうのだった。

「まあ、そこまでは知らないけど、、、。」

おばさんはもう関わりたくないという顔をして、杉ちゃんたちの前から離れて行ってしまった。やがて救急隊員が、担架をもって、患者を運んでいくのが見えた。彼女は、まだ亡くなったというわけではないらしい。顔は包帯でぐるぐる巻きだけど、白いハンカチはかぶっていなかった。

「やれやれ、また薬物依存かあ。困ったなあ。本当に最近のやつは、誰かに相談する前に、こういうものに走っちゃうから、困っちゃうよなあ。」

杉ちゃんの発言に蘭は、

「親御さんとか、そういうひとはたまらないだろうな。」

と小さくつぶやいた。

「別に誰かが悪いわけでもない。学校が悪いわけでもないと思うし、親御さんが悪いわけでもないと思うよ。それなのに、こういう結果になっちまうんだもんな。」

杉ちゃんも続けて言った。

その日は特にそれ以上の進展もなく、杉ちゃんも蘭も家に帰った。やじうまとして集まっていた人たちも、女性が運ばれていくのと同時に解散した。

その次の日の事である。杉ちゃんと蘭は、又ショッピングモールへ行った。そして帰りがけに、又昨日事件のあったあの道路を通りかかった。昨日事件のあった、家の近くを通っても、何も変哲のない普通の家である。

「なんだ、ただの一戸建ての普通の家じゃないか。こんな家のやつが、なんで事件なんか起こすんだろうかな。」

杉ちゃんがそういう通り、一戸建ての二階建ての小さな家である。

「普通の家と変わらないと思われた方が、かえって危ないのかもしれないよ。」

と、蘭は、思わずそういった。

「そうだねえ。其れは、そうかもしれない。一生懸命普通に人を演じているような家が一番危ない。」

杉ちゃんのいうことももっともかもしれなかった。

「あら、お二人さん、葛原さんの家と知り合いだったの?」

と、回覧板を持ったおばさんが、二人にそう尋ねてきた。

「いやあ、知り合いというわけではないんですけどね。昨日の事件が一寸気になりまして。なんか、彼女がかわいそうというか、そんな気がしたんですよ。」

と、杉ちゃんがそう答えると、

「そう、ちょうどよかった。これ、葛原さんのお宅に届けてくれないかしら。私、一寸別の用事で急いでいるから。」

と、近所のおばさんは、杉ちゃんに回覧板を渡して、逃げるようにかえってしまった。何だか、犯罪者とは、関わりたくないという魂胆が見え見えである。

「全く、日本社会はどうしてもそうなっちまうよな。関わりたくない気持ちはわかるけれど、でも、この回覧板は届けなければならんだろう。それでは、僕たちが代理で届けてやろう。」

と、杉ちゃんは車いすを方向転換させて、葛原と表札がされている、その家の呼び鈴をピンポーンと押した。

「あのさあ。葛原さんに回覧板が届いています。」

と、杉ちゃんがデカい声でそういうと、

「はい、どうぞお入りください。」

と、ひとりの若い男性の声がした。

「そうか、じゃあ上がらせてもらうぜ。えーと、葛原さんだったよね。僕は代理なんだけど、この回覧板、よろしく頼むね。」

杉ちゃんは、ドアをがちゃんと開けて、その家に入った。

「ああ、どうもありがとうございます。わざわざうちまで回覧板を持ってきてくれるなんて。」

と、応対した若い男性はそういうことを言っている。いったい彼は、この家とどういう関係なのだろうか。この家では、昨日住人の女性が、屋根から落っこちるという事件が在ったばかりだというのに、まるで関係のないような、明るい顔をしている。

「ああ、あの。僕は、手伝い人です。城山と言います。このうちの世帯主である、葛原佳代さんの依頼で、こうして時々手伝いに来ているんです。」

そう彼ははきはきと言って、回覧板を受け取った。

「そうですか。葛原さんが手伝い人をね。その葛原さんって人は、何をやっている人なんですか?そういう使用人を雇うというのは、なかなか裕福でないとできないでしょう。」

と、蘭が聞くと、

「ええ、そうとは限りませんよ。僕はただ、病院から頼まれて、お手伝いに来ているだけですから。それだけの事です。」

と、城山という男性は答えた。

「ああ、そうなのね。そんな風に、家に手伝い人を雇う病院なんてどこの病院何だ?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「ええ、影浦医院です。影浦先生が、始めたことです。一応これでも、看護師の資格がありますので。」

と、城山は答えた。

「あの、一寸つかないことをお聞きしますが、昨日ここのお宅で、女性が屋根の上から落ちる事件がありましたよね。その事件はどうして発生したのでしょうか?」

と蘭は急いで彼に聞いてみる。

「ええ、彼女の世話を影浦先生にお願いされて、このお宅に派遣されておりました。あれはきっと、僕がちゃんと彼女を見ていなかったのではないかと思います。」

と、きっぱりとした口調で答える彼に、蘭は一寸、こんなところまで気を遣わなければならないのだろうか、と、疑問を持ってしまった。確かに彼女を介護するという、役目はあったかもしれないが、それでも、なんでも自分のせいにしてしまうことは、果たして正論と言えるのだろうか。そこまでしなくても、と蘭は言いかけたのであるが、

「僕は、美穂さんの手伝い人としてきたのに、美穂さんが出しているSOSに気が付いてやれなかったんです。それはやっぱり、僕の管理不行き届きとだったと思います。」

「でも、そんなにご自身をせめてはなりません。だって、許されないことをしたんですから。それを、止められなかったことを、後悔していたら、人間世の中何もやっていけないんじゃないでしょうか。」彼はそう発言するので、蘭は、急いで彼の発言を訂正した。

「許されないことであっても、彼女をとめられなかった事は、責任をとらなければならないと思うんですよね。必ず誰かが責任をとらないと、何も出来なくなってしまうと思うんですよ。彼女が、屋根から飛びおりようとしたのを、何とか止めなければ、ならなかったんじゃないかって。彼女は、それとも、僕のことを信用していなかったのかも知れない。」

「そうですか。あなたは、お母さまに頼まれて、このお宅でお手伝いをしているんですか?」

蘭は彼に聞いた。

「はい。最初に、影浦先生のところに来たのは、お母さま一人だったんです。娘が高校を中退して、っ引きこもってしまったという内容でした。お父様は、二年前に亡くなられて、お母さまが一人で育てていると聞きましたので、定期的に、手伝いに行く人間が必要だったのではないかと思います。」

「なるほど、そうだったんだね。お父ちゃんは、何をやっていた方なんでしょうかな?」

と、杉ちゃんがすぐに聞いた。普通なら、人のことをあんまり聞きたがるもんじゃないと蘭は注意するのであるが、蘭はそれも忘れてしまった。

「ええ、学校の先生だったそうです。この近くに、支援学校があったのはご存じありませんか?そこの教員だったそうです。なんでも、生徒さんからは大変人気のある、熱血先生だったとか。まさしく、世のため人のために生きていたような先生だったとか。」

「はあ、なるほどね。お父ちゃんは、えらすぎて、紺屋の白袴みたいな状態だったわけね。それで、お母ちゃんは、離婚したんだ。」

と、杉ちゃんがそう付け加えた。なるほど、お父さんにとっては、そんなつもりなどなかったかもしれない。でも、お母さんには、お父さんは自分の子どもに対して、何もしていないように見えてしまったのだろう。其れは大変な勘違いであるが、そういう勘違いはよくある事でもある。

「ええ、たぶんそうだと思います。其れが、美穂さんには大きな裏切理になってしまったのではないかと、第三者である僕は思ったのですが、それを口にしてしまうと、お母さんも、美穂さんも、変に感情的になってしまって、お話ができないんですよ。そこも何とかして埋めないと、どんどん悪くなってしまうと危惧した矢先のこの事件ですから。それは、どうしたらいいものか。僕も正直わからないんですよね。」

「まあ確かに、精神科の看護師さんがすることじゃないね。其れは、ほかの家族療法の先生を呼んで何とかしてもらうとか、そういう事をするんだな。それにしても、彼女は、なぜ、シャブを入手したのかな?」

と、杉ちゃんは城山さんに言った。

「ええ、多分、お母さんが、生活のために家を開けることが多かったので、それで、簡単に入手できるようになったんでしょう。」

「まあ確かに、なんでも簡単に通販で手に入るし、お金の支払いだって今は対面しなくてもできちゃうもんな。確かにそれはわかる。」

杉ちゃんは腕組みをした。

「そうなんだね。其れでお母ちゃんはどうしてる?」

いきなり杉ちゃんはそういうことを聞いた。

「今は、仕事に行っている?」

「いえ、、、。」

と城山さんは言った。

「じゃあ、家にいるんか?」

と、杉ちゃんが彼にそう聞くと城山さんは、小さい声で、

「ええ。」

とだけ言った。其れと同時に、なんだか生きている人間ではないような、この世の人ではないような顔をして、ひとりの女性が、杉ちゃんたちの前に現れる。

「一体誰?」

と、彼女は言うのだ。彼女が、お母さんの葛原佳代さんであることは杉ちゃんも蘭も見て取れた。

「ああ、僕は影山杉三です。こっちは親友の伊能蘭です。先ほど、近所の人から、回覧板を貰ったので、持ってきました。其れを、応答してくれた、えーと、城山さんに、お渡ししたというわけで。」

と、杉ちゃんが急いで自己紹介すると、蘭もよろしくお願いしますねと頭を下げた。

「僕たちは何も悪気はありません。ただ、回覧板を届けに来ただけです。其れに、誰かに、娘さんのことを言いふらす事もしませんし、安心してください。ただ、娘さんのことが心配なだけで、其れは、大丈夫ですからね。」

蘭は、急いで、佳代さんにそう自己紹介をする。

「そうですか。あなたたちのような人が、もう少し早くこちらへ来てくれれば、美穂も覚醒剤でああなることはなかったかもしれません。美穂は悩みもなにも打ち明けませんでした。父親がいた時は、学校の子の事ばかり気にかけている父親のそばにいさせたら、美穂のためによくないと思って、離婚したんですが、其れが、余計に引きこもる結果になってしまったようで。」

「なるほどね。それで、シャブにはまるようになったわけか。多分、屋根から飛び降りたのは、自分が空を飛べるとでも、思ってしまったからじゃないの?」

と、杉ちゃんが、佳代さんにそういうことを言った。多分その線が一番強いだろう。覚醒剤を打つと、やくざに襲われるとか殺されるという妄想を持つだけではなく、自分はものすごい能力があると勘違いしてしまう妄想を持つこともある。

「そうですか。お母さんが、ご自身を責めてしまう気持ちもわかりますが、お母さんの人生もあって良いと思います。僕は、そう思いますね。娘さんのしたことは、確かに悪いことかもしれないけど、きっと、お母さんのことは、愛していらっしゃると思うんです。ごめんなさい、僕は、うまく言えないけど。」

と蘭は、佳代さんを励ますように言った。

「それは僕もそういうことを良く言い聞かせているのですが、佳代さんは、なかなかそう簡単には立ち上がってくれないのです。」

城山は、佳代さんを困った顔で見た。確かに、彼女は今は真昼間で、パジャマを着ている時間帯じゃないのに、まだパジャマを着て、化粧もせず、平気な顔をしている。

「そうですね。確かに、お辛いのはよくわかります。それは、お辛いと思いますがでも、お母さんだけではなく、別の人間になれる人生があったっていいんじゃないかな。僕は、そう思いますね。必要があれば国を変えてもいいんじゃないでしょうか。」

蘭は、思いつく限りの対応策を口にしてみた。でも、佳代さんは、相変わらず放心状態のままだった。「で、その、美穂さんは、どうしてる?」

と、杉ちゃんがいきなりそういうことを言ったので、佳代さんはドキッとしたようだ。其れは代わりに、城山さんが、

「ええ、一命はとりとめました。幸い、後遺症の心配もないそうです。後は、お医者さんたちに手当てしてもらって貰えば、大丈夫だと思います。」

と答えた。ということは死んではいないということだ。すぐにというわけでないけど、きっと必ずお母さんのところにかえってくるに違いない。佳代さんのところに。

「そうですか。其れから先のほうが大変になりますね。じゃあ、娘さんにいってやってくれますか。あなたは、一人ぼっちではありません、僕たちが、そばについているからって。もし、悩んでることとかそういうことが在れば、僕たちのところに、来てくれればと思います。」

と、蘭は、佳代さんに向かってそういうことを言った。

「僕のところに来るお客さんも、そういう風に順風満帆でない人生を送ってきた人ばかりだし。それを通じてお友達ができるかもしれない。だから、娘さんに人生は捨てたものじゃないって、教えてあげてください。」

それでも、佳代さんは、まだぼんやりしたままだ。もしかしたら、薬物でおかしくなってしまった娘よりも、彼女のほうが病んでしまったかもしれなかった。

「是非、彼女が出所したら、僕たちのところに連絡をよこしてくださいませ。」

蘭は、手帳を破って、自分の名前と住所を書いて、彼女に渡した。正確には、渡そうと思ったが、佳代さんは、茫然としたままで受け取らなかった。代わりに、城山さんが受け取った。

「ほんなら、美穂さんが、出所して帰ってきたときのことを、考えてみよか。彼女が電車で帰ってきて、彼女がこの家に入ってくる。この家のにおいをかいで、やっぱりお母ちゃんがいてくれてよかったって、いってくれるようにしなくちゃ。まあ刑務所で、いろんな刺激を受けられるから、少しずづかわってくれると思うんだけどな。」

と、杉ちゃんが、そういうことを言った。

「そうですよ。だから、佳代さんが元気でいなくっちゃ。美穂さんが帰ってくる日に、家で待っててあげないといけないんですよ。」

城山さんは、佳代さんを励ました。もう何回もその言葉を言い聞かせているようであるが、佳代さんはそうねとも、何も言わなかった。

「何か、美穂さんが好きな食べ物でもなかったか?それをつくってやってさ、食わしてやったら喜ぶと思うんだけどなあ。」

と、杉ちゃんが言った。

「そうですね。僕がここに雇われてから、佳代さんがお料理したことはなかなかありませんでしたね。大体料理と言えば、僕が作っていましたので。」

城山さんがすぐに答えてしまうので、佳代さんは答えが出ないのかと思った蘭は、彼に少し黙ってもらうように言った。

「できれば、佳代さんの答えが聞きたいんです。確かに代理で手伝うのも必要ですが、それはかえって有害になってしまうときもありますよね。」

蘭が言うと、佳代さんは、小さい声で、

「以前、美穂と二人で寄せ鍋をしたことがありました。料理としては、そういうことしかできなかったものですから。」

と、言った。

「ほんなら、お昼ご飯は、其れをしようか。それでは、一寸中へ入らせてもらうぜ。鍋なんて、すぐに、出来ちまうからな。よし、やってみよう!」

杉ちゃんは、どんどん車いすの方向を変えて、佳代さんの家の中に入ってしまった。杉ちゃん一寸待て

と蘭は言ったが、杉ちゃんは、ふりむきもしなかった。其れを見ていた城山さんが、ああなるほどわかりましたという顔をして、杉ちゃんの後をついていく。やがて、肉を切ったり、野菜を切ったりする音が聞こえてきた。佳代さんは、あの、何をするつもりなんでしょうかと不安そうに聞くが、蘭は、杉ちゃんに任せておいてください、とだけ言っておいた。

「よし、鍋ができたぜ。美穂さんが戻ってくる時の予行練習だ!さあ、たっぷり食べて!」

と杉ちゃんがデカい声でいうと、城山さんは、置いてあった金属の大きな鍋をテーブルの上に置いた。

蓋を開けると、よく煮えた肉や野菜が大量に入っていた。



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杉ちゃんの鍋 増田朋美 @masubuchi4996

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