第12話 しのぶれど

「生きているのか。そうか……生きている、か」


 山口は思い出したように、生きているという言葉を繰り返した。常世の落胆とは別に、山口は顔の筋肉を緩めて囲炉裏の火を見つめていた。


 しばらくは互いに無言であった。ときどき囲炉裏の火が爆ぜる音がして、弾けた炭を山口はそっと端によけた。

 そのとき、


「御免くださいまし」


 外から声がした。

 山口は「ああ」と思い出したように腰を上げ、表に出た。永倉に会いにいく途中、町で食糧を買い運んでもらうように頼んでいたのだ。

 山口は両手に野菜や魚を手にして、炊事場に立った。ふと、山口は鉄之助の方を振り返る。いまだ鉄之助は俯いたままであった。



 ◇



 しばらくすると、炊事場から魚が焼ける臭いがしてきた。常世は我にかえり、立ち上がった。外は暗闇に包まれ、すっかりと日が落ちていた。


「飯だ」


 ぶっきらぼうな声がした。

 山口が囲炉裏の周りに、漬物と焼いた魚を置きながら常世に食えとうながす。


「俺は、もう行かねばなりません。ずいぶんと、居座ってしまった。申し訳ない」

「今出ようが、飯を食ってから出ようが大差はあるまい。腹ごしらえはできるときにしておけ」

「いや、しかし……」

「ひとまず、おまえの話を信じることにする。して、やらねばならぬ用事とやらはなんだ。まさか人を殺めるようなことではあるまいな」


 山口は常世が置いた大小の刀に目をやってそう言った。もう、戦争は終わり刀は不要となった。多くの浪人はそれで人を脅して金を盗むか、質屋に入れて金に替えるかして生きている。

 大事に腰に刀を差している者は、なにかの企みがある者くらいだと山口は思っていた。

 むろん、それは山口にも言えることである。


「事と次第による」

「それは、聞き捨てならんな」

「あんたには関係のない事だ。それに、人を殺すためが目的ではない。相手の出かた次第なだけで」

「話してみよ」

「なんでだよ! もう構わないでくれ。あんたには関係ない!」

「仮にもおまえは元新選組で俺の配下にあった。戦争は終わったとは言え、元新選組の愚行はゆるさぬ」


 山口の言葉を聞いて、常世はますます腹が立った。どうしてもこうまで、新選組という言葉はひとの人生に関わってくるのかと。


「なんなんだよ! 新選組ってよ! あんたもあいつ十羽も、腹が立つ!」


 けれど、常世とてその新選組という呪縛から抜け出せないのである。纏わりついて解けない、細い糸のように。

 常世は乱暴に目の前に置かれた皿を取った。冷えた飯、冷えた汁、少し焦げた魚を口の中に押し込んだ。誰かが作ったものを口に入れるだけで、一人で生きていくと決めた心が折れそうになる。


 山口は黙って常世の近くに湯呑みを置いた。

 常世は山口の顔を一瞥して湯呑みをあおった。

 喉の奥が熱い。それは湯のせいか、それとも常世の抑えられない感情のせいか。

 未熟な心はそれを理解することはできなかった。



 ◇



 ―― けっきょく、話す羽目になってんじゃねえか……


「おまえが撒かれたのならば、なかなかの術の使い手かもしれんな。その女は元新選組だと言うのだな。しかも、原田の下にいた」

「そう本人は言っていた。組長付だったみたいだし、他の奴らからは衆道だろって見られていたらしい」

「ふむ……。十番隊に女がいたか」

「あんた、俺の妹は気づいたのになんでそっちは分からなかったんだよ」

「原田はおそらく、その者を連れて巡察には出ていなかったと思われる。副長も知らぬはずだ」

「そういや、土方には会ったことがないと言っていた」


 山口は「ほう」と指を顎に置き、考えを巡らせている。当時のことでも思い出しているのであろうか。


「原田は屯所を出入りするときに、その者を連れてこなかった。その者の存在を少なくとも幹部連中には匂わせておらぬ。それどころか新選組と袂を分かつとなったとき、執拗に市村も共に来いと誘っていた」

「なんだって? 原田も妹のことを」

「好いてはいただろうが、男だと疑っていないようだったな。代わりに己は衆道なのかと悩んではおったが」

「はあ⁉︎」


 新選組の副長である土方の小姓として生活していた常葉に危険はなかったものの、人の心を動かすには十分であったようだ。常葉の変わり身の術が甘かったのか、新選組幹部が優れていたのかはさておき、聞き捨てならない話である。


「恐らく土方さんよりも先に市村が女だと気づいていたのは二人のみ。おおかた土方さんも初めは原田と同様に、自分に衆道の毛があると思っていたかもしれんな」

「まて! 土方より先に二名といったか。あんたの他に誰だよ!」


 常世がそう問い詰めると、山口は視線を遠くにやった。その瞳は懐かしそうに過去に帰り、口元は緩く弧を描いた。


「安心しろ。もう、この世にはおらん」


 山口はそれが誰であるかは言わなかった。ただ、常世には物寂しげに言う山口の声に、その男に特別なものを感じた。


「今さらであろう。それより、本題だ。その連れ去られた元新選組の女を助けるつもりなのか」

「そうだ。俺の油断が招いたことだから、助けて自由にしてやりたい」

「なるほど。最近この辺りで、人攫いが横行しているらしい。それも誰彼構わずではない。それなりに見栄えのいい女をさらい、吉原に売り飛ばしていると言う話だ」

「吉原って……」

「金のある男が女を買う、吉原遊郭だ」

「くそ!」


 常世は刀を片手に立ち上がった。何としてでも助け出さねばならい。知らぬ男に体を売る商売など、させてなるものかと怒りがこみ上げてきた。


「待たんか! 戯け!」


 山口が大きな声で常世を制した。その声を聞いた途端、常世の足は止まった。会津での山口二郎の鬼気迫るあの姿がよみがえったからだ。


「おまえ一人が行ったところで、二の舞を演じるだけであろう。相手は忍びなのではないのか」

「たぶん、そうだけど……」


 山口は視線を手元に落として、食べかけた夕飯に再び手を伸ばした。そして、こう言った。


「手を貸してやってもいい」



 ◇



 何をするにも腹を満たしてからだと、山口は言う。腹が空いていては冷静な判断ができないと。しかし、腹いっぱいではならぬ。はち切れるほど食えば、これまた脳が誤動作を起こすと言うのだ。

 ようは、腹八分にしておけと言いたいのだろう。


 ―― 回りくどいんだよな……


 常世と山口は提灯を片手に、闇深くなった街を歩いた。山口は深緑の着流しに羽織を肩にかけ、腕を前に組んで粋な歩き方をしている。

 常世も着流しに羽織姿だ。山口から押し付けられるようにして。淡黄緑色たんおうりょくしょくの着流しに袖を通した。

 刀は山口の家に置いてきた。

 何を隠そう、今夜は吉原の偵察をするからだ。


「おい、気配は煩いくらいに出しておけ。下手に腕の立つ者だと悟られては面倒だ」

「気配を煩くしろだなんて、難しすぎます」

「まだまだ子供だな。女の裸でも想像しておけ。いやでも煩くなるだろう」

「おっ、おんなの、はだっ……裸とは!」

「声が大きいな。まさか、女の裸を見たことがないわけではあるまい」

「ありますっ! は、裸ぐらい!」


 常世の知っている女の裸とは、下衆な輩に酷い目に遭わされた十羽の体のことだ。そのときだって、疚しい気持ちで見たわけではない。純粋に怪我の具合を確かめるためであった。


 山口は顔を赤くしたであろう常世に、やれやれといった風にため息をついた。

 これから吉原を歩き、手引茶屋にでも入ろうかと思案しているのに、肝心の相棒はまだ子供なのだ。


(永倉を誘った方がマシだったようだな……)


「まあそう固くなるな……茶を飲みながら、女の行方を探るまでだ」

「別に、固くなってなど」

「くくくっ」

「笑わないでください!」

「くくくっ、くははは」


 恐らく己の筆も下ろしてないうぶな男を連れて歩く山口は、なぜか楽しそうに笑った。

「分かった分かった」と、常世の頭を撫でてやる。

 それが気に入らなくて常世はぞんざいにその手を払った。

 山口はなおも笑う。


 ―― ひとを、馬鹿にしやがって!


 常世の苛立ちとは別に、山口は機嫌がよかった。常世から懐かしい気配を感じていたのだ。


(確かに兄妹なのは間違いない。この男からあの娘と同じ匂いがする。まったく、困ったものだ)


「鉄之助、今宵は男にでもなるか。金なら心配するな、俺が出す」

「なっ! 俺はとっくに男だ!」

「分かった分かった」

「もう、やめろ!」


 どこか懐かしく、どこか切なく、どこか温かい。

 山口は久しぶりに心に火が灯った気がしていた。


「よし、入るぞ」

「はっ、はい!」


 どうしてあの時気づかなかったのだろう。会津の惨劇が感覚を鈍らせていたのかもしれない。気づいていたら、どうしていただろうか。自分のそばに二人とも置いたであろうか。それとも二人を逃してやっただろうか。

 そして、あの娘を土方から引き離せただろうか。


(運命というやつは、どう足掻いても定められた道に進むものだ。俺が関わろうと関わるまいと、結果は同じであったに違いない)


 山口はそんなことを考えていた。

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