第9話 流浪の運命(さだめ)

9-1


 ・・・・・・・・


過去は私にとつて苦しい思ひ出である。過去は焦躁と無為と悩める心肉との不吉な悪夢であつた。月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて来ないやうに。

 萩原朔太郎 『月に吠える』序文より


 ' The Moon Of Saku '

 There is light in the night of Saku.

 I understand.

 The fate of exile.

 A soul wandering at

 the end of the drift.

 One heart of the empty shell,

 just disappear into the waves.

 Illuminate only the truth

 invisible light shoots me.

 The shadow that falls there.

 The faintly dark shadow is all about me.


「朔月」

 朔の夜に光はある

 私には解る

 流浪の運命さだめ

 漂泊のみぎわに彷徨う魂

 抜け殻の心ひとつ

 ただ波に消え行く

 真実だけを照らし出す

 見えない光が私を射ぬき

 其処に落ちる影

 仄暗いその影が私の全て


(よし、これでいこう……やっとここまで来た。全てはこれからだ……)


 ・・・・・・・・


「警部申し訳ありません……だめでした、いなくなりました」


 ルナ・ルプスの詳細を鑑識課に確認に行った大木は、10分もしない内に会議室に戻ると新見に報告をした。


「それは、どういうことだ」


「ここで日記を検証していた間に、ルナ・ルプスはサイトを脱会した模様です。日記が全て消滅しています、跡形もなく……」


「なんだと、サイト運営会社には確認をとったのか」


「はい、鑑識課の報告によると、脱会した時点で履歴が全て自動的に消されると、身元確認は不可能です」


「たった……この僅かなあいだにか……」


「どうしましょう……」


「……もし、パスワード解析が30分遅れていたら、この事実は手元に無かった訳か……」

 項垂れる大木を見ながら、コピー用紙を持つ手が少しばかり震えた。

(書面では残せた、しかし……)

 新見もまた失望の色を隠せない。


「…………」


「お疲れ様」

 食事から戻った川村と原田が、連れだって会議室に入る。


「おっ警部、戻られましたね……」

 新見の表情を見た川村の言葉が止まった。大木はすかさずこれ迄の経緯を二人に伝える。


 聞き終えた川村は、新見のデスクに行きコピーされた日記を読みながら、

「凄いものが出てきましたな。警部が言うようにやはり、第三の男が存在したということですか」

 と、驚きの声をあげる。


「事件の鍵はノートパソコンの中にありました……」


「警部、これで山本への取り調べは二極化しました。事実を確認しながらも、第三の男の存在を意識した山本への取り調べで、臨機応変に真犯人の可能性を探って行くことが出来ます」


「…………」

 川村の慰めの言葉が胸に刺さった。

(全ては自分の詰めの甘さにある。すんでのところで最重要人物を取り逃してしまった……)


「新見警部、私は山梨での準備がありますので、そろそろ戻ります」

 肩を落とす新見に、原田が右手を差し出し声を掛ける。

 新見は、微笑みながら片手でハーフコートの襟を直す原田の瞳の奥に、自分と変わらぬ慚愧の念を見た気がした。


「明朝、富士吉田署に伺います。原田さん、この度はほんとうにありがとうございました」

 直ぐさま手をとり力を込める。


「古田弁護士事務所には、アポイントを入れておきます。こちらこそありがとうございます」

 原田は深々と頭を下げ、新見の手を握り返した。


「しかし、あなたは凄いお人だ...警部のことを川村さんから聞きました。私はあなたのような方と、最後に仕事が出来ることを誇りに思います」

 そう言うと原田は、両手を大腿にあてた後、スッと姿勢をただし、サッと敬礼した。

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