7-3
新見は考え込んでいた。
山ちゃんという男の存在に、何かしら意図的に導かれた感がある。多分この他の通信記録は全て消されているのだろう……大木の仮説は当たっている。しかし、誰がと。
(日記サイトのEros、エロス……こいつが礼子のサイトネームか……何と言う日記サイトなのか、男女の交遊を目的としたもの……出会い系か)
三十分程してから大木の報告があった。
「通信相手が解りました。山本 太一、富士市在住。年式違いのランチアを所有しています。所轄に連絡し捜査員が向かいました。任意同行で引っ張ります」
「いや……」
(被疑者としてだ)という言葉を呑み込んだ。
これだけの証拠があれば、容疑者として身柄を確保出来る。しかし、新見の僅かながらの疑念がそれを押し留めた。
「そうしてくれ……」
「警部、逮捕状を出せませんか」
新見の胸中を察し、大木が口を滑らせた。
「…………」
「申し訳ありません。出すぎたことを言いました」
眉間に皺を寄せる新見の顔を見ると、大木は直ぐに謝った。
・・・・
「斎藤は」
「はい、部屋から一歩も出ていない様子です」
マンションに到着した早川は、張り込みをしていた捜査員に在宅の有無を確認した。
「これから斎藤宅の家宅捜索を始める」
捜査員四名と鑑識一名が大きく頷いた。張り込みをしていた二名は斎藤の逃亡を防ぐ為、速やかに外の非常階段に向かう。
モニターを見る斎藤の懸念を考慮し、女性捜査員が部屋番号を押す。他の捜査員は小型カメラの死角に立った。
程なくインターホンから斎藤の声で、
「はい、どちら様ですか」
と、応答があった。
すかさず早川は女性捜査員と入れ替わり、捜索差押許可状をカメラの前に晒しながら、
「三島警察署です。斎藤 政志さんが所有する部屋の家宅捜索令状が発令されました。速やかにドアの鍵を開けて下さい。尚、これは強制捜索となります。あなたに拒否する権限は存在しません。又、捜索妨害行為が発生した場合は、公務執行妨害として現行犯逮捕されることをお忘れなく」
淡々とした口調で説明した。
「お入り下さい」
モニターに映る六名を確認した斎藤は、力なく応えた。
斎藤の部屋は六階にある。エレベーターに乗った早川は署に電話をし、捜索開始の報告をした。報告を受けた新見は早々に高島町へ向かう。
部屋の前に到着した早川は、白手袋をした手でおもむろにドアを開け、斎藤にあらためて令状を見せた後、腕時計を確認しながら、
「これより家宅捜索を開始します。九月十九日、時間は十七時五十二分」
と言うと室内に入った。他の捜査員も後に続く。
捜索差押許可状の有効は七日間である。
高島町に向かう車の中で新見は考えていた。
大木の悔しさは痛い程よく解る。この時点で山本 太一は犯人に最も近い容疑者と言える。
しかし、あの事件以降新見の捜査方針は、大胆かつ慎み深さを常としてきた。捜査の判断は、被疑者の人生を左右する重要な決断なのだ。一点の疑問もその判断に入れ込ませてはいけない。
あの事件……十年前の誤認逮捕。警察が冤罪を回避することが出来た、真由理のアドバイス……
・・・・
三島市内のアパートで、二十六歳の独身女性が性的暴行を受けた後、首を絞められて殺された。被害者は三島市内にある私立高校の英語講師。 地元では新聞各紙が大々的に取りあげ、ニュースやワイドショーではその動向が注目されていた。
三島警察署に捜査本部が置かれると、捜査開始三日後には容疑者が逮捕された。 犯人は、被害者と不倫関係にあった同じ高校の三十六歳の既婚の教師である。被害者から犯人の体液は検出されていないが、部屋から採取した指紋が男性教師のそれと一致したのと、当日のアリバイが無かった為、即日の逮捕となった。警察では、動機は痴情の縺れが原因と踏んでいる。
新見には違和感があった。それは殺害された後の被害者の状態から感じたことだ。
被害者はベッド上に仰向けで寝ていた。両掌を胸の上に重ね、左右の足は真っ直ぐ伸び、内くるぶしでぴったり閉じている。衣服や髪に乱れはなかった。殺害後に犯人が整えたのであろう、犯人の被害者に対する敬愛の念すら感じた。果たして、痴情の縺れでこのような感情が生まれるものなのか……と。
新聞報道で事件の概要を知った真由理には、自身の疑問を打ち明けてある。
「新見君、この本を読んでみて。解るから……取り返しがつかなくなる前に、お願い」
「この小説が、今回の事件と関係があると……」
「容疑者はこの小説の主人公と同じ感性をしている。このままだと警察は冤罪を引き起こしかねない」
渡されたのは、昨年発刊された小説の同人誌である。短編小説が収められた、五百ページ程の分厚いB5版の本の中央辺りにしおりが挟まれている。開き見ると、無名の著者による短編小説の題名が記されていた。
『落日の眩耀』とある。
「六千文字足らずの短編小説だから、直ぐに読めるはずよ」
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