第13話

 それからというもの、酔っ払った人々が雑音を喚き散らしながら流れていく時以外は、麺を啜るズルズルという音と、コタニがべらべらと喋り続ける声だけが、夜の闇を和らげるのであった。


「タカナシ、お前今日は何やってたん? あ、バイトか。日雇いサンタの? そういや、なんか今日、駅前の方で騒ぎがあったらしいな。俺よく知らねぇけど。俺も今日はバイト三昧だったんだぜ。あ、今日ってか、最近ずっとなんだけどな。今日はサンタの格好で、小さい子たちにずっと風船配ってたんだ。いやぁ、小さい子って可愛いよなぁ。こーんな、こーんな小っちゃかったんだぜ。俺なんかもう、サンタさんにも飴あげるー、なんて言われちゃってさぁ、その子の幸せを願わずにはいられなかったね。ああもう本当に可愛いぞ子どもたちってのは。あ、ロリコンとかじゃなくてさ、一般論的に。若いってのは本当に羨ましいぜ。俺にも昔はあんな頃があったんだなぁって思うと、なんだかちょっと泣けてくるよなぁ。まったく、いつの間にこんなおっさんになっちまったんだか。あー、もう、ガチで泣けてくるよ……――」


 ふいに押し黙ったと思ったら、コタニは残ったスープを一気に飲み干していた。


「ふー、食った食った。ごちそうさん、タカナシ!」

「おう」

「あ、そういや俺、明日っからグリーンランドに行ってくっから」

「はぁ?」


 俺は素っ頓狂な声を上げた。アメリカ贔屓のコタニが、どうして唐突に欧羅巴、それもグリーンランドに行くのであろうか、はなはだ疑問である。

 俺があまりにも不可解そうな顔をしていたからであろう。コタニは俺の方をちらりと見て、恥ずかしげに頭を掻いた。


「笑うなよ?」

「うん」

「俺さ、サンタになりてぇんだ」

「……」

「小さい頃から夢だったんだよ、サンタになんの。グリーンランドが本場だって聞いたから、これを機に行ってみようと思って」

「これを機に?」

「父さんの二十年忌」


 まるで今日は寒いですねと言ったかのような淡々とした調子だったので、むしろ俺は緊張してしまった。困ったことに、コタニはまったく動じておらず、俺ばかりが狼狽えてしまっている。それがどうにもみっともなく思えて、俺は俯いて耳だけを傾けた。


「ま、死んでんのかどうかも定かじゃないんだけどなぁ。それこそ、どこだか外国に行って、それっきり消息不明になったとかって。だから、本当は母さん、俺がひょいひょい外に行くの、好きじゃないと思うんだよなぁ。でも、何も言わずに、好きなことをやればいい、って送り出してくれるから……――」


 コタニはしばらくの間、言葉までをも忘れて物思いに耽っているように、中空を眺めていた。

 俺はすっかり冷めきってしまったカップヌードルのスープを啜った。いやにしょっぱく喉に貼り付いてきて、俺はむせそうになるのを必死にこらえた。


 不意に、白昼夢から脱け出したかの如く、コタニが勢いをつけて立ち上がった。


「タカナシ、お前、何か夢ある?」

「夢?」

「おう、夢!」


 コタニはにっかりと笑った。


「俺がサンタになったら、お前んのを二番目に叶えてやるよ」

「二番目かよ」

「当然だろ。一番はもう決まってるからな」


 ああそう、と俺は何も分かっていない体を装って、不服そうに頷いた。それから俺はちょっとだけ考えて、かつての俺が願ったことを繰り返した。


「じゃあ、一番星になりたい」


 そう言うと、コタニはきょとんとした顔になった。


「一番星? そんなのもうとっくになってんじゃん」

「え?」

「この世に存在している自分、ってのは、一番星なんだぜ。誰よりも早く、誰よりも強く輝く、たった一つしかない星なんだって、聞いたことがある。自分に自信があればあるほど、強く輝くから、見失いがちになって、反対に、自信が無ければ光も弱まるから、自分を見つけやすくなるんだ、って」


 あっれ、これ誰から聞いたんだっけかな…――と首を傾げるコタニの前で、俺は今までに感じ得たことのない感情に戸惑っていた。帽子があったら脱いでいただろう。鱗があるなら目から落ちていたかもしれない。それほどまでに俺は驚愕して、畏怖の念を抱き、胸の奥に熱を覚え、寒さとは違う微弱な震えを感じていた。


 要するに――俺は感動していたのだ。


 俺の気など知らず、コタニは下駄で謎のステップを踏みながら「他になんかねぇのー?」と言った。

 俺はまた少しだけ考えて、就職したい、と言った。


「はははっ! なんか一気に現実的かつ切実な願いになったなぁ!」


 からからと笑ったコタニが、OK, old sport! Please wait for…about 3 or 4 years. I`ll be sure to fulfil your dream. See you!! と一息に言って(案の定俺には何と言っているのかまったく分からなかった)背を向けると、片手を上げて駆け出した。

 俺は自分でも気付かぬ内に立ち上がっていた。

 そして、叫ぶ。


「メリークリスマス!」


 コタニが驚いたように立ち止まって、振り返った。


「Merry Christmas!!」


 一言だけ残し、コタニはもはや脇目も振らずに闇の向こうへ消えていった。

 あいつはきっと満面の笑みを浮かべていた、と俺は確信する。そしてたぶん、あの人もそうだったのだろう。


 俺はあいつが残していったカップヌードルのゴミを、悪態をつきつつ拾い上げて、帰路に就いたのであった。



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