第12話

 俺は独り街中をさまよっていた。

 常に隙間風に侵略され続けているオンボロアパートの一室には、どうしても戻る気になれなかった。どうせ吹きっさらしにされるのであれば、屋根と壁がないだけ外の方が開放的で良い。

 そして何より、誰かの近くにいたかった。見ず知らずの人であろうと、幸せそうな人間が視認できる範囲内にいる、というのは、なかなかに癒されるものである。独りの夜に寂しくて死にそうな時、決まってラジオを点けるのと同じことだ。今この瞬間、俺と同じように生きて喋っている人がいる。それさえ分かれば俺は夜を越えられる。


 どこをどう行ったのかは分からない。

 気付くと、俺に痛々しいものを見るような視線を向けていた人々の大半は街路から消え、イルミネーションも電源を切られて沈黙し、閑散とした商店街の真ん中に俺は立っているのであった。


 いい加減帰ろうか、と思ったその時。


「Hey, old sport! Where you headed?」


 流暢な英語で話しかけられて、俺は慄きつつ振り返ったのだが、そこにいたのが我が知り合いであると分かると嘆息した。そいつはサンタの格好で、なぜか裸足に下駄を履いて立っていた。


「なんだ、コタニか」


 俺はあからさまに嫌そうな顔をしていたと思うのだが、コタニはまったく歯牙にもかけず、夜の街には不釣り合いなほど陽気な大声で何かしら言った。何かしら、と形容したのは、それがすべて英語であったためだ。必修にもかかわらず英語を落としまくっている俺の語学力を舐めるでない。

 俺はホールドアップして言った。


「コタニ、日本語で頼む」

「えー、ったく、仕方ねぇなぁ。聖なる夜に野郎一人ってのが寂しいのは分かるが、そんなシケたツラしてちゃあ、せっかくの陽気な衣装が台無しだぜ! って言ったんだよ」

「本当にそう言ったのか?」

「もう一回言ってやろうか? 今度はゆっくり」

「結構。ゆっくりだろうが何だろうが、分からんもんは分からん。そんなことよりお前、今日の朝俺の部屋に来たの、お前だろう?」


 そう問えば、コタニはあっさりと頷いた。


「Yeah. 俺だよ。良いクリスマスプレゼントだったろう?」

「俺の家はごみ箱じゃないぞ」

「そんなつもりないさ。それにお前、その恰好を見るに、あれを見てバイトに行ってきたんだろう?」

「あぁ……まぁ……」

「見たか。俺のおかげだな。ってわけで、ラーメンか何か奢ってくれ」


 平然とたかってくるこいつの豪胆さというものを、俺は時折見習いたくなるが、こいつの如く屈託なく言える自信がないのでいつも断念している。

 通常通りなら一も二もなく断固として拒否するところであるが、俺もまた腹を空かしていたのは確かだったので、財布から五百円玉を一枚だけ取り出した。


「ほらよ。カップヌードル二つ、これで買えるだろ」

「Oh, yeah!! Thank you, old sport!!」


 飛び跳ねた下駄がそのまま高い音を引き連れて、軽快に駆けていった。少し離れたところに煌々と道を照らしているコンビニがあり、そこへと突入していく。

 俺はすぐ傍にあった巨大なクリスマスツリーの根元に腰掛けた。そうしてから、そこではたと、どうやら俺の頭は殴られた所為で少々イカれてしまったらしいと思い至った。確かに五百円あれば、カップヌードルの一つや二つは買えるだろう。しかし、お湯はどうやって調達するのだろうか。学生協のショップのように、便利な給湯器など設置されていようはずもないのに。


 これは帰宅してからの飯になるな、と俺は二十二時の終わり頃を指す時計を見ながら落胆の息を吐いた。時には誰かと――たとえそれが野郎で、しかもインスタントラーメンで、加えてクリスマス・イヴであったとしても――夕飯を共にする日があっても良いと思うのだが。

 カラン、コロン、と季節外れの涼しげな音が、コタニの帰還を報告する。そして手渡されたのは、蓋の隙間から白い湯気を上げるインスタントラーメンのカップだった。


「待たせたな! ほい、これお前の。あと一分半ぐらいで食べ頃だぞ!」

「え、これ……お前、お湯、どこで……?」

「あぁ、コンビニのお兄さんに頼んで、入れてもらった。お湯くらい安いもんだろ。はい、フォーク。やっぱカップヌードルはフォークじゃなきゃな! 俺わざわざお兄さんに頼んだんだぜ、フォークにしてくれ、って」


 コタニのコミュニケーション能力はきっとカンストしているのだろう。俺は半ば呆然としながら、「ありがとう……」と、フォークを受け取った。


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