延滞料金

ブンカブ

延滞料金

 DVDのレンタル期限が過ぎようとしていた。

 時刻はすでに深夜0時を過ぎていた。青年は食いかけのカップ焼きそばを引っくり返し、慌てふためきながら部屋中を引っかき回した。


 サイフだ。サイフがない。


 いや見つけた。青年はなぜかゴミ箱に捨てられていたサイフを掘りあてた。あまりにみすぼらしかったので、ちゃぶ台の上を掃除した際に、一緒に投げいれてしまっていた。青年は大げさな仕草で額の汗をぬぐうと、ガマグチの金具をパチッとはずした。


 中身がない。


 10円が3枚あったが、ないと言っても差し支えない。

 最も安い某アイスキャンディーでさえ買えない。

 ここで青年は再び丸時計をあおいだ。瞬きをしても、目をこすっても、非情なる現実は刻一刻とゲームオーバーへと導いていく。


 待て、落ち着け、落ち着くのだ俺。


 青年はノートとペンを手に取り、アパートからレンタルショップまでかかる時間を微積分ではじき出した。これぞ理系のお家芸。どんな簡単な問題も、一瞬でむずかしくできる。しかし何度計算し直しても「間に合わない」という結果が導かれてしまう。それもおかしなことに、計算しなおすたびに「間に合わない」確率はどんどん上昇していってしまう。


 ついに青年はのた打ち回りながら呪詛の言葉を吐きだしてしまう。


「くそ! 国営放送め! あれに金を払わなければ!」


 思い返すは3日前。それまで無視し続けていたためだろうか、ついに国営放送は最終兵器を投入してきた。

 超・美人。

 白い肌はきめ細かく絹で編み込まれたような繊細さ。

 黒く長い髪はリンスCMの女優も真っ青なほどにしっとりとしたしなやかさ。

 唇は肉厚。ほどよく張りがあってハイライトはルビーの輝き。

 彼女は光の速さで青年の心とサイフの紐を解き放ち、流星のごとく帰って行った。渡されたLINEアドレスはダミーだった。


 青年は本のしおりになっていたスマホを引きぬくと、すばやく履歴から番号を呼び出して電話した。数回のコールの後、友人が電話に出た。


『もしもし?』

「金をよこせ!」


 ピッ。

 ツー、ツー、ツー………。

 なぜ切られたのか皆目見当もつかなかった青年は、もう一度今の相手へと電話する。すると、うんざりした声が聞こえてきた。


『……ああ?』

「なに怒ってんだよ。俺の話聞けよ」

『こんな時間にかけてきて『金よこせ』だぞ。普通に考え––––』

「あっ、そうだ金よこせ!」

『ねえ、けんか売ってるの? 特売中なの?』

「いくらで買ってくれる……? 安くしておくんだが」

『どんだけ……』


 青年は本来なら1分はかかるだろう説明の内容を3秒に濃縮して友人に聞かせた。


「……ということなんだ」

『何でそんな説明を終えたような言いかたなの? まだ何も聞いてないんだけど』

「金をよこせ」

『おやすみ』


 通話が切れる。


「あっ、おい!」


 三度呼びだしたが、電源を落とされてしまった。


 ディスプレイ上の時刻を確認した。店が閉まるまで残り10分を切っていた。走って行っても15分はかかった。しかし自転車を使えばどうだろう。寸前のところで滑りこみセーフに持ちこめる試合展開ではないのか。しかし、この作戦にはたった一つ致命的な欠点があった。


 自転車がない。


 だが青年は諦めなかった。その二つの眼はダイヤモンド並の希望の光を放っていた。昔のえらい人は言っていた。ないものは作ればいい。自転車がなければ作ればいい。


「よっしゃあ! 希望がわいて来た。へへっ、こいつは徹夜になるかもなってバカァッ!」


 地団太じだんだ

 地団太。

 壁がうすいので隣から「ズガンッ」と一発、壁を蹴られた。


「うう……もう駄目だ。俺はDVDの延滞料ひとつ払えない社会のゴミなんだ」


 よろよろと崩れ落ちた先、目が行ったのは流し台の横にまとめておいたダンボールの山だった。その邂逅、およそ5秒。しかし青年とダンボールの精神世界ではそれ以上の時が流れ、彼等はそれが運命の出会いであることを確かめ合った。


 カッと青年の目はかっぴらく。

 ダンボールを抱きかかえ、部屋の鍵を手にした。


「これしかない……!」


 青年はダンボールと共に外へと躍り出た。アパートは高い丘の上にあった。もちろん整備され、駅前からアスファルトでつながってはいるが、ガードレールを一歩はずれれば雑草や木々が生い茂っている。そして何より、落ちて行かんばかりの下り坂だった。


 今、彼はダンボールをスノーボードのごとく構え、ガードレールの上に立っている。いったいどうやって立っているのか、まことに器用な奴だとは思うが、とにかく立っていた。あまり深く考えてはいけない。


 眼下の坂を見おろす青年の姿は、さながら大雪原にいどむプロボーダーのようだ。


 あえて言おう。「ダンボーダー」であると。


 目的のレンタルショップはこの坂の下だった。常人と同じように正規のルートで進んだ場合、閉店までにたどり着くのは不可能の一言だった。しかし、この坂をすべり下りたとすれば話は変わってくる。危険なルートだ。命の保障は出来ない。が、やるしかない。常識を超えるには、常人と同じ道をたどってはならない。


 ゆえに、彼はダンボールを手にした。

 己の運命を切り開くために。

 家計を延滞料金300円から守るために。


 青年はガードレールを後方にけり飛ばし、すばやくダンボールの上に飛び乗った。

 加速。

 耳元を風が切りさく。青年には眼下の夜景がせまり来る死神に見えていた。

 雑草を踏みつぶしながら、なおもダンボールは加速を続ける。

 そして迫り来る第一の難関。杉の木のカーテンエリアだ。

 その様はあたかも青年の行く手をはばむ魔女のコートのようだった。


 青年は「スゥッ」と一呼吸すると身をかがめてバランスを確かめる。次の瞬間、青年を乗せたダンボールがするどいターンをかました。雑草を虚空に巻きあげながら、彼は右に左に、杉の木をたくみにかわしていく。


 木々の合間を潜り抜け、再び舗装された道路に合流する。青年は当然、そんなありきたりな道になどわき目もくれず、さっそうと次のガードレールに飛び乗り、再びダンボールで急勾配を駆けた。


 次の難関は荒地だった。斜面のあちらこちらが抉られており、下の大地がむき出しになっていた。うっかり入り込んでしまえばタイムロスは必死だった。青年はターンを上手く使いながらそれらの荒地を紙一重で回避していった。そして、ようやくそのエリアを抜け切った……安堵したその矢先だった。


 甘かった。


 青年の眼前に巨大な砂地が姿を現した。なぜ砂地なのか。そんなことはわからない。神のいたずらだろうか。道路公団の嫌がらせだろうか。ただ確かなのは、そこに入ってしまえば完璧にアウトだという事実のみ。


 青年は爪を地面につきたてながら強制的に進行方向をねじ曲げていく。彼が目指した先、それは一際大きく盛りあがった地面だった。彼はその起伏をジャンプ台のように利用し、目の前に広がるバンカーを飛び越えようとしていた。が、半ば無理やりねじ曲げられたコースのせいでダンボールの速度は大きく落ちていた。


 届くか。

 青年の首筋に冷たい嫌な汗が流れる。

 届くか?

 いや、ちがう。届かせる。「届くか」と問うのは届かせる気のない者の言い訳だ。いつだって目標をつかみ取る者は己の力で「届かせる」ものだ。届かないとわかっているのならば、届かせるための手段を考えればよい。一分、一秒たりとも勝利のための思考を停止させてはならない。


 青年は体全体をちぢめて、一個の点になるようにつとめた。こうすることで重心を一点に集中させ、大きな加速度を得ようとした。


 そして運命のジャンプ。

 顔面におそいかかる風圧の壁。

 消失する重力。

 ジェットコースターのような速度で落ちていくのを青年は全身で感じとった。

 果たして成功か否か……駄目だ。そんな考え方では勝てない。

 青年がそう思った次の瞬間、着地。


 しかし、失敗。


 青年を乗せたダンボールはおしくも砂地と芝の境目に落ちた。

途端、急激な摩擦でダンボールが止まり、青年の体だけが斜面を転がり落ちた。


「まだだあああああああぁぁぁぁぁぁ!!」


 彼は諦めない。膝や腕に走る痛みをものともせず、遅れたタイムを取り返そうと全力疾走した。


 走り、転び、立ち上がり、それでもけして諦めることなく走り続ける。諦めることを知らないわけではない。楽になりたければ諦めるのも手かもしれない。ただ、諦めたからといって何が解決するわけでもない。どんなくだらないことだっていい。一度目標をもったなら、いっそのこと後先考えずに飛び込むくらいの勇気が必要だ。そう、この青年のように。


 青年はけっきょく間にあわなかった。店の照明は落ちていて、人の気配もなかった。泥にまみれた膝をつき、傷だらけの拳を冷たいアスファルトに打ちつける。青年は確かに諦めなかった。彼にできるすべてのことをやった。しかし、その結果がいつでも報われるとは限らない。


 「届かせる」ための行動をした者が全て成功するわけではない。だが成功するかどうかはやってみなければわからない。そしてやらない者に成功はない。この青年がそうであったように、人にできるのは自分が「成功する側の人間」であることを信じることだけだった。


 青年が計り知れない無力感に苛まれ、その場にくずれ落ちていると、店の裏側から話し声が近づいてきた。出てきたのは数人の男女だ。おそらくは店員だろう。どうやらこれから帰路につくようだった。


 だが、それも今となってはどうでもいいことだ。青年は自嘲気味に笑うと、ゆっくりと立ち上がって踵を返した。


「あれ?」


 と、その背中に店員らしき女性の声がかかる。


「ひょっとして、ご返却でしたか? すみません、今日はもう閉まってしまったんです」


 そんなことはわかっている。わざわざ傷に塩を塗りこむようなことをしなくてもいいのに、と青年は思った。


「なので、こちらの返却ボックスをご利用ください。ちょっと待ってー、今行くからー。あ、すみません、それでは失礼します」


 女性はトタトタと走り去っていく。


「…………なんでやねん!」


 青年はDVDをボックスに投げ入れ、泣きさけびながらアパートへと帰った。




<終わり>

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