第68話 現実:医学-医療-感染症 「風土病」
★風土病(ふうどびょう)endemic disease:
▼風土病:
風土病とは、ある一定の限定した地域に定着し、古くから多く流行を繰り返す病気の総称。
地域によっては地方病ともいわれる。
例えば、ミステリーのトリックを構成する重要な要素として雛見沢のみに蔓延する微生物が引き起こした架空の風土病「雛見沢症候群」がある。
また、仏教における苦(ドゥッカ)には、四苦八苦(しくはっく)のうち根本的なモノを生(しょう)・老(ろう)・病(びょう)・死(し))の四苦とし、その中に病苦 - 様々な病気により痛みや苦しみに悩まされる - がある。
なお、聖書『ヨハネの黙示録』に記される四人の騎士-小羊(キリスト)が解く七つの封印の内、始めの四つの封印が解かれた時に現れる-は、それぞれに《地上の四分の一の支配》、そして《「勝利(支配)」即ち「征服」》《剣》と《飢饉》と《死》・《獣》等地上の人間を殺す権威を与えられているとされ、中でも第四の封印が解かれた時に現れる騎士は青白い馬(蒼ざめた馬)に乗った「死」で、側に黄泉(ハデス)を連れ、疫病や野獣をもちいて地上の人間を死に至らしめる役目を担っているとされる。
ただし日本語では「騎士」といわれるが、「馬に乗る者」(英語では「horseman. 名詞. ライダー 騎手 馬乗り」)の意訳であり、原典には身分階級としての「騎士」に相当する単語は無い。
▼感染症:
『病原微生物』、ないし『病原体(ウイルス(20-300 nm)・リケッチア(1-4 µm)、スピロヘータ、マイコプラズマやクラミジアといった細菌(0.5-10 μm)、真菌(1-10 µm)、原虫(1-20 μm)、寄生虫)』がヒトや動物のからだや体液に侵入し、定着・増殖して感染をおこすと組織を破壊したり、病原体が毒素を出したりしてからだに害をあたえると、一定の潜伏期間を経た後に病気となり、これを感染症という。
▼伝染病:
感染症の類義語として伝染病があるが、これは感染症の中でも特に強い伝染性を持つモノを指している。
感染 < 伝染
▼疫病(はやり病):
また、更に強い伝染性をもつ感染症の流行を疫病(はやり病)と呼んでいる。
感染 < 伝染 < 疫(流行)
なお『倭名類聚抄』には“疫”の字の意味について「民が皆病むなり」とある。
◎日本で疫病として流行したと考えられているもの
・痘瘡(天然痘)
・麻疹(はしか)
・赤痢
・癩
・結核
・梅毒
・コレラ
・インフルエンザ
・新型コロナ
などがあげられる。
こうした病気は古くは元々特定の地域の風土病であったが、文明・文化・社会の発展と異世界との交流拡大による人や文物の往来に伴い、これまで同種の病が存在しなかった地域にも伝播し、中には世界的に流行するようになったと考えられている。
1492年ののち発生した、東半球と西半球の間の植物・動物・食物・奴隷を含む人びとなど、甚大で広範囲にわたる交換―コロンブス交換は、新種の作物と家畜を循環させるなど地球のあらゆる社会に影響を与え、また多くの文化を絶滅させ、ここでは多くの感染症もまた交換されることとなった。
・【マラリア】
熱帯付近に多く住む蚊が媒介するこの病も風土病に該当するとされることが多い。
・【コレラ(Cholera、虎列剌)】
もともとガンジス河デルタ地帯の風土病であった。
コレラという名前は、ヒポクラテスが唱えた四体液説の中の一要素である、黄色胆汁を意味するkholに由来する。四体液説では人間の体液を四元素説に対応した四種類(血液、粘液、黄色胆汁、黒色胆汁)に分類したもので、黄色胆汁は四元素のうち「火」に対応した、熱く乾いた性状を持つものと考えられていた。
コレラは当初、この性状に合致する熱帯地方の風土病だと考えられており、また米のとぎ汁様の下痢が胆汁の異常だと考えられたことから、この名がついた。
コレラの感染力は非常に強く、これまでに7回の世界的流行(コレラ・パンデミック)が発生し、2006年現在も第7期流行が継続している。
日本では、最初に発生した文政コレラのときには明確な名前がつけられておらず、他の疫病との区別は不明瞭であったが、しかしこの流行の晩期にはオランダ商人から「コレラ」という病名であることが伝えられ、「虎列刺」と当て字がなされた。
また「コロリと死んでしまう」の連想から「虎狼痢」「虎狼狸」などの呼び名も広く用いられたが、これはコレラからの純粋な転訛ではない。
・【ペスト】黒死病
約2600年前に中国の仮性結核菌から変異して誕生したペスト菌は、以降シルクロードなどを通してユーラシア各地に伝わり、流行条件に合致した際に地域的な流行(エピデミック)をもたらしてきました。
紀元前3世紀マケドニアのアレクサンドロス大王が(フェニキア人が建設し地中海での商業活動での覇権を競っていた)ティルスへ攻め入ったとき、長期にわたって抵抗され陥落しそうもなかった為に生物兵器として(たまたまペストで死んだマケドニア兵の着衣を敵の飲水用泉に投げ入れたところ数日のうちに敵兵数千名が倒れ勝利したと伝えられる)使用された歴史がある。
6世紀には「ユスティニアヌスの疫病」と呼ばれるパンデミックが地中海世界を覆いビザンティン帝国衰退の一因となったとも言われます。
ですが、その後はパンデミックというようなことは起こらず、現在の中国雲南省などの風土病として長く現地の人々に恐れられるに留まります。
ですが皇帝即位前のクビライ率いるモンゴル帝国軍が1253年に雲南省に攻め寄せた為、その交易網に取り込まれた事で1320年代頃にはゴビ砂漠周辺で人間へのペスト感染が拡大を始めたようなのです。
またモンゴル帝国支配下で人口稠密な中国全土にも伝播し、1334年の杭州などでは前年の旱魃と飢饉で衛生・栄養状態が悪化していたこともあり、ペストらしき疫病で500万人が死亡したと記録され、こうして全土に流行したことによって中国の人口は半減したと言われています。
中国以外のモンゴル帝国各地にも、中央アジアを起点として交易網に乗って拡大を続けました。
交易品に紛れたペストの宿主であるネズミがモンゴル高原・中央アジアへと運ばれ、その血を吸ったノミを介して現地のげっ歯類に感染が広まりました。
こうしてペストは1341年頃にはイラン、1345年頃にはロシア南西部と陸路を順調に進み、1346年にはついにモンゴル帝国の拡大にも追いつき、西端の最前線陣中でも発生するに至ったのです。
そして災厄・感染はまだまだ加速しヨーロッパ各地へ。
1347年シチリアのメッシーナから地中海交通網によって結ばれた島嶼の交易路に沿ってピサ・ジェノヴァ・ヴェネツィア・サルディーニャ島・コルス島・マルセイユへ。
1348年に入っても地中海交通網に乗って北アフリカ沿岸の港湾都市はことごとく感染。
さらにヨーロッパにおいても陸路を侵攻し内陸部へ、アルプス山脈以北まで拡大。
1349年には欧州を陸路で縦断。オーストリア・ドイツも超えてネーデルラント(オランダ)へ到達。
海路からもフランス経由でイングランドまで。
1350年にはスカンディナビア半島・バルト海沿岸・スコットランドとヨーロッパ全土を黒い死が覆いつくし、このパンデミックによりイギリスやフランスの人口は半分以下、ヨーロッパ全体でも全人口の1/3から1/2程度が犠牲になったものと推定されています。
ペストが蔓延し政治的にもモンゴル帝国が混乱すると急速に分裂を始め崩壊します。
1855年、中国雲南省で流行したものを起源に1894年に香港でペストが大流行。これが海上輸送でアジア各地やハワイ・北米に輸出され、パンデミックとなります。
このパンデミックの際、香港で日本から派遣された北里柴三郎らによってペスト菌が発見され、ペストの病原体を特定。以降は研究が進み抗血清による治療法が確立し、有効な感染防止対策がなされ流行は減った。
ペストは「極めて危険だが治療の手段もある伝染病」となりました。
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