第55話 現実:技術-工業製品 マッチ
マッチ……それは大塚食品 | ビタミン炭酸MATCHの事でも、近藤(こんどう)真彦(まさひこ)ニックネーム マッチの事でもない。
▼マッチ(英: match):マッチの語源は「蝋燭の芯」という意味である。
漢字では燐寸。
細長い木片や厚紙などの可燃物質(火が燃え移りやすい引火性の物質)の軸木からなる先端に摩擦で発火する発火性のある混合物(頭薬)をつけた発火用具の事である。
一般にリンの燃えやすい性質を利用して喫煙や料理などの火起こしに使われる。
発火点は約150度。
マッチには,
(1) 軸木に発火性の薬剤をつけ,どこで摩擦しても発火する摩擦マッチと,
(2) 発火性薬剤を軸木と箱側とに分けてつけ,両者の摩擦によって発火する安全マッチとがある。
(1) 摩擦マッチの頭薬には,摩擦熱で発火するのに必要な化学物質がすべて含まれている為頭薬を靴底や板壁などにこするだけで発火する。
摩擦マッチは頭薬中の薬剤の種類により、黄リンマッチ・赤リンマッチ・無リンマッチ・硫化リンマッチがある。
黄リンはリンの形態の一つで、リンの同素体白リンの表面を赤リンが覆ったものです。
ただし赤リン自体は比較的安定した物質ですが白リンの融点は44.1度と低く、空気中に放置すると勝手に酸化されて自然発火します。
また毒性が強くてニンニク臭がすると言われています。
(2) 安全マッチの頭薬は摩擦マッチよりはるかに高温でなければ発火せず、また発火させるための側薬とこすり合わせる必要があるので安全マッチと呼ばれる。
どちらにせよマッチを発火させる物質としてよく用いられるのがリン化合物である。
故に摩擦マッチの頭薬と安全マッチの側薬にこの物質が含まれている。
(1) 摩擦マッチのうち、黄リンマッチは毒性と発火危険性があるため現在製造が禁止されている。
代わりとして硫化リンと酸化剤がわずかな衝撃で発火する性質を利用した軸木に硫化リン(いくつかの種類の混合物、主成分は三硫化リン)と酸化剤からできている硫化リンマッチ(ロウマッチ)が用いられた。
とは言え、これも火事になる危険性があるため普通のところでは手に入れることができません。(「黄リンマッチ」は、19世紀に広く普及したマッチです。
低温で発火し危険ではあるものの、当初はその発火点の低さから、
どこで擦っても発火する便利さからマッチとして広く使われ普及していました。
しかし結局わずかな摩擦や衝撃で発火したり温度上昇で自然発火するため、黄リンマッチが原因の火災が数多く発生し、さらに黄リンの持つ毒性のため、作業員が燐中毒壊疽という職業病にかかることが社会問題となり、故に1906年スイスのベルンで開かれた国際会議で黄リンの使用は禁止されました。)
現在マッチの頭薬には自然発火温度が高く、毒性もない赤リンが使われています。
(2) 現在日本で製造されるマッチの大半は安全マッチで塩素酸カリウムを主体に松脂(まつやに)ガラス粉・ケイ藻土などの混合物を膠(にかわ)液で練って軸頭につけ、箱側には赤リンと硫化アンチモンの混合物を膠液と練って塗布してあります。
ですから、マッチ箱の側面でこすらない限り普通は発火しません。
軸木には着火剤としてパラフィンをしみ込ませ、燃えかすが落ちないようにリン酸アンモニウム処理を施してあるのがふつう。
マッチがいつごろから使われだしたかははっきりしないが、19世紀前半にはヨーロッパで工業的生産が始まっている。
日本では1875年に東京で黄リンマッチが製造されたのが最初とされる。
・原料
頭薬の燃焼
主な原料は頭薬・側薬になる薬品と、軸・箱になる木・紙である。
・頭薬
塩素酸カリウム、硫黄(いおう)、膠(にかわ)、ガラス粉、松脂(まつやに)、珪藻土、顔料・染料
しばしば頭薬にリンが使われているという表記が散見されるが、少なくとも1900年代半ば頃以降は軸部分にリンを用いていない。
・側薬
赤燐(せきりん)、硫化アンチモン、塩化ビニルエマルジョン
▼歴史:
火は人間の生活に必要不可欠のものだが、木の摩擦熱や火打石による発火法は手間のかかる作業だった。
だがマッチは古代から使われていた火打石や種火の保管などに比べて容易かつ安全に着火できるため、かつては広く用いられていたが、現在ではコンロやストーブなどの火を使う製品にはほぼ漏れなく点火装置が付き、煙草の着火用としてもライターが普及。
さらに喫煙率の低下もあって、マッチの需要は大きく低下している。
実際の用途としては、仏壇のある家庭で蝋燭の着火用や学校などで理科の授業にアルコールランプなどを点火するためというのが多い。
なお喫煙器具の一種であるパイプ用には炎が横に噴き出る専用のライターもあるが、流通が限定されるため、マッチが利用されている。
・1805年:最初のマッチは
パリでジャン・シャンセルが塩素酸カリウムと砂糖とゴムを先端につけた木片を硫酸に浸すと発火することを発見し「即席発火箱(French Fire Machines)」として発売した「浸酸マッチ」だといわれています。
・1827年:
イギリスの化学者ジョン・ウォーカーが塩素酸カリウムと硫化アンチモンを頭薬とする摩擦マッチを最初に発明・考案した。
この「ウォーカーマッチ(Friction Lights)」が現在のマッチのもとになっています。
薬剤師でもあったウォーカーの帳簿には、1827年4月7日付で摩擦マッチの最初の売り上げが記録されている。
ウォーカーの摩擦マッチ「フリクション・ライツ」は先端部に塩化カリウムと硫化アンチモンを塗布したもので、二つ折りにした紙やすりに挟んでこすると発火し、形態的には現在のマッチとほぼ同じであったが火付けが悪かった。
ウォーカーはこの商品の特許を取得しなかった。
・1828年:
ついでロンドンのサミュエル・ジョーンズが特許を取得した「プロメテウス・マッチ」は、酸を入れたガラス球の外側を発火性の合成物で覆ったもので、ガラス球をつぶすと包み紙に火がつく仕組みだった。
初期のマッチはなかなか発火せず,たびたび大量の火花を噴き上げ、さらにきわめて不快な臭いを発した。
・1830年:
そこでフランスの科学者C.ソーリアが頭薬に黄リンを使った「黄燐マッチ」を発明した。
これは頭薬をどんなものにこすりつけても発火するため普及したが、
その分、自然発火が起こりやすかった。
また黄燐がもつ毒性が問題となって、後に製造者の健康被害が社会問題化していくことになる。
・1831年:
黄リン (白リン) を加えた製法が開発されると、ウォーカーの摩擦マッチの画期的製法はたちまち広まった。
しかし「ウォーカーマッチ(Friction Lights)」は火付きが悪く、せっかくついた火も飛び散ってしまうという欠点を抱えていた。
・1835年には、
塩化カリウムの代わりに酸化鉛を用い、静かに発火するマッチが実現した。
・1845年:
その後、オーストリアの化学者アントン・フォン・シュロッターが、
自然発火せず毒性のない赤リンを発見。
これにより発火物質を頭薬と側薬に分け、頭薬を側薬(横薬とも)にこすりつけないと発火しない安全マッチが開発され、赤燐を頭薬に使用しマッチ箱側面にヤスリ状の摩擦面をつけた赤燐マッチが登場後、逆に側面に赤燐を使用し、発火部の頭薬に塩素酸カリウムを用い、頭薬を側薬(横薬とも)にこすりつけないと発火しない安全マッチが登場した。
・1855年:
安全マッチの手法の特許はスウェーデンの J.E.ルンドストレームが取得している。
こうして安全マッチが広く受け入れられる一方、黄リンマッチの需要も続いていたが、19世紀末に黄リンマッチ工場の作業員に重篤な中毒が認められ、1906年にスイスのベルンで黄燐の使用禁止に関する国際会議(en)が開かれて黄燐使用禁止の条約が採択され欧米各国は批准し、20世紀に入ると黄リンはほとんどの地域で禁止された。
しかし、マッチが有力輸出商品だった日本は加盟しなかった。
結局、1921年(大正10年)になって日本はようやく黄燐マッチの製造を禁止したが、日本における黄燐による健康被害の実態については、不透明な部分が多い。
アメリカでは黄燐マッチ禁止後も摩擦のみで発火するマッチの需要があり、安全マッチの頭薬の上に硫化リンを使った発火薬を塗った硫化燐マッチが今日でも用いられている。
この硫化燐マッチは強い摩擦を必要とするので、軸木が安全マッチより太く長い物が用いられるのが大半である。(なお、硫化燐マッチは日本ではロウマッチという名でも知られるが、防水マッチと混同しないように注意。
名の由来は、どこですっても発火する黄燐マッチのマッチ棒に塗られた黄燐がロウと外見が似ていたことからであるとされ、黄燐マッチが製造禁止された後に発売された硫化燐マッチもその名で呼び続けられたとされる。
諸外国ではS.A.W. (STRIKE ANYWHERE MATCHES)
(和訳 :どこで擦っても火がつくマッチ。)や、頭薬の先端部に白色の硫化燐を目玉状に塗布されている外見から、バードアイマッチという名で知られている。)
現代の安全マッチの多くは頭薬に硫化アンチモンと、塩化カリウムなどの酸化物質、そして硫黄または木炭を使用し、側薬に赤リンを使用している。
安全マッチ以外のマッチは、通常頭薬に黄リンよりはるかに毒性の低い硫化リンを使用している。
またマッチは一度濡れると頭薬の塩素酸カリウムが溶け出てしまうために、それを乾かしたとしても使えなくなってしまう。
そのため、防水マッチが考案されている。
現在日本で見られるマッチは、通常軸が木製で、箱に収められているものが一般的である。
・軸木にはポプラ、シナノキ、サワグルミ、エゾマツ、トドマツなどが使われる。
日本で現在製造されているマッチの軸木は殆どが中国やスウェーデンからの輸入品である。
・箱の大きさは携帯向けの小箱から、卓上用の大箱まで様々なものがある。
また、軸が厚紙製で、折り畳んだ表紙に綴じられているブックマッチもある。
▼逸話:
・マッチ箱のやすり部分の名称を「よこぐすり」とも言うが、変わった用途として、製図用鉛筆の芯研ぎがある。
・和文通話表で、「ま」を送る際に「マッチのマ」という。
・トイレを使用後にマッチを擦ると、
リン成分がアンモニア等の臭気成分に反応して匂いを消す効果があるが、熱感知器が感知して警報を鳴らし、施設関係者が駆けつける場合
(未成年者の喫煙規制のため)もあり注意が必要である。
また、汲み取り式便所では糞尿が発酵して発生したガスに引火、爆発するといった事故も報告されており、一層の注意が求められる。
・安全マッチはJIS規格でJIS S4001に規定されている。
・日用品の品質が低く国民の不満が根強かった旧ソビエト連邦では、アネクドート(ジョーク)の一つに「マッチ工場が火事になった。燃え残ったのはマッチだけだった」というものがあった。
▼その他の利用法
かつては殆どの家にマッチがあったことから小ささを強調するために「マッチ箱」位の大きさという表現が使われまた大きさの比較対象としてマッチを被写体の横に並べて写真を撮影することは現在でも見られる。
夏目漱石は『坊っちゃん』において、登場する小さい客車をマッチ箱にたとえて表現している。
アメリカの玩具メーカー、マテル社はミニカーを“マッチボックス(Matchbox)”のブランド名で販売していた。
これは「マッチ箱に収まる大きさだが精巧」ということをセールスポイントにしたことから命名されたもので、最初期の製品はその名の通りマッチ箱を模したデザインのパッケージに入れられていた。
“マッチボックス”ブランドはその後プラモデルを大々的に手掛けるようになり、スケールモデルの代表メーカーとして名を残している。
マッチ箱自体に広告を印刷することが可能であるため、安価なライターが普及した現在でも、ポケットティシュと共に飲食店や宿泊施設等では自店の連絡先等を入れたマッチ(小箱のもの、またはブックマッチが多い)を、サービスで客に配ることが多い。
このような様々なマッチ箱を収集の対象とする者もおり、日本の神戸市にはマッチ箱を集めた私設の「たるみ燐寸博物館」が2015年に開設された。
▼マッチ工業:
マッチ製造の特徴は、製造工程の大部分が軽作業の手作業で可能で、
必ずしも機械や大型設備を必要としないところにある。
早くも19世紀後半に各工程の製造機械が発明され、完成度の高いものに結実したが、その普及は各国の賃金、政策、世論等の要因に左右された。
19世紀から21世紀の現在に至るまで、手作業による製造と機械による製造が並行している。
大規模・一貫工程の工場は機械を多用し、労働集約的なところはほとんどない。
その対極が家内工業や内職だが、零細企業で生産が完結するのでなく、中規模の工場で中心工程を行い、手作業を低賃金の下請け、内職として出したり、工場内の低賃金部門にする形態が多い。
歴史的には、そして国によっては現在でも、女性労働・児童労働の比重が高い分野である。
薬品を作って軸木に付けるのが中心工程で、男が比較的高い賃金で行なうことが多い。
軸並べと箱詰めは特別な訓練なしに始められる仕事で、低賃金・一時雇用の女性・児童が数多く雇われた。
また、紙箱作りは貧しい家庭の内職で、ここでも女性と子供が働いた。
・スウェーデン
スウェーデンはマッチに適した軟かいアスペン材を産する19世紀からのマッチ生産大国である。
19世紀まで、スウェーデンのマッチ工業の従事者の過半数は女性であり、
児童労働が多く用いられていた。
家内工業の比率が高く、箱の製作は内職に依存した。
しかしスウェーデンは自国の工作機械工業に支えられた諸発明によって早くも1860年代から作業の機械化を進め、1892年には軸木から箱詰めまで一貫生産する連結式機械が登場した。
児童労働は法規制により19世紀後半に抑制され、20世紀初めに家内工業的生産が衰退した。
機械化に歩調をあわせてイーヴァル・クルーガーの手による企業の合同が進み、1917年に巨大なスウェーデン・マッチ(Svenska Tändsticka AB)社が誕生した。
・日本
日本では、当初小箱一個が米4升と見合う高価な輸入品であった。
1875年(明治8年)4月、フランスに学んだ金沢藩士の清水誠が、マッチ国産製造の提案者であり後援者でもある吉井友実の三田別邸に構えた仮工場でマッチの製造を開始、大きな成功を収め、その後本所に新設した工場で本格的に生産を開始した。
19世紀末から神戸を中心にした兵庫県と大阪がある大阪府の生産が他地方を圧した。
マッチは当時の日本が輸出競争力を持つ数少ない工業製品で、1880年代から中国やインドをはじめとするアジア地域に輸出された。
最盛期である20世紀初めには、スウェーデン、アメリカと並び世界三大生産国となった。
このときは生産量の約80パーセントが輸出にまわされた。
日本では家内制手工業での生産が中心であったが、原料の一つである硫黄が大量安価に手に入ったので価格競争力があった。
軸木は北海道で製造し、これら原料が大都市に送られ、都市下層民の低賃金でマッチになった。
マッチ工場の雇用と内職は大阪・神戸で貧民の生活を向上させたがその反面、マッチ工業は児童労働の集中業種でもあった。
当時のマッチ箱は経木を組み合わせるものであり、箱作り(箱張り)はもっぱら貧民家庭の内職に出された。
20世紀に入ってしばらくすると、スウェーデンのマッチ製造会社が進出してきたため、零細企業が次々と廃業した。
1916年(大正5年)施行の工場法により12歳未満の児童労働が禁止され、徐々に機械の導入も進んだが、日本では工場・内職ともに低賃金女子労働力に頼る工程が長く残った。
1920年代には企業統合が進展するとともに、兵庫県西部(姫路を中心にした播磨地方)に移転した。
昭和になると、スウェーデン燐寸が主導する企業の再編が進み、一時的に日本の生産量の70%はスウェーデンの影響下の会社が製造するものとなった。
しかし1932年にスウェーデン燐寸の総帥、イーヴァル・クルーガーが死去すると本国からの投資が滞るようになり、再び国内の企業による企業の再編が進んだ。
本格的・全面的な機械化は20世紀後半に進み、昭和40年代にマッチ箱が経木製から紙製になると箱張り内職は跡を絶った。
ライターなどの普及、喫煙者の減少によりマッチ生産は減少傾向にある。
現在では姫路市周辺で日本の生産量の80パーセントが生産されている。
▼特殊なマッチ:
・防水マッチ
サバイバルキットや救命ボートに入っているマッチには防水マッチが使われることがある。
これは頭薬部分に蝋を塗って撥水効果をもたせたものである。
また、嵐の中など過酷な状況でも確実に着火させるため、頭薬を多く(長く)使用しているものもある。
・着色マッチ
ストロンチウム・バリウム・銅などの塩を頭薬に配合し、炎が炎色反応を起こして着色するマッチがある。
これはベンガルマッチ、着色マッチなどとよばれる。
・メタルマッチ
アウトドア用品では、メタルマッチあるいはファイアスターターと呼ばれる棒状もしくは板状のマグネシウムがある。
これは、はめ込まれている火打石で火花を飛ばし点火するものだが、綿などの火口が必要となる。
ナイフ等の金属片でマグネシウム部分を削って粉状にし、着火力を上げる事も可能ではあるが、マグネシウムだけでは一瞬派手に炎が上がって消え、着火剤にしかならない。
現状で流通している商品の大半はマグネシウム本体と火打石部分が一体化しており、特に意識すること無く利用可能だが一部マグネシウム本体と火打石部分が完全に分離している物も存在する。
マグネシウム合金の燃焼温度は数千度にも達するため、降雨や湿気のある環境でも非常に容易に着火が可能なこと、繰り返し使用が可能なこと、メンテナンスフリー、なおかつ保存期間に事実上の制限が無いこともあり非常用やサバイバル用として利用されている。
しかし、スムーズな着火には若干のコツが必要なため事前に練習や用途を確認を確認することが望ましい。(一部ではあるが、片手で棒を押しつけるだけで誰でも着火が可能で、防水ケースが付いており、火口も同梱されているような高級品も存在する)
・オイルマッチ
また、オイルライターに似たオイルマッチがある。
これは綿芯が仕込まれた金属棒を本体横の石に擦り付けて発火させる。
本体にはオイルを充填しておき、そこに金属棒を差し込むことで、綿芯にオイルが染み込む仕組みになっている。
ちなみにパーマネントマッチやAQマッチ(AQは永久の語呂合わせ)とも呼ばれるがオイルは消耗品であり、石や綿芯も交換が必要な場合もあるため、そのままの状態で永久に使えるというわけではない。
メタルマッチ、オイルマッチ共に基本的に出荷段階では火打石(フリント)の部分にコーティングが施されており、使用前にナイフや金属片などで火花が出ない程度に軽く擦り、コーティングを削る作業が必要。(確実に、安全に作業を行いたい場合は目の細かいサンドペーパーが推奨される。)
特にオイルマッチに関してはオイルの充填前にフリント部分のコーティングを剥がすことが必須となり、これを怠った場合はオイル漏れや怪我のみならず、思わぬ事故や最悪の場合は火災などの重大な事故に至る恐れがあり、また事例も存在する。
オイルを含まないメタルマッチに関しても無理な力が掛かることによって破損や異常摩耗の原因となるため、使用前にコーティングを剥がす事が望ましい。
コーティングを剥がした部分は放置することによって表面が酸化され、不動態皮膜が発生するため長期間保管していた場合などは使用前に軽く擦って被膜を剥がすことが推奨される。
このような製品については基本的に「ぶつかった、こすった」程度では着火せず、人の手によって意図的に着火を行わない限り、意図しない燃焼が発生する可能性は低い。
前述のコーティングや酸化皮膜も相まり、通常保管や持ち歩く程度でこれ単体が事故の原因になる可能性は極めてゼロに等しい。
しかしながら確実にゼロにすることはできない。
本商品やマッチだけに限った話ではないが、「火を扱うこと、火を起こすための道具である」という認識を持って所持、利用すべきであろう。
▼マッチ売りの少女:
マッチ売りの少女( Den lille Pige med Svovlstikkerne)は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの創作童話の一つ。
彼の5番目の作品として1848年に発表された。
アンデルセンは、経済的に全く恵まれない少女時代を送った母親をモデルにして、この作品を作ったといわれている。
少女は、慌てて持っていたマッチ全てに火を付けると、その姿は明るい光に包まれ、少女を優しく抱きしめながら天国へと昇っていった……パトラッシュ〜!
●近年における他言語などでのストーリー改訂
・物語の時期が大晦日だったものをクリスマスの日に置き換えられる。
・少女が靴を少年のいたずらで取られたりマッチが馬車にぶつかって売れなくなるなど苦難にあう描写が増える。
・少女の遺体を見た町民たちが粗末に振る舞ったことを悔やみ、せめてもの償いにと教会に埋葬されミサで教訓を残すものになる。
など変更点が存在する。
アメリカで発行されたものでは、結末を裕福な富豪に引き取られると言う救いのある内容になっている。
……しかしそれってどう考えても
「やめて…彼女にアメリカンナイズ(隠語)する気でしょう? エロ同人みたいに」
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