第54話 現実:技術-兵器 「ウォーワゴン」と「軍制の変移」
★ウォーワゴン(War wagon)とは、戦争に使われた重厚な馬車である。
内部乗員は馬車で大砲や矢から身を守りながら、細いスリットから槍、弓、弩、銃等で攻撃を行った。
また、キャンプを囲い機動的な要塞としても運用された。
時代や地域によって、
・Wagon Fort、
・ヴァーゲンブルク、(Wagenburg)、
・洞屋车
などとも呼ばれ、ウォーワゴンの運用で最も知られるフス戦争では、
・ボゾバ ハラドバ(チェコ語: vozová hradba)と呼ばれている。
古代には戦車(チャリオット)として戦闘用の馬車は存在したが、チャリオットは馬に牽引されて戦場を駆け回る機動戦力として運用されたのに対し、ウォーワゴンは戦闘時は馬を外す、移動可能なトーチカである点で区別される。
▼バリエーション:MS-V
●ラーガーLaager:荷馬車を円形に配置して守る陣営
語源は南アフリカのlaager, lager, leaguer、laer(ドイツ語の軍を意味するlegerから来ているアフリカーンス語)である。
元々彼ら馬車で旅をするボーア人が、侵略者や夜行性の動物から守るため、荷馬車で円形や四角形に配置し円陣を作り、内側に牛や馬などの家畜を中に引き入れ防御陣地としたもので守った。
●ターボルTabor:
語源はフス戦争の軍事拠点ターボル(Tábor)かフス戦争タボール派に由来する。
コンボイやキャンプに使われる馬車である。ジプシーなどの移動系民族で見かける。
13世紀から20世紀までヨーロッパの軍隊支援に使用され、野外炊具・武器職人・靴屋などの後方支援の人間や、すべての必要な物資を乗せて移動した。
●車営:
明の名将戚継光や孫承宗によって対モンゴル騎兵を念頭に考案・実行された。
火器を搭載した車両(牛馬車)と拒馬器(バリケード)で円陣または地形に合わせた方陣を組み、中心に鳥銃などの小型火器兵と長槍兵を置いたものであったという。
馬車ではない物
●testudo:ローマ時代の攻城兵器
4世紀頃のローマ帝国の軍事学者で、『軍事論』の著者であるウェゲティウスによれば、シラクサ包囲で初めて使用されたローマ軍の歩廊ギャラリー(gallery)と呼ばれる覆いで装甲車化した破城槌やバリスタ群の一種である。
当初は木材と厚板のみであったが、後に全体を生皮で覆う事で耐火性を獲得した。
ローマ軍の歩兵戦術のひとつテストゥド(Testudo)とは、ラテン語で「亀」という意味である。
その名の通り歩兵が互いに重なり合うほどに密集し、盾を掲げた姿は亀のようで、また行動も亀のようにゆっくりとしていた。
同様に破城槌のラムが陸ガメの首を引っ込める動作に似てる事からこの名前が付けられた。
また、ローマがしばしば採用したもう一つの攻城兵器も、ギリシアの水路でよく見られるカメに似ており、こちらは攻城歩廊ムスクルス(筋肉)と呼ばれた。
●ゴウリャイ-ゴゥロト:
ロシア語: で「放浪する町」を意味する移動式の置き盾である。
車輪のほか、ソリでの移動も行われた。
15世紀から17世紀までロシア軍が陣地の構築に使用した。
●木慢:
中国や日本の戦国時代に使用された台車と盾を組み合わせた攻城兵器。
●車盾:(もしくは車竹束)
日本で使用された火縄銃などを凌ぐ台車付防盾。
ローマ時代ではvineae、
英語ではマントレット(Mantlet)と呼ばれる。
●亀甲車:
文禄の役において、中国の兵法書を基に加藤清正らによって製作された城壁に近づくための車で、
矢や石をこの亀甲車で防ぎながら城壁を突き崩した。
▼歴史:
・最も古い記録は、『漢書』に記載されている紀元前119年の漢匈戦争における「武剛車」である。
・紀元前1世紀の書物『ガリア戦記』にも、馬車による陣地について記載されている。
・4世紀のローマ軍将校で歴史家であるアンミアヌス・マルケリヌスによるローマ軍の陣地「AD carraginem」がゴート族野営のような形式に近づいているという説明である。
これを歴史家はWagon Fort(馬車砦)として解釈している。
・その他、1223年のモンゴル軍とポロヴェツ・ルーシ連合軍との間で行われた「カルカ河畔の戦い」など、
多くの戦いで馬車による防衛陣地を構築運用する戦術が見られる。
・ 19世紀のアメリカでも、同じように馬車で円陣を作り開拓者を襲撃から守った。
・ワゴンブルグ戦術:唯の馬車円陣に非ず「ワゴン同士を結ぶことで複数輌の重量を繋げる」上でそれでも戦列自体は、突破されて内側が蹂躙されてしまうことを織り込んで「防御側は何時でも防御陣地の外側に出て側面・後背に襲い掛かれる」「防御側射撃兵士はワゴンの中にいるので突破して陣内に入った攻撃側に集中射撃が可能」というヤン・ジシュカの戦闘芸術(参考:アウシヒの戦い)なので、雑な馬車円陣と比べるのはNG
▼ウォーワゴンと言えばフス戦争:
*マスケット銃 -
当時、火薬兵器としては大砲はすでに用いられていたが、携帯可能な銃火器としてはヨーロッパで最も古く単純なものが開発され、実戦で利用された。
「ピスタラ」(Pistala、チェコ語で「笛」を意味する)とも呼ばれ、ピストルの語源になったともいわれる。
*装甲馬車(ウォーワゴン)(Tabor) -
「ワゴンブルク」とも呼ばれる(直訳すると「荷車城塞」)。
馬で引く農業用荷車の車体上下に厚板製の銃眼付き胸壁を備え、戦闘時には輪状に連結することで簡易城砦と化した。
*ヤン・フス-
チェコ出身の宗教思想家、宗教改革者。
反教権的な言説を説き、贖宥状を批判し、聖書だけを信仰の根拠とし、プロテスタント運動の先駆者となった。
1411年にカトリック教会はフスを破門し、1414年に始まったコンスタンツ公会議によって有罪として世俗の勢力に引き渡し、1415年にフスは異端の罪で杭にかけられて火刑に処された。「異端は異教より憎し」
*ヤン・ジシュカ(1374年 - 1424年10月11日)-
ボヘミアの「フス戦争」の英雄。ヤン・ウェンリーと結婚したジェシカ・ エドワーズの事ではない。
隻眼であったため、隻眼のジシュカと称された(晩年には全盲となった)。
はじめ没落したボヘミアの小貴族であったが、智勇兼備の人物であったため、傭兵となって次第に頭角を現わすも、ボヘミアの首都プラハでは教会の腐敗を批判する宗教改革者ヤン・フスの思想に心酔していった。
彼の生み出した、弩・手銃・砲を装甲馬車(Tabor)とともに活用する戦術によって、当時の騎士による突撃戦術を完膚なきまでに打ち破った。
しかしモラヴィア遠征中にペストにかかり、間もなく死去した為、ジシュカを慕うフス派の兵士たちは自らを「孤児」と称し、ジシュカの戦術を継承してフス戦争を戦い続けた。
旧チェコスロバキアで流通した紙幣で肖像が使用されていた。
*第一次プラハ窓外投擲事件-
フス派の参事会を解散しローマ教会信徒だけの新たな参事会を組織した為憤ったフス派勢力がプラハ市庁舎を襲撃し市参事会員7名を窓から投げ落とした事件。
ヤン・ジシュカはこの事件にも関わっていたとも言われる。
*フス戦争-
1419年から起こった15世紀に中央ヨーロッパで起こった戦争。
宗教改革者ヤン・フスの開いたキリスト教改革派のフス派の信者と、それを異端としたカトリック、神聖ローマ帝国の間で戦われた。
ハンドキャノンや火砲の伝来により、フス戦争はヨーロッパ史最初の火器を使った戦いといわれる。
皇帝軍の騎士たちは、たかが農民と侮り騎兵突撃を敢行したが、馬車を改造した移動式防壁で食い止められ、その背後からマスケット銃の集中砲火を浴びせられた事で大混乱に陥り壊滅した。
また、この戦いはただの農民が10倍にも上る騎士を破ったというだけでなく、銃器が騎兵を破ったという、1575年の長篠の戦いに先駆ける史上初の戦いでした。
*フス派-
聖書原理主義に立つアダム派のような過激な急進派から、カトリックとの宥和をはかる富裕層を中心とした穏健派まで、様々なグループが混在した。
*ターボル派-
フス派の中でも急進派といわれた。
迫害を逃れてきたフス派の民衆をボヘミア南部の山中に集めて城塞都市ターボルを建設し、ターボル派を結成。
ヨーロッパ諸国を敵に回したターボル派は貴族や庶民が団結し、ジシュカが当時の国王の私兵である軍隊ではなく、国民軍の原型のような軍隊を作り上げた。
信仰に基づく厳格な軍紀とマスケット銃や戦車などの新兵器によって無類の強さを発揮し、(つまり殺人ウサギを撃退した聖なる手榴弾?)
ジギスムントの神聖ローマ帝国軍やフス派撲滅のための十字軍も何度も大敗を喫した。
◯軍事史:その変移
古代の農耕社会を基盤とする都市国家や専制帝国の軍隊の中核となったのは、鎧と盾で身を固め槍や剣を装備した「重装歩兵」である。
農耕社会では馬は主に「戦車(チャリオット)」を牽引するために利用され、「騎兵」とは、しばしば同盟関係にあった遊牧民からの援軍を仰いだものだった。
だが、重鈍な「戦闘馬車(チャリオット)」は、これを駆逐する形で軽快な「騎兵戦力」に代わるも、今度は「騎兵戦力」が「重装歩兵」による軍制に置き換わっていると言う。
「騎兵」も未だ重要な存在ではあったが、偵察や追撃といった機動力(移動の速さ)を生かした戦術に用いられることが多かった。
当時の未発達な馬具では、馬に乗り慣れない人間には重い鎧を纏って馬上で戦う事が難しかった為である。
だが戦いの形態は勢力同士による会戦から、北東方面騎馬民族に対する迎撃追撃に焦点が移り、機動力を重視した「騎馬」による軍事編成が重視される用になった。
さらに鐙の伝来により「重騎兵」の重要性が高まったため「重装歩兵」は戦場の主役の座を退いたと言う。
近世に入り火器が発明されると「重騎兵」の強みは失われ「歩兵」が再び主役となったが、その多くは火器を装備した軽装の散兵であって、スペインで発達した密集陣テルシオにしても長槍(パイク)を装備した槍兵の防具は比較的軽装であった。
古代ローマ時代にも、陣屋車ウォーワゴンというのがあったのですが、
中世では騎士が主力になったので一度消えました。
これは、ローマ時代には平地民がウマを疾駆させて突撃させることなど不可能でしたが、鐙が東洋から伝わってきたためそれが可能になり、それまでの歩兵戦術が無力化されたからです。
古代ローマ時代の騎兵は乗馬用の鐙(あぶみ)がない状態で馬を駆らねばならず(あぶみがヨーロッパにもたらされるのは中世)、幼いころから馬に慣れていないと勤まらない特殊技能であったて、また訓練用の馬を用意する経済力も必要なことから、富裕なローマ市民が努めることが多かったからです。
故に本来常に馬に乗らなかった平地民は、鐙無しなので高速疾駆すら難しかったのですが、中世ヨーロッパ時代になると馬の品種改良が進み、鐙をはじめとする馬具が発明されたことで、平地民でも高速でウマを動かしたうえに片手でも操作できるようになりました。
しかし、フス戦争では初めて銃砲が使われるようになりました。
すると、かつて「鐙」が生涯ずっとウマに慣れ親しまない平地民でも、高速で疾駆させ大勢で強力な騎馬突撃をさせることができるようになって時代を変えたように、「銃砲」は弓や剣などを生涯ずっと慣れ親しまない臨時雇いのような市民兵士でも十分に戦力になるため、大人数の歩兵が強力な存在になって時代を変えました。
こうして歩兵が返り咲いたので陣屋車ウォーワゴンも復権しました。
そもそも陣屋車ウォーワゴンは騎士社会では無用なものでした。
なぜなら仮に作ったところで、弓なら訓練が必要な上に弓兵を守る前衛歩兵がいないとならず、クロスボウでは至近距離でないと無力なので、英国のように下馬騎士歩兵軍が必要です。
ですが、反乱市民に下馬して騎士と張り合える訓練された兵隊なんていません。つまり市民兵はウマに乗れず剣も弓もろくに使えないのですが、しかし「小銃」と「大砲」と「壁」によって騎馬突撃を防ぐことができました。
特に大砲は当時砲撃音に慣れさせる訓練などしていない騎士軍のウマ相手には圧倒的で、これによってほとんど無力になるほどです。
このように陣地の壁にしてもよし、移動装甲車にしてもよしで銃砲を持った市民歩兵軍にとってウォーワゴンは強力でした。
ところが相手も銃砲を持つと話は違ってきます。
ウォーワゴンは所詮ウマで引ける程度の装甲しかなく、つまり木材なので銃砲の攻撃にはほぼ無力です。
この後からオラニエ公が登場するちょっと前までテルシオ戦術が流行ります。
これでもう陣屋車は無力化されました。
テルシオは槍兵を銃兵で囲い、敵の突撃時には槍兵が前に出て銃兵を守る攻守方法です。
つまり攻撃手段が銃撃に変わっていきました。
また、大口径銃(マスケット)と小口径銃の組み合わせから、騎士の鎧も無効化されました。
連射ができない銃なのでその隙をついて突撃するも、槍兵によってガードされてしまい騎馬突撃は無力、歩兵による接近もできず戦争は異様に長引くものに変化しました。
火縄銃でもその攻撃は鎧や鉄板ですら防ぐことができません。
この攻撃を防ぐには人間には装着できないほどの厚みの鉄板が必要になります。
となると板を並べた程度の装甲車では全く意味がなくなってしまいます。
後のナポレオン軍が、胸甲騎兵という胸だけに銃弾を防ぐ板を付けた騎兵が登場しましたが、銃弾が防げる厚さの鉄板で、ウマが走行に耐え得る人間が重みに耐える最大の大きさで、ようやく胸を守るのに精一杯といったところです。
それ以上大きくするとウマが潰れて人間は行動不能になります。
と、いうことで銃撃を防ぐ移動装甲車をつくるとなると、それはもう近代の自動機械の馬力でない限り不可能で、とてもウマ数匹で移動できる規模ではなくなってしまいます。
なので近代まで戦車や装甲車(陣屋車やウォーワゴンの再現)は復活しなかったのです。
オラニエ公はテルシオ戦術をつぶして古いものにする対抗策を進め
「反転行進射撃(カウンター・マーチ)」戦法の原型を完成、グスタフアドルフやナポレオンは銃砲戦術をさらに進化させました。
彼らの時代に盾も鎧もなかったのは、そもそも木どころか鉄の板でも銃撃を防ぐことが不可能だったからです。
盾の大きさの防弾板を人間やウマで運ぶことは不可能なので、防弾装甲馬車はコストや運用の面で不可能でした。
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