第39話 現実:地理-分布境界線 - 最初の分布境界線 ウォレス線とウェーバー線
★分布境界線:
個々の生物種の分布域の範囲を区切る線であるが、特に生物地理学において多くの生物の分布の境界になっている、生物相の異なる区域の境界線のことを指す。
さまざまな生物の分布を見ていると、多くの種の分布境界線がほぼ重なっている場合がある。
その線を挟んで多くの生物が入れ替わることになるから、かなり異なった生物相になる。
つまり、生物相の境界線になるわけである。
このようなものを生物地理学では分布境界線として特に取り上げ、それぞれに名前をつけている。
分布境界線の最初のものは、アルフレッド・ウォレスの発見になるものである。
▼ウォレス線:最初の分布境界線
ウォレス線は1868年アルフレッド・ラッセル・ウォレスが発見したことから同年トマス・ハックスレーによって命名された。
イギリスの探検家、アルフレッド・ウォレスは、1854年から1862年にかけて東南アジアで生物の研究をしていたときに、ある海峡を境に生物の特徴が変わることに気がついた。
バリ島とロンボック島・ボルネオ島とスラウェシ島・ミンダナオ島とモルッカ諸島にその場所を見つけ、その線を境に西側は東洋区の生物、東側はオーストラリア区の生物が見つかることを発見しました。
この線をウォレス線と呼びます。
これは、たまたまウォレスの乗った船がロンボクに着く前にバリに寄港し2日間そこに滞在することになったのだが、その際バリ島とロンボク島は気候も景観も似ていて、しかもお互いの島が見えるおよそ25kmの距離しか隔たっていないのに、そこに住む動物はまったく異なっていた事に気づいたからだ。
東に位置するロンボク島、ニューギニア・オーストラリアの生物は同じようなものだったことから、ウォーレスはこれらの陸地がかつてはつながっていたのではないかと考えた。
実際にこれらの陸地の間に広がる海は浅いのである。(スンダランド)
西に位置するバリ、ジャワ、スマトラ、ボルネオなどの動物相は、マレー半島を含む東南アジアのものと同じようなものだったことから、ウォーレスはこれらの陸地もかつてはつながっていたのではないかと考えた。
実際にマレー半島とこれらの島々の間の海も浅く、かつてはすべてユーラシア大陸の一部であったと考えられる。(サフルランド)
ところが、バリとロンボクの間の海(ロンボク海峡)、ボルネオとセレベスの間の海(マカッサル海峡)は深く、これらの島がつながったことはなかったと考えられるので、それらはこれを越えてさらに隣の島へは進出できなかったのだ。
つまりウォーレス線はこれらの島の間を走る動物相の境界線なのだ。
ただしこの当時、氷河期の海面低下により大陸棚が陸地化していた事は知られていたが、プレートテクトニクス(1967年)へと発展する、大陸移動説(1912年)は未だ誕生していなかった。
●動物相の分布境界線:
ウォレスはインドネシアにおける生物研究の中から、主として動物相の差をもとにその存在を主張した。
その境界線はインドネシアはスンダ列島のバリ島-ロンボク島の間・ロンボク海峡を通り、ボルネオ島(カリマンタン島)-セレベス島(スラウェシ島)の間・マカッサル海峡を経て、
フィリピンのミンダナオ島の南へ抜ける、と言うものである。
なおロンボク海峡からマカッサル海峡で分離している「ウォーレス線」の北端は、フィリピン諸島の南端か北端かで2説ある。
オーストラリア大陸は、長期間孤立した大陸で特異な生物グループが生息しているため、のちに「ウォレス線」と呼ばれるようになったこの境界線より西の生物相は生物地理区のうち東南アジアを含む東洋区に属し、東の生物相は生物地理区のうちオーストラリア区に属するのだ。
だがその後、エルマー・ドリュー・メリルは植物相の研究に基づいてミンダナオ島の南へ抜ける線を延長し、パラワン島以外のフィリピンの西を通り、台湾南部のバシー海峡で東へ折れる線を提唱したが、これは後に「新ウォレス線」と呼ばれるようになった。
台湾南部に位置する紅島礁と台湾の間へこの線を延長する説もある。
●大型船の航路:
また水深の深いウォレス線に沿った航路は、喫水に制限のあるマラッカ海峡等を航行できない大型船の航路として重要である。
中東やインドと日本の間を往復するタンカーや貨物船は、マラッカ海峡の代わりに、東洋区とオーストラリア区を隔てる海峡で最も狭いところでは幅は18kmだが以西のマラッカ海峡やスンダ海峡より水深が深く250mほどあるロンボク海峡を経由して、最狭部でも約100kmの幅がある幅広のマカッサル海峡を通る。
この航路は日本のシーレーンの内、オーストラリア・ブラジル・南アフリカなどから鉄鉱石などの鉱物資源や石炭などのエネルギー資源を輸送する商船が通行する重要なチョークポイントである。
加えてマラッカマックスを超える大型船がインド洋と太平洋の間を移動する場合や、地政学的リスク等の理由でマラッカ海峡および南シナ海が航行できない場合は、太平洋とインド洋を結ぶ重要なシーレーンのチョークポイントであるので、ロンボク海峡-マカッサル海峡は共に重要視されている海峡なのである。
▼ウエーバー線:ウォレス線より妥当であるとされている別の分布境界線
1902年にオランダ人の母とドイツ人の父を持つ動物学者マックス・カール・ヴィルヘルム・ヴェーバーによって提唱された別の分布境界線。
淡水魚の研究をもとに貝類や哺乳類の分布の違いを基準に生物の分布境界線としてティモール島の東からセラム島、モルッカ諸島の西を通る境界線をウェーバー線として提唱しました。
これは東洋の生物とオーストラリアの生物の境界線としてはウォレス線より妥当であるとされている。
すべてのことが、単純な説明ですっきりするということは、生物学の世界ではあまりないのです。
ウォレス線とウェーバー線、この二つの境界線はどちらとも間違いがあるということではありません。
ウォレス線の西側は東洋区、ウェーバー線の東側はオーストラリア区ということは間違いないようです。
▼ウォーレシア:
ウォレス線とウェーバー線の間の部分が旧熱帯区とオーストラリア区の中間的部分だと言える。
この二つの線の間は、東洋区とオーストラリア区両方の生物が見られ、
ウォーレス線とウエーバー線にはさまれ混ざり合った地域は「ウォーレシア」と呼ばれる。
現代の視点で言えば、東洋区の生物相は、アジア大陸を中心に発達したものであり、これに対してオーストラリア区の生物相はそれと隔離されて発展してきたものが、大陸の移動により接近したことで、その接触面において少しずついり交じりつつあるのを見ているわけである。
なお、全体的に山がちの地形であるボルネオ島(カリマンタン島)は
アルプス・ヒマラヤ造山帯と環太平洋造山帯の交点にあたる地域に位置し、両造山運動の影響によりその山脈は上空から見ると南北にK字になっており、海底山脈として同様の形状となるスラウェシ島(セレベス島)・ハルマヘラ島と合わせ、学術的に「3K(KKK)諸島」と呼称することもある。
スラウェシ島(セレベス島)はウォレス線より東にあり、オーストラリア系の要素が強いが、バビルサのように固有の真獣類が生息する。
これは、この島がもともとはオーストラリア側とアジア側の2つの島であり、それらが接触して一つになったのが今のこの島なのではないかと言われている。
何故このようになっているのかは、大陸移動に関係してきます。
▼「スンダランド」と「サフルランド」:
1845年にサフル大陸棚とスンダ大陸棚の概念が提唱され、1919年にモレングラーフとウェーバーが命名した。
1970年代に考古学者はサフルではなくオーストララシアという言葉を使っていたが、1975年の総会でサフルを大陸棚だけでなく大陸を指すようになった。
●「スンダランド」
現在タイの中央を流れるチャオプラヤー川が氷期に形成した広大な沖積平野。
実は氷期には現在よりも大幅に海面が下降していて、その想定されている範囲は、現在ではタイランド湾から南シナ海へかけての海底となっている地域に没しており、大まかにいえばマレー半島東岸からインドシナ半島に接する大陸棚がそれに当たり、
当時東南アジア半島部からボルネオ島、バリ島までの一帯が「スンダランド」と呼ばれる陸続きとなっていた。
また中国と朝鮮半島・日本に囲まれた黄海も平野であったがここはスンダランドと平野で繋がっていた。
●「サフルランド」
同様に、ニューギニア島とオーストラリア、タスマニア島など今のオセアニアを形成している国をカバーする地域は「サフルランド」を形成していた。
オーストラリア大陸の場合は、氷河期にはニューギニア島と地続きであった期間などがあるものの、長らく孤立した大陸として存在していた。
このため、他の大陸とは全く異なった進化の過程を経た動植物が多く存在する。
▼地質学的な歴史を反映する動物相:地殻構造上の境界線
1億4000万年前にゴンドワナ大陸が分裂し始め
5000万年前にオーストラリア大陸が南極大陸と分離して以降、
オーストラリア大陸は、これまで一度も他の大陸と陸続きになったことのない。
ウォレス線―アジアとオーストララシアの生物地理区を分離している分布境界線―は、ユーラシアとインド・オーストラリアプレートの間で、地殻構造上の境界線を印づけている。
この大陸境界線は陸橋の形成を妨げ、わずかな共通部分を除き、アジアとオーストラリアの鳥類を除く動物相の、明確な生物学的分布区域をもたらした。
なお、超大陸から一旦分離・移動した大陸がユーラシア大陸に衝突した事例は幾つもあるが、この際アフリカ大陸(シナイ半島)は除くものとする。
●インド亜大陸との比較:そしてジーランディア
インドプレートは5,000 - 5,500万年前の新生代始新世に、約20cm/年の速度で北へ移動しユーラシアプレートと衝突した。
かつてのインドプレートは他のどんなプレートよりも速く移動し、2,000 - 3,000kmもの距離を移動したのだが、このインドプレートが速く移動した原因とは、他のゴンドワナ大陸から派生したプレートと比べ半分ほどの厚さしかなかったからである。
一方のオーストラリア大陸も移動していたため、中新世にサフルランド(オーストラリア)がスンダランド(インドネシア)に近づいたが、
結局スンダランドの東側とサフルランドの西側は陸続きにはならなかったことから、生物相が異なる状態が現在に至るまで続いているものと考えられている。
中新世の後、ゴンドワナ起源の固有の動物相(たとえば有袋類)はオーストラリアで生き残り適応した。
なお、インド亜大陸は沈みこむプレートが切れているのに現在でも北上を続けています。
ユーラシアプレートは2cm/年の速度で移動しているのに比べ、インドプレートは北東へ5cm/年の速度で進んでいるためユーラシアプレートは歪み、インドプレートは4mm/年ほど圧縮されプレートの下に6cm/年の速さで沈んでいる。
白亜紀初期に東ゴンドワナ大陸が分裂したときからインド大陸とオーストラリア大陸の間に海嶺ができ、
両大陸は北上すると同時に東西に離れていったと考えられている。
だが衝突して動きが遅くなったインドと、オーストラリアの間にある海嶺は、海嶺特有の地形が5,000万年という長い間に風化して分かりにくくなってしまい、境界を特定するのが難しくなったとされている。
インドとオーストラリアの間にある海嶺が活動を終え、両プレートの境界部分は固定されて「インド・オーストラリアプレート」となり、ほとんど同じ方向に動くようになったからだ。
スマトラ島沖のスンダ海溝付近がちょうど環太平洋造山帯とアルプス・ヒマラヤ造山帯の境界に当たる。
またオーストラリア大陸も地質学的に独特なため、移動速度が特に速い傾向があるというが、約8500万年前〜6000万年前にオーストラリア大陸と分裂し、その後約2300万年前にそのほとんどが海面下に没したと考えられている亜大陸の1つであるインド亜大陸(約440万km2)に匹敵したジーランディアもまた、地殻が一般的な大陸地殻よりも薄くその厚さは約20kmほどしかないと言う。
●移動するオーストラリア大陸:
地球の大陸はいずれもプレートに乗って少しずつ移動している。
プレート構造論によれば、地球の表面は10個余りの板のような破片に分かれているのだ。
オーストラリアプレートのスピードも比較的速く(現在最も速く動いている)、北に向かってわずかに時計回りに回転しながら年に約7センチ動いている。
ちなみに北アメリカプレートは年に約2.5センチほどしか動かないが、太平洋プレートは年に7.5センチから10センチ移動していると言う。
▼人類によるオーストラリア区の生物相への影響:
4万年以上前からのアボリジニ、
そして1788年からのヨーロッパ人のオーストラリアへの侵略が動物相に著しい影響を及ぼした。
●アボリジニ:
なおアボリジナルの祖先は、おそらくカヌーで海を渡り移住してきたと考えられる。
サフル大陸に最も近い現在の東南アジアとなるスンダランドからは80キロメートルの距離があり、意図的な航海だったと考えられるからだ。
また一説によると野生の犬ディンゴは、50,000-30,000年前に当時東南アジアから、陸続きであったニューギニア島を経て、オーストラリア大陸にアボリジニが連れてきたものが野生化したとされる。
だが「およそ4,000年前に東南アジアの海上交易人か漁師が連れて来た」とする説もある。
なお、ネズミ目はネズミ科のみが自然分布(人為的に分布したとクマネズミなどを除く)し、ニューギニア島の方が種数が多いことから東洋区から侵入したと考えられている。
●ヨーロッパ人:
1788年~1868年の80年間で約161,000人の囚人がオーストラリアに送られ、このうち2/3は窃盗犯罪者で残りはアイルランドの政治犯罪者でした。
イギリスがオーストラリアを流刑地として使っていたのです。
ゴミをポイ捨て・不法投棄してやがったのです。
最初はイギリスの植民地だったアメリカに送っていたのですが、アメリカが独立戦争を通して独立してしまったため、その代わりとしてオーストラリアを選んだのです。
件の囚人は、刑期の途中で脱走しそのまま行方が分からなくなった者や、刑期終了後社会復帰し、一般人と同じようにオーストラリアの開拓に携わっていった人など様々です。
その後の流刑植民地は入植者との混血が進んだ。
タスマニア島では、アボリジナル女性トゥルガニニが1876年5月に死去したことをもって、「純血」のアボリジナルは絶滅したとされる。
1905年~1969年に掛けては時の州政府が「教育」するという意味で、アボリジニの子供を親から強引に奪い、白人の家庭で育てるという法律を定め、実際に多くのアボリジニの子供たちが親から無理やり離された。
このようなアボリジニの世代は「盗まれた世代(Stolen Generarion)」と呼ばれる。
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