クロード視点〜氷った心が溶けるまで〜

『王になるという事は、重いに荷を背負い、険しい山道を登るようなものだ。どんなに苦しくても、1歩1歩進むしかない』


先代国王だった祖父が生前に話してくれた言葉が、ずっと心に残っている。


そう、1歩1歩進むしかないのだ、どんなに苦しくても·····。


母は『薔薇の王妃メアリ』と呼ばれていた。

その外見の美しさから母は周りに褒めそやされて育てられたご令嬢だったそうだ。

母の不幸は、父イーサン国王に嫁いだ時から始まった。

父は冷血であった。

結婚後もなかなか子供が生まれないことについて、一方的に母を責めたそうだ。

そして、ようやく生まれたのが私だった。

しかし、幼い私が喘息持ちでよく寝込む体質だった為、父は「こんな虚弱な王子を産みやがって」と、母を責めたという。

それから母は塞ぎ込み、部屋に籠るようになったのだという。

これらの話は、乳母から聞いた。

乳母は明るく、噂好きな人だった。

私は乳母も好きだったが、やはり母が恋しかった。

絵本で読む物語に登場する母親達は皆一様に優しく、私は母という存在に憧れを抱いた。

幼い私は何度も母に会いに行ったが、部屋の扉は閉ざされたままだった。


唯一、母に会えるタイミングが月に数回だけあった。

それは、母が部屋を出てバラの温室に出かけている合間だ。

その少し話せるだけの数時間が、私はとても嬉しかった。母は青白い顔で酷く痩せていたが、『薔薇の王妃メアリ』と呼ばれるに相応しく美しかった。

あの頃の私は、バラの温室で母に一言「すごいわね」と褒めて貰うためだけに、ダンスも勉強も必死になって頑張っていた。


7歳になったある日、私は高熱を出し寝込んだ。

酷くうなされ、屍だらけの地獄の焼ける坂道を歩み続ける嫌な夢を見た。汗だくで何度も、目を覚ましたのを覚えている。

侍女や乳母に看病され、ようやく回復したある日乳母から、母がバラの温室に向かったという話を聞いた。

久しぶりに母に会えると喜びいさみ、私はバラの温室に早足で向かった。


温室の白い扉をあけて飛び込んできた光景は、今でも脳裏に焼き付いている。


むせ返るようなバラの匂いの中、深紅のドレスを着た母が宙に浮いていた。


母が首を吊っていたのだ。


その光景を前に、ショックのあまり私は胃の中を吐瀉し、気を失った。


目を覚ました時に、目の前に憤怒の表情のイーサン国王がいた。

「お前が虚弱体質だったせいでメアリは死んだのだ」と私に言い捨てて、父は荒々しく部屋を出ていった。

あの日から、私の心は凍ってしまった。

泣くことも、笑うことも出来なくなった。

そして、ご令嬢に会うと吐気が止まらなくなった。

乳母や侍女などは平気なのに、母の様な大事に育てられてきたご令嬢の雰囲気を感じると、途端にひどい吐き気が込み上げる様になってしまった。

私の心がそんな欠陥品になったのに反し、身体は成長するにつれ強くなり喘息も治り、寝込むことも無くなった。

成長するにつれ、絶対的な脅威だった父親を客観的に見れるようになってきた。父の最低な言動の数々を、批判的に捉えられるようになった。

私は絶対に、イーサン王のようにはならない。

自分より辛い立場の人は沢山いるはずだ、その人たちの役に立てる人間になれるように王子としてやるべき事を一つ一つ行おう。

『王になるという事は、重いに荷を背負い、険しい山道を登るようなものだ。どんなに苦しくても、1歩1歩進むしかない』

祖父の言葉を思い出し、自分を叱咤して、修行だと思いながら日々を過ごした。


そんな風に自分を奮い立たせても、ふとした瞬間に脳裏によぎるイメージがある。

····曇天の中、重たい荷物と母の死体を背負い、イーサン王が登った死屍累々の怨嗟の残る山道の後をひたすら登る·····自分の人生はまるで地獄だ。そんな風に感じてしまうこともあった。


自分のせいで母は死んだ。

私は生きてる意味があるのか。

イーサン王と血が繋がっているから、いつか私も冷血な人間になってしまうかもしれない。

そうなる位なら、死んだ方が良いのかもしれない。

王子という恵まれてる立場のはずなのに、そんな思考に囚われてしまう事もあった。

そんな自分の弱さが嫌で、逃避するように剣の鍛錬や、勉学に打ち込んだ。


そんな日々の中で、ミカと出会った。

王宮に呼び出したミカが私の部屋を開けた瞬間、初夏の風のような爽やかな雰囲気を感じた。

熱さを秘めた、優しく爽やかな風だ。


ミカエルはいつも私に対し、舐められまいと背伸びした言動をとっていたので、あまりの変わりように別人かと思ったが、姿はミカエルだった。

少し混乱したが、父親と妹の死で、人柄が変わったのだろうと自分を納得させた。


何とかイーサン王との謁見を無事終えて、部屋でミカに父の言動を謝罪すると、ミカは言ってくれた。


「私を育ててくれた人が『親の言動に子供は一切責任を負う必要はない』と昔、言っておりました」


ミカのその言葉を聞いた瞬間に、心が震えた。


背負っていたと思っていた母の死体が消え、一気に体が軽くなった気がした。

私の心を覆っていた曇天の空に、光が差し込んだ気さえした。


ミカは、私のお陰で死刑にならずに済んだとも言った。

確かに、イーサン王は平気で人の首をはねる。

謁見の間に絨毯がひかれていないのは、イーサン王が何人もあそこで首を落とすので、飛び散った血飛沫を掃除しやすいようにする為だとも言われている。

私も間近で何人もの臣下が、イーサン王に剣を首に突きつけられ、返答を間違えて殺される様を見てきた。


ミカが殺されなかった事に心から安堵した。そして、ミカの助けになれたのなら、自分は生きてても良かったのかもしれないと少し思えた。


学園のはじまりと共にジェスとミカに、王子ではなく同級生の友人として接して欲しいと伝えた。

自分の心は、凍りついて欠陥品になっていると自覚していたが、今までは放置してきた。だが、ミカに会い、変わりたいと思った。

太陽のようなジェスと、初夏の風のようなミカの近くに行けば私は変われるのではないか·····そんな期待があった。


だが、入学初日にして、人はそんなにすぐには変わることが出来ないと思い知らされることになる。

オリエンテーション後に、クラスのご令嬢達に席を囲まれた。

気のせいだとは分かっているが、むせ返るようなあの温室のバラの匂いが漂ってきて、胃の中のものがせり上がってきた。

私は惨めにも、トイレで嘔吐してしまった。

ミカはそんな私に付き添い、背を優しくさすってくれた。

情けなく恥ずかしかったが、ミカは「大丈夫、大丈夫」と優しく労わってくれた。

そのさすってくれる手の温かさに不覚にも涙が滲んだが、嘔吐による生理現象だと自分を納得させた。


翌日、ミカはクラスのご令嬢達に私に近づかないよう釘をさしてくれて、私を守ってくれた。

その日の馬術の授業ではミカは私だけでなく、ティラノ号という暴れ馬も、ソフィアという平民の少女も守ってみせた。

ミカの騎乗姿は凛々しく格好よかった。見るからに暴れ馬のティラノ号を乗りこなせたのには驚いた。ミカの障害馬術の走行は、まるで空を翔けているかのように軽やかだった。

授業の後、ミカが厩務員の少年にも気をかけて、馬の手入れを手伝うと言いだしたのには、尊敬を通り越し、どこまでお人好しなのだと呆れてしまった。


なんだか、ミカが気になって仕方ない。

誰と話しているのか、何をしているのか、つい目で追ってしまう。

そう、王宮でミカから初夏の風のような爽やかな雰囲気を感じてからずっと、気になっている。


ジェスは気になって仕方ないというのは、恋をしているという事だと言っていた。


私はミカに恋をしているのか!?

·····いや、まさか。ミカは男だ。

そんな訳はない。


そんな事を歴史の授業中に考えていると、唐突にオリバー先生に質問された。


「クロード君この教科書の内容を読み、どう思ったかね?」


私はろくに考えずに、つい思いついたままに話してしまった。


「事実と乖離した内容ですね。海の民は決して野蛮ではありませんし·····イーサン王が戦争を仕掛けた本当の理由は、海の黒ダイヤを手に入れたかったからです。内政が上手くいっておらず、国の資金繰りの悪化により、手っ取り早く外から奪おうと短慮な判断をしたのでしょう。また、内政が上手くいっていないことにより生じた国民の不満を、敵を作ることで、外に向けさせようとしたとも考えられます。戦の無駄に残酷なやり方は、イーサン王の趣味ですね。未来に禍根を残す、愚策でしかないです」


話終えると共に、クラスの静けさを感じ、私は自分の失態を悟った。

だが、その空気を壊すかのようにオリバー先生は突然、大声で笑ってくれた。後遺症で表情筋は一切動いていないが、心から愉快そうな笑い声だ。

オリバー先生はクラスの皆にしっかり口止めもしてくれた。


授業中に、思わず口から出た自分の本音に、気付かされた。

そうか、私はイーサン王が登った死屍累々の怨嗟の残る山道の後を嫌々登っているつもりだった。だが、私はイーサン王とは別の山道を登っていたのか。


歴史の授業の後は、剣術の授業だった。

闘技場に向かう道すがら、ミカがキースと楽しげに話している様子が目に入り、訳もなく苛立ってしまった。

思わず、私はミカに話しかけた。

何を話していたのかと聞けば、ミカはキースと出産の話をしていたと言った。そんな深い話をする仲だったのかと、嫉妬してしまった。

ジェスの剣術の決闘を見ながら、私はミカになら使獣の力を渡す事が出来ると伝えた。要はミカを信頼していると伝えただけの普通の発言のはずなのに、なぜか恥ずかしくて顔が熱くなった。

するとミカはあっけらかんと、

「私もクロードになら、使獣の力を渡せるよ」

そう、当たり前の様に言ってくれた。


その言葉が思いのほか嬉しく、顔がほころんでしまった。

こんなに心から笑ったのは母が死んで以降、はじめてかもしれない。

そして、自覚した。

私はミカが好きなのだと。

男だろうと構わない·····いや男だぞ、いやでも、どうしようもなく惹かれてしまう·····そう思い悩んでいたのに、まさかその10分後にミカが女性だと判明するとは思わなかった。


豊満な胸を手で抑えてミカは自分はミッシェルだと言い張った。だが、そんなハズはない。

ミッシェルならば、あの様な初夏の風の雰囲気を纏えるはずがない。ミカに嘘をつかれたショックと得体の知れない存在が目の前にいる感覚と混乱で、気づけば父親のようにミカの首に剣を突きつけていた。

ミカが異世界から来たという話を聞き、不思議に思う気持ちより、妙な納得感が強かった。

時間がたつと、だんだんと頭が冷えてきて、自分の行動が客観的に見えるようになってきた。

そして、自分があんなに忌み嫌っていた父親と同じような言動をとっていたことに愕然とした。


急に艶めかしく見えてきた、ミカの胸元から目を逸らし後ろをむくと共に、自己嫌悪の念に潰されそうになった。

「·····どんなに忌み嫌っていても、とっさの時にはイーサン王と同じような言動をとってしまうものだな。·····これが、血というやつか·····」


私の呟きに、ミカは優しく返してくれた。


「血ではないと思うよ·····昔、心理学の講義で聞いた話だけど、『親のようになりたくない』って強く思えば思うほど、逆に親と同じような言動をとってしまいがちになるんだって」


「·····そうなのか?それは何故だ?矛盾してないか?」


私の問いかけに、ミカは穏やかに答えてくれた。


「○○絶対にしない!って思うことで、逆にその○○の部分が強く頭にイメージされて、こびりついてしまい、とっさの時にその脳内に刻まれた行動をとってしまうらしいよ」


「·····なるほど。確かに脳内にこびりついてしまっているかもしれない·····でも、なら、どうすれば良かったのだ?」


「○○しない!ではなく、○○したい!こうなりたい!という前向きな願望をイメージすると良いらしいよ」


そうか。確かに私はイーサン王が進んだ山道を嫌悪の目でずっと眺めていた。父のようには絶対にならない·····そう思いながら見続けて、気づくと同じ道を歩んでしまっていた。


私がするべきだったのは、自分の目指したい山頂のイメージを描く事だったのか。


私の登っている山道の曇天が初夏の風に流され、青空が広がった気がした。


生まれて初めて深呼吸したかのような、晴れ晴れしい爽快な気分だ。


私は生まれて初めて、この山道を登って行きたいと思えた。生きたいと思えた。

ミカはいつも私の心を救ってくれる。

ミカは私の恩人だ。

ミカが好きだ·····そうだ。ミカは女性なのだ。

これが初恋で、何も問題ない。

そう自覚してからは、心の歯止めがきかなくなった。


ミカは他の生徒達からも、いつの間にかとても好かれていた。私はそれが嫌だった。自分がこんなに矮小な人間だとはじめて知った。

ミカのためになる事をしたい。ミカの一番近くにいたい。ミカに触れたい·····そんな事を考えていたからだろう。

熱で寝込んでいるミカに、キスを迫ってしまった。


病人に私は何をしているんだ。

嫉妬心と自己嫌悪と恋心とで私の心はグチャグチャになった·····私の心はこんなに騒がしかったのか。


凍りついていた私の心は、いつの間にかミカに溶かされていたのだった。

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