○○が惚れた日 前編
翌朝の授業は馬術からだった。
使獣は教室にいてもらい、生徒は学園内に併設されている馬場に乗馬服で集合の予定だ。
乗馬服で馬場に現れたクロードは、絵画から抜け出たかのように美しかった。とても昨日、便器を抱え込み嘔吐していた人物とは思えないほど、輝いてみえた。
ミカだけでなく他の女生徒達もそう感じたのか、口々に褒めながら近寄っていこうとしてたので、昨日の二の舞にならないためにミカは間に割って入って言った。
「君たち、ミッシェルと仲良くしてくれてたと聞いてるよ。ミッシェルの生前はお世話になったね」
「ミカエル様!ミッシェルの件は、心からお悔やみ申しあげます·····」
彼女達が申し訳なさそうな表情をしたのをみて、ミカは続けた。
「ミッシェルが、クロードの婚約者だったことは皆知ってるよね?クロードも婚約者を亡くしたばかりで、気落ちしてるから暫く、そっとしておいてあげてくれないかな。·····私もまだ、ミッシェル以外の女性がクロードのそばにいる光景をみると、彼女の死が思い出されて·····胸が苦しくなってしまうんだ·····」
「ミカエル様·····そうだったのですね。·····私達こそお気持ちを考えず、申し訳なかったです·····」
ミカはこれで暫くはクロードも、嘔吐しないで済むだろうとひと安心した。
そのうしろでご令嬢達が「ミカエル様、雰囲気変わったね」「前は私達には一切話しかけなかったもんね」「憂いある表情にキュンとしちゃった」などと言っていることには、ミカは気づかなかった。
「ありがとう、ミカ。本当に助かった」
クロードの安堵の表情に、思わず頭をポンポン撫でてあげたくなったが、流石にそれは·····と思い直し、ミカは代わりにクロードの肩をポンと叩いた。
ちょうどその時、実技の先生がやってきた。40代後半の背の高い細身の男性だ。短髪刈り上げで眼光するどく、片方の口角のみ持上げる歪んだ笑い方をする。この先生は一癖ありそうだな·····と、一目見てミカは感じた。
「実技を担当するウェイドだ。今日は障害馬術をやる。成績が高い順に、今後重点的にみていく。今から1人1頭各自に割り振った担当馬を読み上げる。その馬が今後、卒業まで乗ることになる担当馬だ。·····まず、クロード様、あなた様には、エベレスト号を、この厩舎で一番の馬です。·····次にジェス君はフォルコン号、ミカエル君はマックス号·····────·····最後にソフィア・キティお前はティラノ号だ!以上、各自30分で馬装をし、馬場に騎乗してくるように!皆幼い頃から馬には乗ってるんだから、馬装くらいそのくらいの時間があれば出来るだろう!それが出来なかった者は退学だ!」
(馬に乗るのは大学生以来だから、久しぶりだな!30分もあれば馬装は余裕だ!早めに終えて常歩しておこう。·····正直すごく楽しみだ!特に障害馬術は好きなんだよねー!大学では全日本大会で入賞したこともあるし·····)
ミカはマックス号にブラシをかけながら、話しかけた。
ダルのように言葉が返ってくる訳ではないのだが、何も言わずに体を急に触られるのはどの動物も嫌だろうと思い、ミカは昔から馬装中は話しかけるようにしていた。
「よろしくね。マックス号。脇腹ブラシするよー。ここをブラシかけられても嫌がらないなんて、マックス号は賢くていい子だねー。いま鞍と馬銜を取ってくるから、ちょっと待っててねー」
マックス号はぶるるっと、鼻を鳴らして答えてくれた。
鞍を取りに倉庫にいくと、オドオドした様子のソフィア・キティがいた。
「どうしたのソフィア?何かあったの?」
「実は、私·····馬に乗るの初めてで·····」
「え!そうなの?!」
「この国では近年は貴族以外、基本馬に乗る事がを許されてないんです。騎乗さえしなければ、平民でも御者のような馬を扱う職種は許されてるんですけど。·····今回も入学が決まった時に『平民でも、使獣に免じ乗馬を特別に許可する』と言われたくらいでして。·····本である程度は乗馬について学んできましたが、読むだけではやっぱり上手くいかないですね·····。今、ウェイド先生に相談しに行きましたが『自分でなんとかしろ、馬装すら出来ないようなら退学だ』と言われてしまって····」
「ウェイド先生、ひどいな。どこが上手くいかないの?教えてあげるよ。ソフィアの担当馬の馬房に案内してくれる?」
「馬房の前に馬装道具の準備出来たんですけど、実はブラシがけが上手くできなくて·····」
「え!そこ?·····ああ、そうゆうことか·····」
ソフィアの担当馬のティラノ号を見て、ミカは合点がいった。
ティラノ号は馬房の扉にお尻を向け、ガアンガアンと蹴り破らんばかりの勢いで、扉を後脚で蹴りあげている。そのティラノ号の尻尾には赤いリボンが巻かれている。このリボンはお洒落などではなく『蹴り癖あり注意!』という意味であることは、馬術をやっている人間には常識だ。
「ティラノ号の馬房に入ろうとした途端、腕を噛まれて·····」
不安そうなソフィアの白い左腕には、よく見ると赤く、馬の歯形がくっきりついている。
「噛まれた所、念の為あとで医務室で見てもらった方がいいよ」
「そんなに痛くないから大丈夫です。でも噛まれた時、私が悲鳴をあげてしまったから、いけなかったのでしょうか·····。それ以降、馬房に入ろうとすると蹴ろうとしてくるので、中に入れないんです。私が怒らせてしまったのかもしれません。·····こうなったら、蹴られるの覚悟で無理やり入った方がいいのでしょうか?」
ソフィアの申し訳なさそうな表情を見て、ミカはウェイド先生への怒りがこみあげてくるのを止められなかった。
「いや!ソフィアは絶対、無理に入ろうとしない方がいいよ!私の知り合いで馬に脊髄蹴られて、半身不随になった人がいるから!それに、ソフィアは悪くない!·····ちょっとウェイド先生に文句言ってくる!」
ミカは厩舎を出て、ずんずんと馬場の方へ歩いていった。すでに何頭か馬が馬場に出ている。馬場の様子を見ながら、偉そうに仁王立ちしてるウェイド先生の後ろ姿を見つけて、ミカは声をかけた。
「ウェイド先生、ティラノ号についてなんですけど」
「ああ、ティラノ号か。アイツは、ある貴族が数億円で買った馬なんだ。よく障害跳ぶ馬だってふれこみでな。·····だがティラノ号はプライドが高くて気性が荒いから、その貴族を落馬させてばかりだったそうだ。その貴族も怒って鞭で叩きまくったり殴ったり蹴ったりして調教しようとしたらしいが、逆に手をつけられないほどの人嫌いの馬になってしまったそうだ。無料でいいから引き取ってくれって言われて先日引き取ったはいいが、私でも馬装できないくらいの、どうしようもない暴れ馬だから、再来週には処分して馬肉にする予定なんだ。·····まぁ、身の程知らずの平民を退学に追い込むくらいの使い道は、残っていたって訳だな」
「そうでしたか。それならば、私とソフィアの担当馬を交代させてください。私がティラノ号の担当をします」
「な。何を言っているんだ!ミカエル君!気は確かか!?本気で言っているのか!?」
「はい。本気です。あと、ティラノ号に私がちゃんと騎乗出来たら、処分も取り止めて貰えませんか?」
「何を言ってるんだ!そんなの無理に決まってるだろう!ミカエル君はあれだな、大人に反抗したいお年頃って奴だな。ダメだダメだ!この国では馬肉は貴重だから、もうとある貴族から高値で馬肉を買い取るという話もついてるんだ」
「·····この国で馬の肉を食べることは、禁忌とされているはずだが?」
すでに馬装を終え騎乗し、近くでエベレスト号の常歩していたクロードにも聞こえていたらしく、話に入ってきた。エベレスト号は白馬なので、まさに白馬の王子様である。
「禁忌とされているからこそ、食べたくなるのが人の心情ってやつで、一部の貴族は熱狂的で、闇取引に·····って、クロード様!いつから話を聞いていらしたのですか!!」
ウェイド先生は、あわてて振り返った。クロードが厳しい口調で続ける。
「全部聞いていた。闇取引の話が本当なら私も対処しないといけない」
「いえいえ!冗談ですって!アハハ·····いやだなぁ。でも、ティラノ号が誰も手をつけられない暴れ馬なのは本当ですよ!」
「ではもしミカが、ちゃんと騎乗できたら処分は辞めてくれるんだな?」
「まぁ、そうですね。もしティラノ号が、このクラスで障害馬術の成績1位にでもなったら、もちろん処分は取り止めますよ」
そこまで聞けたら充分だった。ミカは急いで馬房に戻った。
ミカは、性根の腐ったウェイド先生にも、落馬を理由にティラノ号を虐待した貴族にも、猛烈に腹を立てていた。
しかし、前世の上司への怒りからアクセルを踏みすぎて事故死した経験から学び、怒りはできる限り心から追い出し、今やるべき事のみ集中して考えるようにした。
(あと残り15分でマックス号とティラノ号の2頭の馬装を完了させなくては·····)
厩舎に戻ると、マックス号は既に馬装済みの姿で馬房にたっていて、ミカは驚いた。
ソフィアがおどおどしながら言った。
「私のせいでミカエル様の馬装も遅れて退学になったら大変だと思い、本で得た知識を元に見様見真似でやってみたのですが、逆にご迷惑でしたでしょうか?」
「いや、ありがとう!助かったよ!ちょうど良かった!このまま、ソフィアがマックス号に乗ってくれる?それにしても、本の知識だけで初めてでここまで出来るのは本当にすごいよ!私がまともに馬装出来るようになったのは、乗馬始めてしばらく経ってからだったよ!」
「いえ、何か変なところがあったらご指摘くださいね。·····って、私がマックス号に騎乗してしまっていいんですか!?」
「あえて指摘するなら、もう少し腹帯をきつく締めた方がいいって事くらいかな。よし、外に出そう!·····あ、ジェス!いい所に!そこでのんびり常歩してるなら、ソフィアに乗り方の基礎を教えてあげてくれないかな?彼女初心者なんだ!·····踏み台がないか、よし。私が持上げるから、勢いつけて乗って!」
「え!ミカエル様を踏み台になんて!それに私がマックス号に乗ってしまったら、ミカエル様の乗る馬が·····」
「いいから、いいから!勢いつけていくよー!それ、いち。にの。さんっ!鞍につかまって!そう、上手じょうず!あ、ソフィアの代わりに、ティラノ号は私が騎乗させてもらうね!じゃあ、ジェス、あとは宜しく頼んだ!」
(よし、あとはティラノ号をなんとかするだけだ。····はたして、私でなんとかできるのだろうか。馬の脚力はスゴいから蹴られた場所が悪ければ、下手したら死ぬな。·····まあ、どうせ1度死んだ身だし、迷ってる暇はない!やるしかない!)
ミカは足早にティラノ号の馬房へ向かったのだった。
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