中の人と、スープの隠し味
時間は真夜中の三時過ぎ。
アザレアは部屋の騒々しさで目覚める。
部屋中のランプに明かりが灯り、肉の炙られた匂いとなにかを煮込む匂い、ぺたんぺたんと柔らかい何かをこねる音とリズミカルな包丁音が聞こえた。
だるい身体を起こして周囲を見回すと、従弟のダニエルが暖炉の前で大鍋をかき混ぜ、テーブルではメイドのエレナがなにかを捏ねている。
そして真夜中に子供のシャーロットが、とても慣れた手つきで大量の野菜を切っていた。
「ダニエル、私の部屋で料理を作っているの?」
「姉上を起こしてしまったか。真夜中に騒がしくして申し訳ない」
「私はもう充分寝たから大丈夫よ。でもこんな時間まで子供のシャーロットちゃんが起きているなんて」
ガチャン、と金属の落ちる音がして、シャーロットが唖然とした表情で握っていたナイフを取り落としていた。
「シャーロット様、お怪我はありませんか!!」
エレナが慌てて駆け寄ると、シャーロットの中の人は目を見開き小刻みに震えながら、小声でなにやら呟いている。
『僕の目の前で、ア、アザレア様が、動いてる動いているよっ。半透けネグリジェ姿で寝起きのアザレア様のお姿を拝めるなんて、急いでスクショ撮らないと。隣のダニエル王子が邪魔だからフォトショで加工って、これはVRじゃなくて現実!?』
シャーロットの中の人がアザレアと会うのはこれが初めて。
ゲーム中のお助けキャラ【亡者の姫アザレア】には、無料蘇生で数え切れないほどお世話になった。
感極まって泣き出しそうなシャーロットの中の人を、エレナがあきれ顔で見つめる。
「シャーロット様はアザレア様のことを女神のように崇めていたのに、ゲームオはアザレア様に対して、欲望と好奇心丸出しの澱んだオーラを発している」
エレナと同様に欲望オーラを察したダニエルは、アザレアに素早く灰色のガウンを羽織らせると、立ち位置を変えて視界をさえぎった。
『あっ、王子邪魔すんな。ここからじゃアザレア様がよく見えない』
「ゲームオ、姉上が起きたらスープの味見をさせるのだろ」
『そうか、スープの味見でアザレア様に近づこう。ムフフッ、急いで大鍋のスープの味付けをするぞ』
中の人は野菜をほったらかして暖炉の大鍋に向かうと、トーラス家のメイドが揃えた調味料を手に取る。
魔緑葡萄と岩玉葱の旨味と肉の出汁がたっぷりスープをさらに美味く仕上げるために、数種類の香辛料と赤い油全てを味見する。
『少し赤みがかった塩が岩塩かな、黄色はカレーぽいけどまさかのバジル風味。白が黒胡椒で黒がサフラン味で緑色は、甘い。これは砂糖? 僕の知っている調味料の見た目と味が違うから、ちょっとパニクるな』
唐辛子っぽい赤い油はニンニク風味だったので、スープに塩と胡椒と赤い油を同量加え隠し味を足した。
サフラン風とバジル風に味付けたスープ皿をトレイに乗せて、いそいそとアザレアの元へ運ぶ。
『シャロちゃんはアザレア様のためにスープを作ったの。野菜が多いからちょっと苦いけど、アザレア様味見をしてください』
「ごめんなさい、シャーロットちゃん。私まだ食欲が無いの」
『えっ、アザレア様が暖炉で煮込んだスープを食べたいと言ったから、シャロちゃんは眠いのを我慢して作っているのに。おねがいアザレア様、せめて一匙だけでもスープの味見をしてください』
生アザレアとご対面したシャーロットの中の人は、顔がにやけそうになるのを必死に耐えていた。
その眉間にしわを寄せて小刻みに震える表情は、シャーロットが哀しみをこらえるようで、アザレアは心苦しくなる。
「そうね、せっかくシャーロットちゃんが作ったスープなら、少しだけ食べてみましょう」
『わぁい、シャロちゃん嬉しい。それじゃあアザレア様、少し苦いかもしれないけど、はい、あーんして』
シャーロットの中の人はスープ皿を手に持つと、一匙すくってアザレアの口元にスプーンを運ぶ。
「待って、シャーロットちゃん。私スプーンぐらい持てるわ」
『アザレア様は病人だから、無理しちゃダメ。シャロちゃんがスープを飲ませて・あ・げ・る』
ちょっとすねた表情であざと可愛く小首をかしげるシャーロットに、アザレアは言われるがまま口を開き、具材の野菜を食べる。
『お野菜苦くない、アザレア様、大丈夫?』
「大丈夫よシャーロットちゃん、これは私の大好きな魔緑葡萄のスープね。少し苦いけど全然気にならないわ」
『アザレア様、次はスープを召し上がれ。はい、あーん』
「あら、これはいつも飲んでいるスープの味に近い。もう少し味が濃いほうが好きだわ」
『アザレア様は隠し味を気にしないみたいだ。魔緑葡萄を多めに加えるか、スープに塩を足して煮詰めれば味が濃くなる』
味見の感想を聞いてあれこれ考え込むシャーロットを、アザレアは興味深く見つめる。
「シャーロットちゃんの作ったスープの味見をしたら、なんだかお腹が空いてきたみたい」
『それならアザレア様、もっとスープを飲んで、詳しく味見の感想をきかせて。はい、あーん』
「あーん。あらっ、ダニエル、どうしたの?」
アザレアの様子を眺めていたダニエル王子は、爛れた欲深いオーラ全開でいちゃつくシャーロットの中の人に堪えきれなくなり、スプーンを握る手を掴んでしまう。
しかし見た目可憐な美少女シャーロットは、一瞬薄く笑うと怯えた声を出す
『えーんっ、怖い。ダニエル王子が怖い顔でシャロちゃんを睨んでいる』
「それはお前……、シャーロット嬢が姉上に近づきすぎるからだ!!」
シャーロットの腕を掴んだまま離そうとしないダニエル王子に、アザレアはなにかに気付いた様子で頬を赤く染めた。
「ダニエルがこんなに嫉妬するなんて驚いたわ。貴方はとてもシャーロットちゃんのことがとても好きなのね」
「えっ。俺が、誰を好き?」
「シャーロットちゃんは優しいから、病気の私を放って置けないのね。ダニエルはシャーロットちゃんと一緒にすごしたいのに、私の看病をさせて申し訳ないわ」
「いやいや、姉上。それは違うっ」
「ダニエルもシャーロットちゃんも仲直りして。ふたりに迷惑をかけないように、私も早く元気にならなくちゃ」
「ま、眩しい。姉上の背中に後光が見える」
少し寂しげに慈愛に満ちた微笑みを浮かべるアザレアを、眼を細めて見つめるダニエル王子。
『王子。それ後光じゃなくて、アザレア様が回復している兆しだから』
「あれだけ衰弱していた姉上が、この短時間で回復する? ゲームオがスープに何か入れたのか」
『僕は何度もスープが苦いって言っただろ。実はスープの隠し味に、上級薬草の乾燥粉末を入れた。まさか上級薬草の乾燥粉末がセロリ味とは思わなかったよ』
アザレア様の大好きな魔緑葡萄はトマト味、そしてトマトとセロリは相性が良くスープは美味しいに決まっている。
「しかしスープを味見しただけで、あれだけ元気になるのか?」
『庭師ムアからもらった小瓶には、上級薬草二十本分の粉末が入っていたから、隠し味に小瓶の半分入れた。少しは回復効果あると思うぞ』
シャーロットの中の人は事もなげに告げるが、聖教会が管理する高級薬草は宝物より貴重と言われている。
「ゲームオ、上級薬草ポーションは王宮務めの騎士でも、半年に一本しか支給されない貴重なモノだ。小瓶の半分でも上級薬草十本分、それをスープに隠し味で入れたのか」
『アザレア様もそうだけど、シャロちゃんもエレナもムアも王子も、長旅の疲れと毒殺未遂騒動で疲労困憊だ。上級薬草スープでも飲んで元気になってくれ』
ダニエル王子の目の前にいるのは、波打つように輝く美しい金の髪に深い湖の底のような碧い瞳に、赤黒くただれたオーラをまとった絶世の美少女。
無垢な天使の魂に欲深い悪魔が住み着いたと思ったが、彼女の最奥には神秘眼を持つダニエル王子にも見えない何かが潜んでいる。
シャーロットの《腐敗=八倍速》でエレナのパン生地は二時間発酵で膨れて、夜明け前に焼き上がった。
朝日とともに、シャーロット本人が目覚め、全員でテーブルを囲み食事をとる。
「庭師のワシが、シャーロットお嬢様や辺境伯御令嬢アザレア様と同じテーブルで食事をとるなんて、恐れ多いです」
「貴方が庭師ムアね。貴方の育ててくれた薬草のおかげで、私はとても体調が良くなったの。感謝しているわ」
「こんなに食欲のある姉上を見るのは久しぶりだ。俺からも礼を言う」
「私もじいやと一緒に食事が出来て嬉しい。お家ではいつも、ひとりで冷たくて硬い料理を食べていたの」
エレナの焼いたミルクパンを千切りながら健気に微笑むシャーロットに、アザレアは同情して目頭を押さえる。
大鍋いっぱいに作った上級薬草入りスープを全員で飲み干し、エレナが食後の紅茶を入れていると、部屋の扉が開き痩せた執事が中に入ってくる。
「おはようございます、シャーロットお嬢様。あれ、皆様おそろいで食事を召し上がっているのですね。どうしてエレナとムアがお嬢様と同じテーブルに座って……オレダケ仲間ハズレ」
「あっ、ジェームズのこと、すっかり忘れていたわ!!」
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