辺境伯令嬢アザレア・トーラス
シャーロットの大好きなモノ。
何度も読み返した、豊穣の女神様とエルフ女王のお話。
豊穣の女神様はお腹を空かした子供に食べ物を与え、病人を癒やし、誰でも分け隔て無く願いを叶える。
本の中に書かれた慈愛溢れる女神の話は、母親の愛を欲するシャーロットの渇いた心を癒やしてくれた。
執事ジェームズから幼児用女神絵本を与えられた日から、彼女は毎日祈り、豊穣の女神様に会いたいとお願いをする。
「女神様、ほんものの女神様がいる」
ダニエル王子の隣に立つ黒髪の美女は、白磁のような美しい肌に艶やかな長い黒髪。
深いエメラルド色の神秘的な瞳は、聖教会の神座に祭られた豊穣の女神と同じ色。
丘を一気に駆け下りるシャーロットは、途中で片方の靴が脱げても気付かない。
辺境伯令嬢アザレア・トーラスは、金色の髪をなびかせながら駆け寄る少女を見て身構える。
アザレアが深夜に危険を冒してまでダニエル王子に会いに来たのは、彼がさらってきたのが、母親を《老化》呪いで苦しめていると噂された少女だから。
しかし朝日を浴びた金髪は眩く輝き、満面の笑みで駆けてくる小柄な美少女から、呪いの類いは一切感じない。
それどころか、全身に爽やかで優しい花々の香りを纏っていた。
アザレアの目の前に来たシャーロットは、息を切らしながら姿勢を正す。
「ほうじょうの女神様、とてもとてもお会いしたかった。わたし、私の名前はシャーロット・クレイグです」
自分の容姿が豊穣の女神と似すぎるせいで、勘違いされることの多いアザレアは、困った顔をする。
「ごめんなさい、私は豊穣の女神様ではないの。私はアザレア・トーラス、辺境伯の娘よ」
「いいえ、貴女は豊穣の女神様です。私はずっとお家の子供部屋に閉じ込められて、誰にも会えず冷たいご飯しか食べられなくて、だから朝と昼と夜、豊穣の女神様にお祈りをしました。そうしたらメイドのエレナが来て私を綺麗にしてくれた。お誕生パーティで王子様に会えて、お外で出してもらえました。女神様、私のお願いを叶えてくれてありがとうございます」
目の前で神前式に頭を下げるシャーロットに聞かれないように、アザレアは言葉を風魔法に乗せてダニエル王子にたずねる。
「ダニエルがこの子を連れて来た理由は分かったわ。でもこの子が本当に、母親を呪って苦しめると噂されるシャーロット?」
「俺が見たシャーロットの母親はとてもエネルギッシュで、食欲旺盛で大酒飲みで肥え太って元気そうだった。しかし不摂生がたたって実年齢より老けて見える」
「《老化》呪いは、ひと目見ただけで一年寿命が縮むのでしょう。この子から全く呪いを感じないけど、私の寿命も一年縮むのかしら?」
「それもシャーロットの母親が流した噂らしい。メイドの話ではシャーロットと一日一緒にいると
「えっ、寿命が一年縮むじゃなくて、たった五時間!!」
思わず大声で叫んでしまったアザレアに、シャーロットは驚いて頭を上げると不安そうな顔をした。
アザレアは一度深呼吸をして気持ちを落ち着け、優しく微笑みながら両腕を大きく広げる。
「シャーロットちゃん、ようこそ辺境領トーラスへ。とても長い旅をしてきたのね。もう大丈夫、私たちは貴女を歓迎します」
「ありが、とうございます。女神様にお会いできて、とても、わあぁーーっ」
アザレアの広げた腕の中の飛び込んだシャーロットは、これまでの緊張の糸が切れて泣き出した。
シャーロットをなぐさめながら自分は女神ではないと告げても、シャーロットはアザレアを女神様と呼び続ける。
こうして子供部屋を出たシャーロットは、サジタリアス王国第五王子ダニエルに保護され、辺境伯トーラスの客人となった。
裏街道を抜けて辺境領の小さな街に到着したところで、ダニエル王子の護衛は終了となる。
泡を吹いて倒れた隊長は半日経過しても目覚めず、これでも有力公爵家子息なので、急いで手当をする必要がある。
護衛騎士達はダニエル王子から王族馬を引き取ると、慌ただしく王都へ帰っていった。
怪我を治してもらったマックスは何度もアザレアに話しかけようと試みたが、領主の娘である彼女はとても忙しく、側には子供と邪魔なダニエル王子がいて、最後まで挨拶すらできなかった。
*
北は一年中白い雪の積もる山脈が連なり、その麓には魔獣のすみかである黒々とした深い森が広がる。
森が途切れ僅かな平地を囲うように築かれた高い石の城壁、人々はその中で畑と住居を構えた。
そして森と城壁が一望できる小高い山の上に、辺境伯トーラス候の城が築かれている。
灰色の石で築かれた堅牢な要塞のような城だが、その中は白を基調とする洒落た調度品で彩られ、王国でも五番目の地位を誇る有力貴族にふさわしい華やかな屋敷だった。
城に招かれたシャーロットは、あまりの豪華さに唖然と立ち尽くしていると、アザレアが手を引いて応接室までエスコートする。
応接室にはクレイグ家大広間に飾られたシャンデリアの二倍はある、赤とオレンジの宝石で彩られた煌びやかなシャンデリアが吊され、正面には黒髪の勇ましい男性の肖像画が飾られている。
シャーロットは真っ赤なビロード張りのソファーに腰掛けると、隣にアザレアが座った。
「あれは私の父、辺境伯ノア・トーラスの肖像画よ。一年のほとんどを北山脈の大要塞にいて、隣国の監視と魔獣討伐を任されているの。私はお父様の代わりに、城の留守を預かっているわ」
「ここのお城に、ダニエル殿下も住んでいるの?」
「ダニエル殿下のお母様と私の母は双子なの。殿下は子供の頃、この城で私と姉弟のように育てられたわ」
「姉上、俺を殿下と呼ばないでくれ。呼び捨てで良い。シャーロット嬢なんか、初対面の俺をつまらない王子と呼んだ」
「ふふっ、それはダニエルがよほど無愛想な態度だったのね」
ふたりはとても仲良さげな従姉で、落ち着いて大人びたアザレアを前にすると、ダニエル王子がまるで弟のように見える。
一通り話を済ませたアザレアは、扉の前で控えていた執事に合図をすると、部屋の中に銀色のワゴンが運ばれてきた。
部屋に甘い香りが立ちこめ、シャーロットはテーブルの上に並べられた菓子に目を丸くする。
「焼き菓子を用意したの。クッキーやキャンディは日持ちするから、シャーロットちゃんの《腐敗》呪いでも、すぐには腐らないでしょう」
「女神様、この赤くて丸くてお花の絵が描かれた積み木に、黄色や紫の綺麗なビーズがお菓子?」
砂糖で絵の描かれたアイシングクッキーやカラフルなフルーツキャンディ、貴族や裕福な平民の子供ならおやつに食べるお菓子をシャーロットは知らなかった。
フルーツキャンディを珍しそうに指先でつまみ、明かりに透かせて眺めるシャーロットの様子に、アザレアとダニエル王子は改めて彼女の境遇を知る。
「シャーロット嬢、キャンディは知っているか? そのビーズを口の中に入れてみろ」
「このビーズ、食べられるの? あっ、甘い。砂糖の味がするわ」
「シャーロットちゃん、この積み木を私と半分こして食べましょう」
アザレアがアイシングクッキーを割ると、シャーロットは積み木を素手で割ったと驚き、手渡されたクッキーを恐る恐る食べて更に驚く。
「甘くてちょっと酸っぱくて、お花の絵はイチゴの味がする。すごいわ、女神様は魔法で積み木を食べ物にできるのね」
「シャーロットちゃん、これはクッキーと言って、パンと同じ材料に砂糖を加えて焼いたお菓子よ」
母親は飽食で肥え太っていると聞いたのに、娘シャーロットは初めてお菓子を見て喜んでいる。
彼女のあまりにも健気で幼い仕草に、アザレアは保護欲が刺激された。
ダニエルに幼女趣味は無いと信じたいし、どのような意図でシャーロットを連れて来たか分からないけど、私はこの子を守ろうと心の中で誓う。
実はアザレアを守るためにシャーロットは連れて来られたと、彼女は知る由もなかった。
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