近衛兵マックスの災難2

 彼女はダニエル王子の母方の従姉、辺境伯令嬢アザレア・トーラス。


「久しぶりねダニエル、どうして私がここにいるのか? 従弟が十歳の女の子を気に入って連れ去ったと聞かされて、大人しく城で待つ訳ないでしょ」


 ダニエルに会って事の真相を聞こうと、夜にもかかわらず城を出たアザレアは、辺境警備の兵士からダークムーンウルフの異常発生を聞き、この場に駆けつけた。


「それよりも今はこの兵士の手当が先。咬みちぎられた腕の出血が酷いわ」

「右の肩の骨が砕けて肉が裂け、辛うじて身体と皮一枚で繋がっている状態だ。怪我をしたお前を放っておいて、他の連中はどうした?」


 しかし苦しげにうめき声を上げるマックスに、ダニエル王子の言葉は聞こえない。

 すると王子の背後から、馬の嘶きと数人が騒ぐ声が聞こえてきた。  


「ダニエル殿下、我々は殿下のご命令通り、無事王族馬を守りぬきました」

「うわぁ、マックス。姿がみえないと思ったらどうしてこんな場所にいる。しかも酷い怪我だ!!」


 マックスにひとりで戦えと命じた隊長は、わざとらしく驚いて駆け寄ると、手に持った回復ポーションを飲ませる。


「大丈夫かマックス、しっかりしろ。俺が絶対助けてやるからな」


 やたら必死に大声で騒ぐ隊長を、ダニエル王子は冷めた目でみつめた。


「お前、すでに回復ポーションを手に握っていたとは、ずいぶん準備万端だな。俺が戦っていた場所はここより風下で、隊長のお前がマックスを怒鳴る声がよく聞こえた」

「あ、あれはほんの冗談ですよ。こいつは四聖のメイドと張り合おうとして、自分からダークムーンウルフに向かっていった!!」

「この大怪我、回復ポーション一本程度では治らないぞ。そうだ、隊長の身体半分の生き血を使って、治癒回復魔法を行おう」

「ふざけんな、血を半分もとられたら死んじまう。役立たず王子でも、王族ならこのくらいの怪我、簡単に治せるだろ!!」


 そもそもフレッド王子に従者のようにこき使われていたダニエル王子は、近衛兵たちからも軽んじられていた。

 開き直った態度をとる隊長に、ダニエル王子は呆れ顔で懐からオレンジ色の丸い玉を五つ取り出す。

 地面に倒れたままのマックスは、身体を細かく痙攣させて、瞳が濁り口から泡を吹いていた。


「まずいな、ダークムーンウルフの牙の毒も廻っている。コレを試してみるか。隊長、お前はいらない。他の兵士はマックスが痛みで暴れないように固定しろ」


 千切れた腕をくっけるには上級薬草十本必要だが、シャーロットの中の人が作った薬草チンキは、ひとつで上級薬草四本の成分が含まれる。


「もらった薬草チンキ全部使えば、確実に腕も治るし毒も消えるはずだ。いいか、しっかり押さえつけて、うっ、臭いっ!!」

「ふはっ、ぐぅ、なんだこの臭いっ」

「ひぃいぃ、くさくさく、さっ……バタンッ」

「お前ら、逃げたら狩るぞ。くそっ、臭すぎて涙が出てくる。これで治らなかったらゲームオを恨む!!」


 あまりの臭さに逃げ出そうとする兵士を怒鳴りつけて、ダニエル王子は薬草チンキ五個をマックスの千切れた腕に塗りつけた。

 砕けた腕の骨がミシミシと音を立ててつながり、瞬く間に裂傷がふさがり肉に薄い膜が張り、厚みを増して皮膚に変化する。

 黒く壊死しかけた指先は薄いピンク色に蘇り、以前腕にあったはずの痣すら綺麗に消えた。

 気を失っているマックスは楽だ。

 薬草チンキの強烈な鶏糞臭で兵士ひとり失神、他の兵士は立ち上がることができず這ってその場から逃れようとする。

 マックスを手当てを終えたダニエル王子は、大量の脂汗を流しながらその場でうずくまる。


「離れても頭が痛くなるくらい酷い臭いね。風よ、かぐわしき香りを吹き飛ばしなさい」


 四つ星風魔法の使い手であるアザレアは、ダニエル王子とマックスの周囲に小さなつむじ風をおこし、悪臭を吹き消す。

 横たわるマックスは意識を取り戻し、燃えるような肩の激痛が消え、身体が軽くなり力がみなぎるのを感じた。

 爽やかな花の香りに包まれて、目蓋を開き身体を起こすと、そこには流れるような美しい黒髪の女性が佇んでいる。


「目を覚ましたのね。ちゃんと肩は繋がっているかしら、他に痛みはない?」


 はっきりと意識の戻ったマックスは自分の肩に触れると、咬み千切られたはずの腕が元通りに治っている。


「貴女が俺の怪我を癒やしてくれたのですね。まるで豊穣の女神……」


 しかし黒髪の美女に声をかけようとしたマックスの横から、ダニエル王子が彼女に駆け寄り親しげに話し始める。


「姉上のおかげで悪臭は消えました。しかし薬草チンキで傷を治す前に悪臭で気を失ったり、臭いで敵に居場所がバレては実用化できない。まだ改良が必要だ」


 自分を助けた命の恩人である黒髪美女と親しげに話すダニエル王子を、マックスは心の中で邪魔だと思ってしまう。


「ちょっと待ってください、僕を助けてくれたのは貴女で……」


 彼女にもう一度声をかけようとしたマックスに、今度は王子にハブられたおかげで無事だった隊長が近づき馴れ馴れしく話しかけた。


「マックス、怪我が治って良かったなぁ。俺がお前に飲ませた薬草ポーションは、給金半年分の価値があるんだ。ちゃんと俺に感謝しろよ」

「隊長が俺に飲ませた薬草ポーションは、とても味が薄かった。俺を助けてくれたのは、彼女……」

「なんだと!! あんな鳥の糞みたいな薬で怪我が治るわけないだろ!! うわぁ臭い、ぐふ、げふうっ」


 隊長は、傷が癒えたばかりのマックスの胸ぐらを乱暴に掴む。

 すると背後からダニエル王子が、薬草チンキを握った手袋で隊長の鼻と口を塞いだ。

 隊長の顔が紫色になり白目を剥いて倒れるまで、ほんの数秒の出来事だった。





 明るい朝日が丘の上を照らし、ガラス壁結界が溶けるように消えてゆく。

 深い森の中に引き上げるダークムーンウルフ群れを確認したエレナは、安堵の溜息を漏らした。


「ゲームオ様、やっとレイドバトルが……えっ、シャーロット様」


 夜が明け東の空に太陽が昇ると同時に、ゲームオからシャーロットに意識が入れ替わっていた。

 少し前まで楽しそうにモンスターバトルを鑑賞していた少女は、真っ青な顔で怯えて震えながらエレナを見つめる。


「私、馬車の中で寝たはずなのに、いつの間にか外に出ている。夢の中で白い毛並みの大きな狼に襲われて怖かったけど、王子様とエレナがやっつけてくれた?」

「もう大丈夫ですよ、シャーロット様。私とダニエル王子でダークムーンウルフを追い払いました」


 シャーロットはエレナの言葉に安堵すると、改めて周囲を見回し、深い森に白い雪の積もる高い山々を珍しそうに眺めた。

 丘を下った先、ダニエル王子と黒髪の女性が話をしている。

 彼女の姿にシャーロットは驚きの声をあげると、突然駆けだした。


「女神様、ほんものの豊穣の女神様がいる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る