近衛兵マックスの災難
全身薬草チンキまみれのエレナは、その臭いにゲッソリしている。
『アルコール六十度のはちみつ酒で上級薬草の成分を抽出したけど、原液飲んだら酔っ払うから、トロトロ魔草を加えて粘着力のある塗り薬にした。でもやっぱり臭い』
トロトロ魔草の葉や茎に含まれた汁には保湿効果があり肌の状態を良くするが、鶏糞肥料に似た臭いのする植物。
「聖教会の力を頼らず、上級薬草チンキを生み出したのか。これは、凄いことだぞ。強烈に臭いけど」
『そういえばエレナは、弟の薬を買うために騎士学校をやめて働きに出た。こっちの世界では、薬ってそれほど高価なのか?』
「シャーロッ……ゲームオ、薬草の生息場所の管理、栽培方法、魔法薬の製造と流通はすべて聖教会の管轄下で行われている。そして治癒魔法持ちは神官・聖女の役目を与えられ、聖教会が管理する」
へぇ、そうなの。とシャーロットの中の人は軽く答えるが、ダニエル王子は彼女の知識のアンバランスさに驚く。
ハチミツ酒ついでに上級薬草チンキを作り、割れやすいガラスの容器に詰めるのではなく魔ホオズキの実に詰めて、土魔法で地中から取り出せるように工夫した。
十個あれば千切れた腕も元通りになると言われる上級回復エリクサー。
それの四倍効力がある上級薬草チンキを作り出したシャーロットの中の人は、聖教会については全く無知だった。
「現在サジタリアス王国の実質の支配者は、命の関わる薬と治癒魔術士を管理する聖教会。床に伏せる第一王子を生き永らえさせるために、国王ですら聖教会の言いなりだ」
『自分で薬を作れるなら、聖教会と関わらなくていい。僕は誕生パーティでシャロちゃんを罵倒した神官連中を、絶対許さない』
中の人はそう答えると、ダニエル王子に魔ホオヅキの実を五個投げてよこした。
「助かる、ありがとうゲームオ。エレナはしばらく結界の中で休め、俺は結界の外に出て、ダークムーンウルフを蹴散らしてくる」
上級薬草チンキを渡されたダニエル王子は、まるで新しいオモチャを与えられた子供のように、喜々としてダークムーンウルフの群れに突っ込んでいく。
その後ろ姿を眺めながら、エレナはポツリと呟いた。
「薬草チンキ五個も使ったら、絶対臭い」
*
シャーロット達のいる結界の後方、王族馬を守る護衛騎士たちは二人の戦いを食い入るように見つめていた。
「信じられない。手合わせでいつもフレッド王子に負けている役立たず王子が、まるで鬼神のようにダークムーンウルフを狩っている」
「生意気そうなメイド女が、一人で二匹の魔獣を倒した。あの戦いっぷり、騎士学校四聖という噂は本当だった」
王族馬を襲うダークムーンウルフ一匹を、三つ星魔力持ちの護衛が三人がかりでやっと倒すのに、ダニエル王子とエレナふたりで百匹以上倒している。
護衛騎士の中で一番年長のヒキガエルのような顔をした隊長が、青い髪の新入り騎士の肩をどつく。
「おいマックス、あのメイドは同じグリフォン騎士学校にいたんだろ。メイドに四聖を名乗らせるなんて、お前恥ずかしくないのか」
「そういえばマックスの婚約者も四聖だったな。女ふたりに負けるなんて、グリフォン騎士学校の男は情けない」
ダニエル王子とエレナは、シャーロットの《老化=時間経過1.2倍》でダークムーンウルフより素早く戦うことができた。
しかしシャーロットから遠く離れた場所にいる護衛騎士は、その事を知らない。
「またダークムーンウルフが一匹、こっちにきたぞ。そうだマックス、お前ひとりで魔獣を倒してみろ」
「しかし我々の役目は、王族馬をムーンウルフから守ることです」
「うるさい、言い訳するな。隊長命令だ、あのダークムーンウルフを倒してこい!!」
先輩騎士に小突かれて、マックスは仕方なしにダークムーンウルフを迎え撃つ。
興奮しながら突進してきた小柄のダークムーンウルフを、マックスは構えた盾で牙を防ぎ、がら空きの喉に大剣を突き刺した。
その時。
「後ろからデカいのが来たぞ。こいつの親か、ヤバい、マックス逃げろ!!」
マックスの戦いを笑いながら見物していた先輩騎士の慌てた声が聞こえたが、間に合わない。
しかも親狼は普通のムーンウルフより倍以上の巨体で、子供ムーンウルフの喉を突き刺したマックスの腕に噛みつくと、身体ごと振りまわし地面に叩きつける。
「マックスの腕が変な方向に曲がっている。早く助けないと」
「他のダークムーンウルフが王族馬を狙っている。俺はこっちを守るから、お前がマックスを助けにいけ」
「マックスひとりで戦えって命令した隊長が行けよ」
護衛騎士の内輪もめしている間、大怪我をして地面に倒れたマックスは盾で必死に自分の身体を守っている。
しかし親ダークムーンウルフは簡単に前足で盾をなぎ払い、マックスの頭ごと噛みつこうとした。
どうして王族の近衛隊にまでなった俺が、魔物に喰われなきゃならない?
役立たず王子が裏街道を選んだせいでダークムーンウルフに襲われて、同じ騎士学校だったエレナがいたせいで俺はひとりで戦う羽目になり、馬鹿な先輩達は助けに来ない。
死を覚悟したマックスの脳裏に、歪んだ暗い想いが生まれる。
ダークムーンウルフの鋭い牙がマックスの頭をかみ砕こうとしたその間、空気を切り裂く高い音が響き渡る。
ヒュン、ヒュン、ヒュンッ。
突然魔獣の身体が力を無くし、マックスにのしかかる。
何が起こったのか分からずに眼を開くと、横たわる地面に数本弓矢が、そして親ダークムーンウルフの額にも弓矢が突き刺さり絶命した。
目の前にいるのは、自分の背丈より長い弓を持ち、白い動物に騎乗する長い黒髪の女性。
「どうやら間に合ったみたいね。貴方大丈夫? 驚いたわ、従弟を迎えに来たら狼たちが騒いでいるじゃない」
彼女はダークムーンウルフのレイドバトルを、近所で子供が騒いでいる程度の口調で話す。
その姿は聖教会に祭られる女神像に似て艶やかな黒髪は腰まで長く、瞳は熟する前の木の実のような鮮やかな緑色で、透ける様な白い肌に品の良い桃色の薄い唇。
彼女が騎乗する、白地に黒の縞模様の毛並みの白虎に睨まれたムーンウルフたちは、怯えてじりじりと後退する。
黒髪の女性が駆け寄る姿は、マックスを天国へと誘う豊穣の女神のように見えた。
「アザレア、なぜ姉上がここにいるのですか?!」
ガラス壁結界の外で戦っていたダニエル王子は、誰かが襲われていると気が付き向かった先で、この旅の目的である最愛の女性の姿を見た。
その時、深い森の向こう、東の山頂が赤く染まり太陽が昇る。
ダークムーンウルフの群れは太陽の光を避けるように深い森の中に消えてゆき、レイドバトルが終了する。
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