第30話 さようなら、クレイグ家
ふんわりと優しい香りのする、柔らかくて暖かい枕。
滑らかな肌触りのベッドは時々大きく動き、ガラガラとなにかが回るような音が聞こえる。
とても心地よくて、絹のような手触りの掛布を引き寄せながら寝返りを打とうとすると、身体を押さえられた。
「シャーロット様危ない。椅子から落ちてしまいます」
頭上から聞こえる優しい声に覚醒したシャーロットは、エレナに膝枕されながら目を覚ました。
光沢のある鮮やかな赤い布に、金色の動物の刺繍が施された低い天井。
シャーロットが寝かされていたのは、小花模様が描かれた紺のベルベッド生地に身体が沈み込むほど綿のつめこまれた豪華な長椅子。
床は青紫の縞柄をもつ雷電山豹の毛皮が敷き詰められ、壁には大輪の花が形取られたクリスタルのランプが飾られた豪華な小部屋。
開け放たれた窓の外は、シャーロットの知らない景色が流れている。
「私はお誕生会でダンスを踊っていたのに。あれは夢だったの?」
「お目覚めになられましたか、シャーロット様。昨夜はとても素晴らしいダンスでした」
「エレナ、私夢の中で、王子様とたくさんダンスを踊ったの」
「誕生パーティのラストダンス。俺にとっては悪夢のような出来事だった」
隣から不意に男の声が聞こえ、夢見心地だったシャーロットは驚いて身体を起こす。
向かい合わせの長椅子に腕を組みながら座っているのは、燃えるような赤毛に宝石のような赤紫の瞳、とても疲れた顔をした青年だった。
「貴方はもしかして五番目の王子様。誕生パーティは終わったのに、どうして王子様がいるの?」
「シャーロット様、ここは王族専用馬車の中です。シャーロット様はダニエル殿下とのダンスバトルに勝ち、殿下のお屋敷へ招待されたのです」
「あれはダンスじゃない、曲芸だ。普通のちゃんとしたダンスなら俺が勝った」
「王子様は負けてなんかいないわ。私、夢の中だったけど、ちゃんと覚えている。王子様の長くて力強い腕でしっかり支えてくれたから、私は安心して踊ることができたの」
シャーロットは驚いて、悔しそうな表情をしたダニエル王子を見つめる。
「つまらない王子様なんて言ってごめんなさい。ダニエル王子様のダンスは勇ましくて華麗で、とても素敵でした」
「人の心を弄び平気で罵倒する悪魔と、今のシャーロット嬢。まるで別人だ」
聖女シルビアの姉、《老化・腐敗》呪持ちの貧相シャーロットは、痩せた醜い容姿で魔物のように野蛮な性格だと噂されていた。
しかし目の前にいるシャーロットは母親に忌み嫌われ部屋に軟禁されたとは思えない、とても穏やかで少し素直すぎる性格、そして高貴な魂を持っている。
「シャーロット様の清らかな蒼いオーラと、ゲームオ様の爛れた赤黒いオーラ。二人は全くの別人です」
「あの悪魔……転生者はゲームオという名前か。あれはシャーロット嬢に憑依して、なにをするつもりだ。油断ならない」
ダニエル王子の言葉に、エレナも同意してうなずく。
シャーロットの中に潜むゲームオは、存在が謎だらけで得体の知れないバケモノ。
大人ふたりの深刻な会話を他所に、シャーロットの視線は馬車の外の景色に釘づけだった。
「エレナ、道の向こうに海が見えて、水の表面が宝石をちりばめたみたいにキラキラ光っている」
「シャーロット様、あれは海ではなく湖です。クレイグ領内で一番大きい湖で、ナウロール鮭がよく獲れます」
「今は冬なのに、綺麗な桃色の花が沢山咲いている」
「シャーロット様、あの葡萄梅は冬から春にかけて花を咲かせます。葡萄梅園を過ぎると、クレイグ領を出て隣領に入ります」
「シャーロット嬢は賢そうに見えたが、自分の住むクレイグ領について何も知らないのか」
「私が外に出たのはとても小さい時、王都の大神殿に出かけて呪われた子供だって言われたの。それから一歩も屋敷の外に出たこと無いわ」
シャーロットが答えると、ダニエル王子は気まずそうな顔をする。
「そういえば、どうして私は王子様と一緒に馬車に乗っているの?」
「この馬車の行き先は、俺の親族がいる辺境トーラス領。到着まで五日はかかる。シャーロット嬢には、行く先々の珍しいモノを見せてやろう」
「私が外に出たら、呪いをふりまいてみんなを不幸にするってお母様に言われたけど、お家に帰らなくてもいいの?」
「心配はいりません。シャーロット様は、サジタリアス王家・第五王子ダニエル様に気に入られお城へ招待されたと、執事ジェームズがメアリー奥様に報告するでしょう」
*
「シャーロット、シャーロットはどこにいるの。昨日は大切な聖女シルビアのお披露目会なのに、呪われた娘がダンスパーティで大暴れして全てを台無しにした!!」
シャーロットの十歳誕生パーティという大義名分で開かれた、妹シルビアのお披露目会。
メアリー夫人はこのお披露目会を足掛かりに、社交界でのし上がろうと企んでいた。
その企み通り、招待客の次期国王の呼び名高いフレッド王子がシルビアをとても気に入り、片時もシルビアのそばを離れなかった。
多くの有力貴族が、母親メアリー夫人のご機嫌伺いに集う。
しかしこれからダンスパーティが始まるという時、急激な睡魔がメアリー夫人を襲い、気が付くとすでにパーティは終了。
翌日の昼過ぎにメアリー夫人は目を覚ました。
「メアリー夫人、昨日は最高に愉快で楽しい誕生パーティでした。シャーロット嬢のダンスは花の妖精のように愛らしく、次はぜひ我が家のパーティに招待したい。えっ、シルビア様はとても清らかな寝姿でした」
「シルビア様は噂通り、聖女にふさわしいお方です。それにしてもシャーロット様は、シルビア様と顔はよく似ているが、眩いほど華やかで将来は絶世の美女に育つでしょう」
目覚めたメアリー夫人にパーティの招待客たちは、口々にシャーロットの賛美を語る。
驚いて使用人達に問い詰めれば、メアリー夫人とフレッド王子とシルビアはパーティの最中に寝てしまい、その後シャーロットがパーティの華になった。
怒り狂ったメアリー夫人は、着替えを手伝ったメイドを扇子で叩いていると、カマキリのように痩せた執事が満面の笑みを浮かべながら近づいてくる。
「メアリー奥様が倒られた後も、従兄のスコット様が敏腕を振るいパーティを滞りなく進行しました。さすがクレイグ家の正当な血筋を引くスコット様、シルビア様のお披露目会を無事成功へと導いたのです」
執事ジェームズは口上を述べた後、素晴らしい素晴らしいを連発しながら白々しく拍手する。
周囲の執事やメイドもスコットを褒め称えて、なんとかメアリー夫人の機嫌をとる。
ちなみにスコット氏は、パーティのあいだ大広間の入り口に待機して、誰かれ構わず親しげに握手するだけだった。
「そう、スコットのおかげで、クレイグ家は恥を晒さずに済んだのね」
どうにか機嫌を直したメアリー夫人の後ろから、若い男の怒鳴り声が聞こえた。
「おい、ダニエルはどこだ。俺が寝ている間に書類を片付けろと命令したのに、あの役立たずは仕事をサボってどこに行った」
「おや、フレッド殿下は昨晩のダニエル殿下をご存じないのですか?」
二日酔いの頭を抱え不機嫌そうなフレッド王子に、ジェームズは深刻な表情で話しかける。
「あの役立たずが、パーティで何をやらかした?」
「ダニエル殿下は、一緒にダンスを踊ったシャーロット様をとても気に入られ、我々が止めるのも聞かず連れ去りました。まさか地味で目立たない第五王子が、実は幼女趣味だったとは驚きです」
「まさかダニエルが、呪われた貧相シャーロットを気に入ったのか。十歳の子供を連れ去るなんて悪趣味なヤツだ」
ジェームズはフレッド王子と会話しながら、メアリー夫人の様子をうかがう。
普通の母親なら娘がさらわれたと聞いて、冷静ではいられないはずだ。
「役立たずの第五王子が連れ去ったのが、あの娘で良かった。シルビアが連れ去られたらと考えると、ゾッとするわ」
「昨夜はシルビアの側に俺がいたから、ヤツは手を出せず姉の貧相シャーロットをさらったのだろう。メアリー伯爵夫人、俺に感謝するがいい」
「ええ、フレッド殿下。どうかこれからも、私の大切なシルビアをお守りください」
こいつら、シャーロットお嬢様の心配を一切しない。
メアリー夫人の冷たい言葉を聞いて、ジェームズの中にわずかに残っていた忠誠心が消える。
その日のうちに執事ジェームズは姿を消し、誰にも気付かれないまま庭師ムアもいなくなり、クレイグ家屋敷の北側は無人になった。
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