第21話 豊穣の聖女候補 シルビア

 サジタリアス王国建国の立役者であり、八代続く由緒正しきクレイグ伯爵家。

 令嬢シャーロットの誕生会が行われる大広間には、国内で一,二を争う大貿易商デニス・クレイグ伯爵が、海の彼方から集めた煌びやかな高級調度品や珍しいコレクションが並ぶ。

 そして壁には銀髪・緑瞳の美しい少女の姿が描かれたタペストリーが、所狭しと飾られていた。


「《老化・腐敗》呪いの貧相シャーロットは、この女なのか?」

「お前、なにバカなこと言うの。この銀髪の美少女は五つ星魔力持ち、《豊穣の聖女》候補の妹シルビア・クレイグ様よ」

「シャーロットの姿を見ると寿命が縮み、聖女シルビア様の姿を崇めると病が治ると言われる。とても有りがたいシルビア様の姿絵だ」


 シャーロットの十歳を祝う誕生パーティという名目で、次期豊穣の聖女と噂される妹シルビアのお披露目会に集まった百人あまりの招待客。

 しかもこのパーティには、百年に一度の優れた魔力と知性を持つ王族の誉れ、第三王子フレッド・サジタリアスとその弟が参加予定。

 彼らがいれば《豊穣》が約束された王国は安泰。

 魔力を極め他国を圧倒し、建国よりの悲願である千年王国も夢ではない。


 昼に始まる予定の誕生パーティは半日遅れだが、聖女シルビアとフレッド王子に会えるならと、誰ひとり帰ろうとはしない。

 招待客の貴族や富豪、白装束の聖神官たちがそれぞれ大広間でくつろいでいると、パーティの進行係である黒服の執事がベルを鳴らし合図をする。


「ご来賓の方々、大変お待たせしました。ただいま正面玄関に王室馬車が到着しました」


 人々は王族を迎えるために、我先にと館の正面玄関へ急いだ。

 月の無い暗い夜、煌々と光を放つ虹色の長いたてがみをなびかせた白馬に引かれ、黄金の馬車が館の正面玄関に駆け込んでくる。


「やっと着いたか、もう馬車は乗り飽きたぞ。ここは随分と田舎だな」


 王室馬車から降りてきた金髪の青年は、愚痴りながら周囲を見回し大きく伸びをすると、その姿を見た招待客の女性たちは色めき立つ。

 月の無い夜だというのに光り輝く金色の髪、凜々しい眉に神秘的な宝石に例えられる赤紫の瞳、彫刻のように端整な顔立ち。

 優れた頭脳を持ち陽気で好奇心旺盛な性格で、まだ二十代前半で国政の一部を任されて王の後継者と言われる王子。

 赤毛の従者が王子の肩にマントをかけていると、ドスンドスンと大きな足音が響き渡り、ショッキングピンクのフリルに埋もれた女性が現れる。 


「フレッド・サジタリアス王子様、クレイグ伯爵家長女の十歳誕生パーティへお越しいただきありがとうございます。現在クレイグ家当主は遠方の用事で留守にしておりまして、私メアリー・クレイグと《豊穣の聖女》候補の娘シルビア・クレイグが王族方をおもてなしいたします」


 横幅のあるメアリー伯爵婦人のドレスの影に隠れていた幼い少女が、ひょっこりと顔を出す。


「おおっ、銀色のミスリル原石のような美しい髪、愛らしい顔立ちに新緑のような美しい瞳。お前が噂の聖女シルビアか?」


 名前を呼ばれた少女は蚊の泣くような小さな声で、「シルビアです。よろしくおねがいします」と答えると聖教会式の両手を重ねる挨拶をした。

 そして再びドレスの影に隠れようとしたシルビアを、婦人は背中を押してフレッド王子の前に立たせる。


「シルビア、長旅で疲れた王子様を癒やして差し上げるのです」

「はい、お母様。それでは王子様、少し屈んで額を見せてください」


 なんのためらいもなく王族に屈めという少女に、周囲からどよめきが起こる。

 金色の王子は好奇の目で娘を見ると、言われたとおりに少女の背と同じ高さまで腰をかがめると、前髪をかき上げて額を出した。

 同じ目線になった聖女シルビアは、王子の瞳をのぞき込むと不思議そうに首をかしげる。


「王子様はそれほど旅の疲れを感じていませんが、落馬したときの背中の傷と右太ももの切り傷があります。それから瞳の濁り、左手の中指の腫れ、聖女シルビアは全てを癒やします」


 小鳥のさえずりのような軽やかな声でささやくと、シルビアはフレッド王子の額に触れるだけのキスをした。


「これで、おわりです」


 小さな少女が王子に歓迎のキスをしたように見えるが、次の瞬間フレッド王子は焦って様子で立ち上がると、マントを外し上着を脱ぎ始める。


「どうしたのですか、フレッド王子。こんな大勢の前で服を脱ぐなんてお辞めください!!」

「お前はいつもうるさい、この国でどう振る舞おうと俺の自由だ。背骨が見えるほど傷ついて半年以上疼いた痛みが、今突然消えたんだ」


 上着を脱いだ半裸のフレッド王子は若豹のように野性的で、ご令嬢ご婦人の黄色い声が聞こえる。


「どこにそんな傷があるのですか? 筋骨隆々の引き締まった美しい背中です」

「王宮の専属医師でも治せない俺の酷い傷を、この娘はキスだけで癒やした」


 周囲の人々から「あれは女神の奇跡」「願えば私の病も治せるのか」と、大きなざわめきが起こる。 

 招待客の神官が慌てた声で伯爵夫人に言い寄る。


「いくら相手が王子でも、豊穣の聖女は軽々しく奇跡を行うべきではありません」

「しかたありませんわ。娘シルビアの膨大な魔力は、指の小さな切り傷も背中の大怪我も同じように癒やしてしまうのです」

「シルビア様は今はまだ《豊穣の聖女》候補です。勝手に聖女を名乗り、癒やしの奇跡を起こさないでください」

「聖教会がさっさとシルビアを聖女と認めてくだされば、もっと大勢の人々を奇跡で癒やしてあげるのに」


 どこか芝居がかったやりとりがフレッド王子の前で繰り広げられるが、シルビアは眠たそうな顔でまぶたを擦っている。

 すでに午後十時過ぎ、普段シルビアは夜八時に就寝するので、起きているのもやっとな状態。


「なんて素晴らしい魔力だ。王家からも聖教会にシルビアの地位をすぐにでも認めるように進言しよう。もちろん俺が証人になる」

「まぁ、ありがとうございます。フレッド殿下」


 それまでフレッド王子の後ろで控えていた赤毛の従者が、婦人に声をかける。


「ところで《老化・腐敗》呪い持ち、シャーロット・クレイグ伯爵令嬢はどこにいるのですか」

「そういえば今日は、シルビアの姉の十歳誕生パーティだったな」

「王家の至宝である兄上を、呪いに晒せません」

「あら、貴方は」

「こいつは第五王子のダニエル。俺の仕事を手伝う従者みたいなモノだ」


 フレッド王子は会話の途中に割り込んだ弟を面倒くさそうにあしらい、メアリー伯爵夫人はうわべだけの挨拶をするとフレッド王子へ話を戻した。


「呪われた娘は大広間の端の硝子の扉に閉じ込めて、正教会の高位神官十人の魔力で、呪いが漏れないように厳重に結界を張っています。殿下がもし娘に興味があるなら、ご覧になりますか?」

「呪われた娘には興味ない。俺は一分一秒でも長く、聖女シルビアの側に居たい」


 そう言うとフレッド王子は眠そうなシルビアの手を取って、大広間の奥に設けられた席に座る。

 大広間の北側は、曇り硝子の扉で仕切られていた。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る