第10話 家庭教師マーガレット
シャーロットの部屋は屋敷の最上階で、広い庭園や屋敷の中央玄関を見渡せる。
真夜中過ぎ、四頭立ての馬車が館に向かってくる。
ネズミーランドのエレクトリカルパレードのような光る魔法石で派手に装飾された馬車は、屋敷の玄関先で停まると、フリルだらけの金魚みたいなドレスを着た肥えた女が降りてきた。
「ああ、伯爵夫人が夜会から帰られたのでしょう」
『夜会って、もう真夜中過ぎだぞ。妹のシルビアを放置して夜遊びするなんて』
「社交界への参加も貴族の役目。シルビア様は乳母と三人のメイドがお世話をしているので、大丈夫です」
久しぶりに母親の姿を見たシャーロットが動揺して、胸の奥がきゅっと締め付けられるように痛くて目元に涙がにじむ。
僕も少し切なくなりながらシャーロットの母親を見ていると、同じ馬車から背の高い銀髪のチャラ男が降りてきて、やたら密着しながら彼女の太い腰に手を回す。
『やつは誰だ。シャーロットの父親は海外出張中のはず』
「あの方は奥様の従兄スコット様。旦那様が留守の間、奥様のエスコートを引き受けています」
メイドのエレナがやけに素っ気なく返事をする。
旦那元気で留守がいい、妻は夜遊び三昧かぁ。
従兄にしてはやたらと馴れ馴れしい様子に、僕の脳裏を煩悩がかすめる。
『うわっ、ダメだ忘れろ、僕とシャロちゃんは記憶を共有してるんだ!!』
ゲームではテキスト数行でしか語られなかった、シャーロットの家族関係。
母親のメアリー伯爵夫人、そして妹は六つ星で豊穣の聖女シルビア。
クレイグ伯爵家の入り婿で存在感の無い父親は、仕事でほとんど家に帰らない。
シャーロットの記憶にある父親は生真面目で誠実そうで、十三才のシャーロットをロリコン爺貴族と政略結婚させる鬼畜には見えない。
来月十才になるシャーロットに残された時間は三年。
鏡に映るシャーロットは透き通るように白い肌、コバルトブルーの瞳は生気を取り戻してキラキラと輝き、柔らかく波打つ金色の髪はまるで天使のようだ。
『やっとシャロちゃんは、衣食住まともな状態になった。次は軟禁状態からの脱出だ』
*
シャーロットの家庭教師が、一月ぶりに姿を見せた。
「まぁシャーロット様。しばらくお姿を見ないうちに可愛らしく、お綺麗になって」
平坦な胸元に大きなレースのリボン、ノースリーブのブラウスからたくましい二の腕をのぞかせながら、家庭教師は野太い声でシャーロットに話しかける。
裾が大きなフリルになったショッキングピンク色のパンタロン、ウエストを絞る煌びやかなガーターは、まるでプロレスのチャンピオンベルトに見えた。
突然現れた巨漢マッチョは、シャーロットに歌とダンスを教える家庭教師。
「お久しぶりです、マーガレット先生」
シャーロットはにっこりと笑い、ドレスの端を摘まんで優雅に挨拶をした。
ひと月前まで栄養不良でやせ細り、蚊の啼くような声しか出なかったシャーロットが、見違えるほど美しい少女に変身していた。
家庭教師マーガレットことマーク・ルイス男爵は、奇妙な形をした砂時計を手に持ちながら、恐る恐るシャーロットに近づく。
「本当は三ヶ月お休みしたかったけど、一ヶ月後にシャーロット様の十才のお誕生会を開くと奥様に言われたの」
「えっ、お母様が私の誕生会を開いてくださるの?」
「伯爵家長女の誕生会だから、王族方も招待して盛大にお祝いするそうよ。お誕生会でシャーロット様はダンスを披露するの」
「この部屋から出て、お誕生会に参加できるなんて素敵」
うれしさのあまり駆け寄るシャーロットを、マーガレットは悲鳴をあげて避けるとテーブルの反対に回り込んで距離を取る。
「シャーロット様、これ以上アタシに近づかないで!!」
「お前こそ、シャーロット様を露骨に避けるなんて、それでも教師なの」
部屋の隅に控えていたメイドのエレナは、傷ついた表情のシャーロットに駆け寄ると、家庭教師を睨みつける。
家庭教師が来ると知らされて念入りに磨き上げたシャーロットを、汚物のように扱われて怒り心頭だ。
マーガレットは手元の砂時計をチェックしながら、額の汗をぬぐう。
「あら、この召使い、平気でシャーロット様に触れるのね。アタシは呪いが届かないように魔法砂時計で距離を取りながら、シャーロット様のお相手をするの」
「マーガレット先生、魔法砂時計ってなんですか?」
「シャーロット様はそこから動かないで。生意気な召使い、アタシの砂時計を取りに来なさい」
マーガレットは手に持つ銀色の鳥かごを模した砂時計を、テーブルの上に置いた。
手のひらに収まるサイズの小さな鳥かごの中に、青と赤ふたつの砂時計が入っている。
「それをシャーロット様に持たせて、ふたつの砂時計を見比べてごらんなさい。赤い砂は次元の狭間、ティティル渓谷で採取された魔法砂。シャーロット様の呪いに反応して、赤い魔法砂は早く落ちる」
「この魔法砂時計を使えば、私の《老化》呪いの範囲が分かるのね」
砂の落ち方が早くなる赤い砂時計を見つめていると、シャーロットの背筋がもぞもぞと痒くなり、口が勝手に開く。
『これはゲームのダンジョンで、空間のゆがみを、探査できる魔法道具。これ欲しい、これをく、くれ、く……』
シャーロットは驚いて自分の口を塞ぐ。
シャーロットの中にいる誰かが、魔法砂時計をとても欲しがっている。
「シャーロット様、どうして魔法砂時計の正しい使用方法を知っているの?」
マーガレットは不審げに首を傾げる。
メイドのエレナはシャーロットの清らかな青いオーラに、毒々しい赤が混じるのが見えた。
「悪魔ゲームオ、今は出てこないで!!」
エレナはシャーロットの額に悪魔封じのお札を貼ろうとしたが、子供とは思えない強い力で払いのける。
シャーロット自身も驚いてマーガレットに砂時計を手放そうとしたが、魔法砂時計を握りしめた右手は固く閉じたまま動かない。
―-この道具が必要、欲しい、欲しい、欲しい、なんとしても、手に入れろ。―-
それはシャーロットの全く知らない、物欲という感情。
与えられたものを享受するだけだったシャーロットに、誰かが行動を起こせと命じる。
シャーロットが顔を上げると、マーガレットは太い眉を吊り上げて怒った顔で、エレナは光の無い漆黒の瞳で見つめている。
それでも、中の人は欲しい欲しいと叫んでいた。
シャーロットは勇気を出して、マーガレットの目を見返すと声を出した。
「マーガレット先生、私にこの砂時計をください」
「何言っているの、これは王都の高級魔道具店でしか買えない、とても貴重なモノよ。いくらシャーロット様でも……ただでは渡せないわ」
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