第9話 シャーロット、お風呂に入る

 日の出とともに目覚めたシャーロットは、部屋の中に人の気配を感じる。


「おはようございますシャーロット様、朝食の準備が整いました」

「お前は昨日の召使い。どうしてこんな朝早く部屋にいるの?」


 眠気まなこを擦っていたシャーロットは、驚いて瞳を大きく見開く。

 目覚めたシャーロットのオーラは、赤黒くただれた執着の色から、清らかな聖なる泉のような美しい青紫色に変化した。

 真夜中のがさつなオッサンっぽい態度から、年齢より幼くて愛らしい仕草に変わり、エレナは思わずベッドの側に駆け寄る。


「シャーロット様、昨晩の出来事を覚えていらっしゃいますか?」

「あまりよく覚えていないけど、そういえば私、夢の中でお前と話をしたわ。それじゃあこの料理はお前が用意したのね」

「私のことはエレナとお呼びください。今日からシャーロット様を誠心誠意お世話いたします」


 エレナがシャーロットの小さな手を取ると、慌てて手を引っ込めようとする。


「お前は私に触れても平気なの、私を怖くないの?」

「それでしたら大丈夫です。私はコレなので」


 エレナは微笑みながら栗色の髪をかき上げると、人とは違う先端が細く尖った耳が見えた。


「私はエルフ族の祖先返りで、人間より寿命が長いのです。シャーロット様の呪いで寿命が少し減っても問題ありません」

「まぁ、私はエルフ族なんて、絵本の中でしか見たことないわ」

「本物のエルフ族は大昔に滅びてしまいました。今は人の混血から、ごくまれに私のようなエルフもどきが生まれるのです」


 警戒心の解けたシャーロットは、子供らしい好奇心に満ちた瞳でエレナを見つめる。

 《心眼》で魂が見えるエレナは、どんなに醜悪な魂を持っていても、この世界は地位や身分や財力が優先されると理解していた。

 神に仕える神官すら汚れた黒いオーラなのに、呪われた子供と呼ばれるシャーロットは清らかな美しいオーラを纏っている。


「今私が読んでいる本に、エルフの女王様と五人の子供が出てくるわ。素敵、エレナは五人の子供の子孫なのね」

「いいえ、私は貧しい下級騎士の家の生まれで……」


 エルフの祖先返りと言っても、少し寿命が長いだけで魔法を使えない。

 それなのに伯爵令嬢のシャーロットは、メイドのエレナを褒め称える。


「今は下級騎士でも、エレナには高貴なエルフの女王様の血が流れているわ」


 エレナは父親に仕込まれた剣術と武術の才能があり、騎士学校ではメキメキと頭角を現し将来を有望視された。

 しかし弟が謎の病を患い、その薬代を稼ぐため騎士学校をやめてメイドとして働く道を選んだ。

 勤め先では、自分より剣術が格下で性根の汚い貴族子息にあざ笑われ、虐げられても逆らえず自信も誇りも失った。

 そんなエレナに、清らかな美しいオーラを纏った高位貴族のシャーロットが、救いの言葉をかける。


「ありがとうございますシャーロット様。ですが今は先にお食事を。せっかくの温かいスープが冷めてしまいます」


 真夜中の悪魔に命じられた通りに焼いたパンを、シャーロットは美味しそうに食べた。

 食事を終えて椅子に座ったままウトウトしだしたシャーロットに、メイドのエレナは声をかける。


「シャーロット様、お休みの前にお風呂に入りましょう。ちょうどよい湯加減です」

「お風呂なんて面倒、今はとても眠たいの。きゃあっ、エレナ、何をするの!!」


 体がふわりと浮いて、優しく抱き上げられると、そのまま浴室に運ばれた。

 剣術で鍛えられた腕を持つエレナは、小柄で細身のシャーロットを軽々と抱き上げる。


「ダメよ、やめてエレナ、私に触ったら呪われてしまう」

「大丈夫ですよシャーロット様。先ほどお話したように、私にはエルフの女王の血が流れているので、呪われたりしません」


 おびえて震える身体から力が抜け、シャーロットの両目から透き通った美しい涙が零れ落ちる。

 エレナの身を案じて涙を流すシャーロットに、愛しさがこみあげた。

 シャーロットを浴室に運んで、服を脱がし湯船に入れてあげる間も、エレナを心配するように何度も見つめている。

 エレナは悪魔に頼まれた通り、柔らかい布にたっぷり石鹸をつけて、シャーロットの体をなでるように丁寧に洗う。


「うふふ、エレナ、くすぐったいよぉ」

「シャーロット様、足の爪が伸びていますね。ちょっと我慢してください」


 シャーロットの体は薄汚れていたけど、暴力を受けた痕跡はないようだと安心した。

 ひと月前の痩せ衰えたシャーロットの姿を見ていたら、きっとエレナは逆上しただろう。

 朝食でお腹を満たし、お風呂でくすぐられるように体を洗われたシャーロットは、湯船のふちに頭を持たれたまま眠ってしまう。

 エレナはシャーロットの毛先の絡まった髪をほどきながら、額に軽くキスをする。


「シャーロット様は、私の真の主あるじ。私は貴女だけに忠誠を誓いましょう」



 *



『シャロちゃんだけに忠誠を誓うって事は、あのメイド、僕をシャロちゃんの中から追い出す気満々だな』


 深夜に目覚めたシャーロットの中の人、僕の額にはお札らしきモノが貼られていた。

 それをペリッと剥がしベッドから降りようとすると、部屋の中央にベッドが移動して、床に何か魔法陣らしきモノが描かれている。


『これは本格的な魔法陣だな。でも文字が、water(水).rain(雨).cloud(雲)って、部屋の中に雨乞いの魔法陣を描いても意味ないよ』

「えっ、これは悪魔払いの魔法陣じゃないの。というか悪魔は古代文字が分かるの?」


 魔法陣の外で仁王立ちしているエレナと目が合い、チッと舌打ちする声が聞こえる。

 そんなメイドを無視して、僕はベッドから飛び降りると壁に立てかけてある姿見の前に立つ。


『うぉおおっ、なんてKAWAII、超絶美少女。さすが僕の最推しキャラ、悪ノ令嬢シャーロット!!』


 シャーロットのくすんだ金髪は綺麗に洗われ、ごわついて毛先が絡まっていた髪もほどかれて、つやつやサラサラ天使の輪が光輝いている。

 僕は美しく綺麗に磨かれたシャロちゃんの姿を、鏡に張り付いて見つめる。


『血の気が失せて青白かった頬の色つやも良くなって、唇もプルプルピンク色。かさついてひび割れた肌もしっとり瑞々しい。指も爪先まで綺麗に磨かれて足も、グエェッ!!』


 足を確認しようとネグリジェの裾をまくり上げると、エレナに背後から羽交い締めされた。


「イカガワシイ悪魔め。シャーロット様の身体をイタズラしたら、この私が許しません」

『僕は痩せこけてたシャロちゃんにまともな食事を提供して、ここまで健康体にしたんだ。メイドにとやかく文句言われる筋合いは……ん、何の音だ?』


 真夜中十二時過ぎ、空気入れ替えのため開けた窓の外から、馬の駆けるひずめの音が聞こえた。

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