じゃあ何で俺を目の敵にするんだ?

「それにしても、相変わらずぎこちない動きだね君は」

「うるっさい! 掃除の邪魔になるからあっちに行きなさいよ!」


 書斎に行こうとしたら、廊下で掃除をする美加登と出くわした。

 荒々しい手つきではたきを動かす姿は、非常に危なっかしい。

 それでもミスをしないのは、こう見えて実は彼女が器用だからなのか。


「私はアンタみたいに親に頼りきりで何不自由なく暮らせるほど余裕は無いの。どれだけ嫌な仕事でも逃げるつもりは無い」


 彼女の両親はどちらも不安定な職についており、自分自身も働かざるを得ない境遇にあるという。

 文武両道と評されるのも、相当な努力をして学費を免除される為だ。

 最初、美加登が敵意を向けてくるのはオタクだからと思っていたが、今思うと、俺は学校では割と不真面目で、高校は出席日数を守ればサボっても良いと、テストでは赤点さえとらなければ何点でもいいという思考で行動しているから、それが真面目な美加登の癇に障ったのだろう。

 でもそれで赤の他人に怒りを向けるのは筋違いだと思う。

 それに――


「別に俺だって親に頼りきりって訳じゃない……」

「え?」


 と、美加登がこちらを向いた瞬間、思わぬアクシデントが起こる。

 美加登が動かしていたはたきが、偶然にも花瓶に当たり、盛大な音を建てて砕けてしまったのだ。


「ああっ!?」


 悲痛な叫び声をあげる美加登。

 こんな失敗を犯したら、最悪クビになっても文句は言えない。


「ど、どうしよう……片付けなきゃ……」

「そのまま触っちゃダメだ。怪我するぞ」


 素手で触ろうとする美加登を、咄嗟に押し止める。

 動揺して冷静さを失っているらしい。


「どうしたの二人共、今の音は?」


 そうこうしている間に、騒ぎを聞きつけた天道さんや他のメイドさん達が駆けつけてくる。


「ああ花瓶が割れて――美加登さん。まさかあなたが?」

「あ、あの……」


 美加登は顔面蒼白で答えに窮する。

 もしクビになったら生活が苦しくなるかもしれないからだ。

 仕方ないな。

 俺はおもむろに美加登の前に立つと、こう釈明した。


「いや、違うんですよ天道さん。実は俺がうっかり割っちゃった花瓶を彼女に片付けて貰っていたんです」

「なあんだそうだったの。でも危ないからちゃんと道具を使ってね」


 我ながら陳腐な嘘だったが、上手く誤魔化せたようだ。

 庇われた美加登は心底意外そうな表情で俺を見ている。

 誤解のないよう補足させて貰いたいのだが、別に彼女の為にやったのではなく、こう言った方がこの場は丸く収まるだろうし、それにこのまま辞められたら何となく後味が悪いと思っただけだ。




 それからしばらくして、美加登が俺の部屋にやって来た。

 どうやら先程のお礼を言いに来たようだ。


「あの……さ、さっきは庇ってくれてありがと」


 その恥じらうような仕草が、普段の高飛車な美加登からは考えられないくらいしおらしくて驚いた。


「別に、この程度の事でお礼を言われる筋合いは無い」


 驚く顔を見られたくなくて、俺は美加登から目を逸らしてPCを操作する。

 彼女はプライドが高い割に、嫌いな相手にも律儀に振舞う性格なのだ。


「花瓶が割れた原因は俺にもあるから、ああ言っただけだ。そんなに大した事はしてないよ」

「それと……これを機に一言謝っておきたかったの。今までアンタに酷い事言ってきたのを。本当にゴメン!」

「いや、今更そんな事言われたって……」


 深々と頭を下げる美加登に戸惑ってしまう。

 こんなに素直な彼女はついぞ見た事が無い。


「君みたいなクラスの人気者には理解できないかもしれないけどね、底辺オタクにだって人権はあるんだよ」

「私はオタクだから軽蔑してた訳じゃないわよ。ただ身だしなみとか姿勢に気をつけない人が嫌なだけ」


 ああ、なんだそういう事か。

 確かにオタクはその条件に当てはまりやすい。


「じゃあ何で俺を目の敵にするんだ?」


 自分で言うのもアレだが、俺は二つの要素のどちらにも該当しない。

 仮に該当したとしても、あれだけ罵声を浴びせるのは理不尽というものだ。


「本当に心当たりが無いの?」

「心当たり? 何のだ?」


 はて、いくら記憶を探っても思い出せない。

 ワシ最近、物忘れが激しくなったかのう?


「ホラ、二ヶ月くらい前にさ、担任の先生と話してた時に『リア充はバカばかだ』って言ってたじゃない」

「あ」


 思い出した。

 あれは新学期が始まって間もない頃、クラスで孤立している俺を心配した担任の若い女教師がこう言った。


『久野原君、いつも一人で本ばっかり読んでいるけどそれでいいの? ちょっとは周りの人達と一緒に遊んだ方がいいんじゃない?』

『いやいや、そんな事して何の得があるんですか。高校なんて所詮、卒業出来れば成績はどうでもいいんですよ。リア充が無駄にはしゃいだり必要以上に努力するのは目立ちたがりのバカだからですよ』


 確かにあんな台詞を聞いたら怒るのも無理はない。

 しかしアレは放課後、生徒が全員居なくなった後の教室で、教師と二人きりの際に言った台詞の筈。


「ていうか何で君がそれを知っているんだ? あの時は俺と先生以外、誰も居なかったんじゃあ……」

「あの日は私、アンタと一緒に日直やってたでしょ。だから遅くまで残ってて、教室に戻ろうとした時に偶々会話を聞いたの」

「そ、そうなのか……」


 割と真面目に記憶力が低下しているかもしれない。

 だが新学期の始めは他にも行事が多かったから、記憶の片隅に追いやられたのだと自己弁護してみる。


「まあとにかく『バカ』と言った事は悪かったよ。アレは言葉のあやというか、とにかく本心で言ったんじゃないんだ」


 それにしても美加登と同じ日直だったとは。

 そういえばあの頃は俺への態度も、割と普通だったような気がする。

 あれがきっかけで俺を憎むようになったのなら、今まで理不尽だと思っていた彼女の言動も、やりすぎかもしれないが理不尽とまでは言えなくなる。


「……ねえ私達、色々と誤解があったせいで今までいがみ合ってきたけど、この辺で一時休戦にしない?」


 その美加登の提案には賛成だった。

 敵対する原因が双方にあるとわかった今、復讐をする理由もなくなった。


「ああ、そうだね。君に比べたら俺のしたことは大したことなかったと思うけど、お互いさまってことで水に流してあげるよ」

「……は?」


 ところが俺の発言を聞いた途端、美加登が微妙な反応を示した。


「……あの、どちらかというとあなたの方がほんのちょっと問題があったと思うんだけど……」

「いやいや、君こそ何を言ってるんだ……」

「…………」

「…………」


 空気が凍りつき、和解ムードが一気に消失した。

 その日以降、俺達はいがみ合うことはなくなったものの、顔を合わせても素っ気ない会話しかしなくなった。

 まあ今までに比べたらマシになったと言えなくもないが。

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