視力が良いからね

「お、お帰りなさいませ……ご主人様……」

「はい、ただいま」


 帰宅するとメイド服姿の美加登が、玄関ホールで出迎えてくれた。


「……何で私がこんな事言わなきゃいけないのよ」

「だってこれも業務の一環なんだから仕方ないだろう」


 実際はこれは任意のもので、強制ではないのだが、敢えて彼女には教えていない。


「だいたい何なのよこのメイド喫茶みたいな台詞は? こんなのを毎回言わなきゃいけないの?」

「それも業務の一環だからね」

「他の人も皆やってるの?」

「業務の一環だからね」

「ご主人様呼びも?」

「業務の一環だからね」

「……キスするのも?」

「業務の一環だからね」

「嘘をつくんじゃないわよ!」

「あ」


 しまった。こんな単純な罠に引っかかるとは。


「あらあら二人共、こんな所でどうしたの?」


 その時、玄関扉が開いて、おっとりした声と共に大人びた女性が現れた。


「あ、こんにちは天道さん。今日は遅かったですね」

「こんにちはー啓之君。ちょっとお買い物に手間取っちゃって、それで遅れたの」


 この美加登に負けず劣らず美人な女性は天道響子てんどうきょうこさん。

 現役女子大生にして我が久野原家で働いているメイドさんの一人――つまり美加登の先輩にあたる人だ。


「買い物って今日はお米を買いに行ってたんですか?」

「ピンポーン正解! 良くわかったわねぇ。正解したご褒美に何でも言う事聞いてあげましょうか?」

「からかわないでくださいよ」


 とても優しい性格をしており、まさに大人の女性といった感じで、美加登とは正反対のタイプ。

 しかし……やや天然が入っているのと、怒らせるととんでもなく恐ろしいのが評価が割れる点。

 一体何がそんなに恐ろしいのかと言うと――


「まあ今回はお米は10個しか買えなかったんだけどねえ」


 説明してなかったが、天道さんは現在、一つ5㎏もする米袋を、両手に軽々と五つずつ抱えた状態で会話している。

 彼女は華奢な体格にもかかわらず、凄まじい怪力の持ち主で、本気になれば200㎏くらいの荷物は持てるという。

 オリンピック選手並みである。


「あのー……天道さん?」


 美加登が天道さんに声をかける。

 先輩という事もあって、美加登は天道さんには丁寧に接する。


「なあに佐津姫ちゃん?」

「さっき『啓之君』って呼んでましたけど、ご主人様じゃなくてもいいんですか?」


 ギクッ。


「まあ、そんな決まり無いわよ。確かにマニュアルにはそうあるけど、あれただの冗談だから。啓之君から聞いてなかった?」

「……ハ?」

「あ、そうだ。用事を思い出したから俺はそろそろ失礼するね」


 と、そそくさと逃げようとする俺だが――


「ちょっと待ちなさいよ」


 だめだ、にげられない!

 気づくと物凄い形相をした美加登が、ワナワナと怒りに身を震わせてこちらを睨んでいた。

 そのまま超サ○ヤ人にでもなりそうな勢い。


「やっぱり騙していたのね! この大嘘つき!」

「嘘つきだなんて人聞きの悪い。ただ言いそびれただけじゃないか」

「屁理屈言ってんじゃないわよ! 騙していた事実に変わりはないじゃない!本当に性格が悪いわね!」

「君には負けるよ」

「何ですってぇ!」

「あらあら二人共、本当に仲が良いのねえ」


 横から天道さんが口を挟む。


「「どこがですか!?」」

そーゆー二人で声を揃えるところが」


 天道さんは重度の恋愛厨で、他人の色恋話に目がない性格なのだ。

 美加登は「フン!」と鼻を鳴らして去って行く。


「啓之君。あんまり佐津姫ちゃんに意地悪しちゃダメよ?」

「意地悪って……元はと言えば向こうが――」

「たーだーゆーきー君?」

「……はいすいません」


 天道さんを怒らせるのが怖くて、大人しく頭を下げる。


「で、でも学校では俺なんかより、彼女の方がよっぽど意地悪なんですよ」

「そう? 本当に啓之君の事が嫌いならここで働いたりするかしら。彼女って他のメイドさんより仕事熱心で、全く手を抜かずに家中を隈なく掃除するのよ」

「そりゃ天道さんの前では猫被っているだけですよ」

「しかもこの前なんて、啓之君が学校の授業で汚した体操着、洗濯機じゃ中々落ちなかったから手洗いまでして綺麗にしてたのよ。啓之君が嫌いだったらこんな事しないと思うけど」

「……え」


 それは知らなかった。

 いや、だが俺は汚いと思っていて、念を入れて洗っているだけかもしれない。

 うん、美加登の性格を考えるとその可能性の方が高い。


「そ・れ・に……啓之君だって佐津姫ちゃんの事嫌いな訳じゃないんでしょう?」


 天道さんが意味深な微笑を見せる。


「どういう意味ですか?」

「啓之君のお母さんに聞いたんだけど、佐津姫ちゃんのお給料をもっと上げるよう頼んだそうじゃない」

「あっ! いや、それは……ホラ、彼女って家が貧しくて苦労しているそうじゃないですか。だから……その……」


 ただちょっと気の毒に思ってやっただけだ。

 あと少々仕返しをやり過ぎてしまった感があったので、その帳尻合わせ的な理由でだ。


「フフフ……そうかしらねえ。まあとにかく、お互い仲良くしましょうねっ!」


 天道さんは俺の主張を全く信じてくれない様子。

 というか何故この人はそれを知っているんだ?

 母には秘密にするよう言っておいた筈だが……。




「ねえ」


 自室で読書をしていたらノックの音がして、美加登が入ってきた。


「アンタ制服の第一ボタンが取れかけていたでしょ? 繕ってあげるから寄こしなさい」


 メイドのクセに偉そうな物言いだな。

 けれど、それ以上に自分からそんな事を言いだしたのが意外だった。

 それに――


「よくボタンが取れかけているって気づいたね」

「視力が良いからね」


 微妙に説明になっていない気がする。いくら視力が良くてもこんな小さいのに気づくだろうか。

 じっくり見てるならともかく。


「……その……ありがとう」

「ん? 何が?」

「……給料上げるよう頼んでくれたんでしょ?」

「――ッ!?」


 げ……聞かれていたのか……。

 迂闊だった。

 心なしか美加登の顔がほんの少し紅潮している気がする。

 恨まれる事はあっても、お礼を言われたのはこれが初めてで、何と返事すれば良いのかわからない。

 不意に天道さんの言葉が思い浮かぶ。


『啓之君が嫌いだったらこんな事しないと思うけど』


 でも本当にそんな事があり得るのだろうか?




 数分後、繕い終えた制服を持って、美加登が戻って来た。


「はい終わったわよ」

「どうもありがとう」

「じゃあこれで」

「ああちょっと待って」


 美加登が立ち去ろうとする前に、俺は戸棚からある物を取り出して彼女の方に持って行った。


「何よ?」

「見てわかんない? 絆創膏だよ」


 多くの人がその名前を聞いて真っ先に思い浮かべる、最もメジャーなタイプのものである。


「君、右手の人差し指に怪我をしているだろう? これ貼っておいた方がいいよ。ばい菌が入るといけないから」


 恐らくボタンをつけ直している時に針で刺したのだろう、指の第一関節の部分に赤い傷がある。

 指摘された美加登は大きく目を見開いて、驚いた素振りを見せる。


「アンタ良く気づいたわね」

「視力が良いからね」

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