LIFE

古森 遊

~LIFE~

 二十年以上前の、夏の暑い日だった。

 私はまだ小さかった子どもたちのために、庭にビニールプールをこしらえた。


 集合住宅の両隣の子ども合わせて4~5人、キャッキャという楽しげな声が庭に響いて(そろそろ一度子どもたちをプールから上がらせようか)と考えていた時のことだ。

一人だけ先にプールから上がった子が「なんか落ちてる!」と叫んだ。


 子どもの元へ近寄ってみると、その子の足元に黒っぽい塊りが二つ落ちていた。よくよく見てみると、それは蟻に集られた二羽の雀のヒナだった。しかも一羽はすでに息絶えていて、もう一羽も炎天下で蟻に集られ虫の息。


 プールに入っていた子どもたちも、わぁ~っと一気にヒナの周りに集まってきた。

「こんなところにどうして落ちてるんだろう?」

「飛べないのに、どっから来たの?」

「死んじゃってるの?」

「こっちも死んじゃうの?」

「お水で洗ってあげる?」

 今にもヒナにつかみかかりそうな子どもたちに「とりあえず、日陰においてあげようね」と、ティッシュごしに生きている方のヒナをつかみ物干し場の日陰へとそっとおろしてみた。

体についていた蟻は落としてやったが、この炎天下でどのくらいの時間あそこにいたのか、このヒナが助かるとは到底思えなかった。

それにここは賃貸で、小鳥のような小動物はわからないが、基本的にペットはお断りだった気がする。飼えないし、死にかけの小鳥を元気にする方法なんて思いつかなかった。


 まだ幼い子どもたちに、生き物の死んでいく姿を見せたくなくて、私は嘘をついた。

「うるさくすると小鳥ちゃんがびっくりするから、みんなはあっちに行ってようか?」

 そう言って子どもたちを庭のプールに再び向かわせると、私は一人ヒナを持って家の中に入った。

小さめの段ボールの空き箱を探し、その中にティッシュを敷きヒナをそっと置いた。水を含ませたテッシュでくちばしを拭いて、数滴口の中にも入れてやる。ヒナはぐったりとしてほとんど動かない。

(明日の朝には死んでいるだろうから、子どもの目に触れさせないうちに、早起きして庭にでも埋めるかな)

 私はそんな風に考えながら、子どもたちのいる庭へ戻っていった。



 しかし、翌朝、意外なことにまだヒナは生きていた。

というか、すっかり元気になっていた。


 子どもたちは大喜びだ。仕方なく、お湯で柔らかくしたご飯を一粒ずつ割りばしでつまんでヒナの口元に運んでやる。ものすごい勢いで食べ始めたヒナに、これはどうにかしなければまずいな、と考え始めていた。

今とは違い、スマホやケータイ、パソコンが各家庭に普及していない頃のことだ。私は電話帳で獣医の電話番号を調べ、雀のヒナを拾ってしまったことを話し、そちらの医院で保護してもらえないか聞いてみた。


「引き取りは……ちょっとやっていないんです。2週間か3週間くらい世話してあげられれば、飛べるようになって巣立つと思うんですが」

「そうですか……エサとかどんなものをあげたら良いんでしょうか?」

「ペットコーナーのあるホームセンターに行って、ワームとか買ってきてもらえれば」

「ワームですか?」

「ええ、多分それで大丈夫ですよ。ただ、野生の雀のヒナはほとんど人の手からエサを食べないので、死んでしまうことの方が多いんですよね。本当は親鳥が近くで見ているはずなんで、保護せずにそのままにしておけば、親が拾って巣に帰れる可能性が高いんです」

「そうですか。でも、すでに一羽死んでいたので、その可能性は低いと思うんです。それにエサをすごい勢いで食べてます」

「それならそのまま世話してやれば、巣立ちの時期がくれば飛び立つと思いますよ」



 そんな風になんとなく引き取り拒否されつつ世話の仕方を教えてもらい、私は不本意ながらヒナの世話をすることになったのだった。

 当時、子どもたちは夜泣きの時期も過ぎ、ちょっと楽になり始めていたということもあり、私は三番目の子供として、ヒナの世話を焼き始めた。

拾った時は、不気味な見た目にドン引きしていたが、やはり世話をするうちに情が芽生え、いつしかヒナの世話をすることは、私の日常の中の楽しみの一つになってきた。

ワームを初めて買いに行ったときには、その姿を見て、正直(無理!絶対無理!)と思ったが、慣れてしまえば何ということも無く、少しでも活きが良いワームを選んでヒナに差し出すようになっていた。


 ヒナと言っても、その体に羽毛らしきものは何もない。羽が生えると思われる部位には、細いストロー状のものがいくつもついていた。これなんだろう?と子どもが触ったりしていたが、一週間もしないうちに、そこから羽が出始めた。あっという間に、ヒナはふわふわのヒナらしい姿になった。

 そうなるともう我が家のアイドルである。名前もついた。ごくごく単純にピーちゃん。ピーちゃんが鳴いた、歩いた、羽を動かした、エサをもぐもぐ食べた。小さな仕草がいちいち嬉しくて子どもたちと笑いあった。


 ピーちゃんは命強い個体だったらしく、エサをモリモリ食べてどんどん成長していった。

子どもが夜泣きをしなくなり、しっかり睡眠時間を取れるようになっていた私を、ピーちゃんは朝5時には鳴き声で起こしてくれた。

「腹減った~!腹減った~!」と言わんばかりの鳴き声に、寝ぼけ眼でダンボール箱に向かい、ワームを割りばしでつまんで与える。きつかったが、それでもピーちゃんの成長は嬉しかった。2~3週間の期限付きというのもあり、あまりイライラせずに楽しく飼育した思い出しかない。


 ただ、一つだけ、最初に発見した時に、おそらく屋根裏から落ちたのではないか?と推測していたが、ピーちゃんは片足が折れていた。それは成長しても治ることが無かった。野生動物にとって、片足が不自由だということが、生きていくうえでどれほど不利なことになるか……私は子どもたちに話せなかった。とはいえ、片足は不自由だったが、飛び跳ねるように歩く分には、あまり支障は無いようだった。


 やがてピーちゃんは少しづつだが飛べるようになってきた。


 子どもたちと一緒に、ピーちゃんの飛行練習に付き合う。ブロック塀を飛び越えて、隣家の庭に飛んでいってしまった時には、子どもたちと一緒に必死になって(隣家に断りを入れてから)庭を探しまわった。

そうして、繰り返しいなくなるピーちゃんを見つけるたびに、安堵するような寂しいような気持になった。


 いずれ、手の届かない場所に飛んで行くのだ


 いつまでも飼育していくわけにはいかない


 いずれ放してやらなければいけない日がくるんだろう



そんな風にゆっくり気持ちの準備をしようとしていた矢先、旅立ちの日はいきなりやってきた。


 その日、ピーちゃんは物干し場の柱につけた巣箱の中にいた。飛べるようになってからは、家の中でのみ飼い続けることは難しくなっていて、昼間はその巣箱がピーちゃんの居場所だっだ。


 ふと物干し場を見ると、成鳥の雀がピーちゃんの巣箱の前で羽ばたいている。ホバリングしているように見えた。

(何やってるんだろう?)

そう思った次の瞬間、勢いよくピーちゃんが巣箱の中から飛び出してきた。


あ、親鳥が迎えにきてたんだ。


直感でそう思った。そして二羽の雀は庭の柵をあっさり越えて、そのまま飛んでいってしまったのだ。子どもたちと必死になってさがしたが、それきりピーちゃんは見つからなかった。

「お母さんが迎えに来たんだよ」そういって聞かせると、子どもたちは残念そうな顔をしながらも納得したようだった。


 拾ってから2週間以上が経っていたのに、親鳥がピーちゃんのことをちゃんと見ていたことにも驚いたし、そこまで子を思う親心に感動もした。



 そして、そのあとまさしく私は「空の巣症候群」になってしまった。


 ピーちゃんは自力でエサを捕ったことが無かった。それに片足が曲がったままだ。野生の世界で生きられるのか?

ピーちゃんが戻ってくる夢を何度か見た。そんな日は空になった巣箱の中を覗き込んで、ため息をついた。


 が、やがて日々の生活に追われ、ピーちゃんのことはたまに思い出す程度の存在になっていった。




 そして先日、久しぶりにその当時に住んでいた地域へ出かける用事があった。


 子どもの成長とともに家を建て、引っ越してから一度も訪れたことが無かったので、懐かしい気持ちに浸るかと思ったが、あまりの変わりように愕然としてしまった。

田んぼに囲れて自然を満喫できる環境だった場所が、新たに幹線道路が通って、住んでいたあたりは大規模なショッピングモールの駐車場になっていた。


「すっかり変っちゃったねぇ」と驚く娘と一緒に、しばらくその駐車場に車を止め、外を眺めていた。


 その時、一羽の雀が目の前に降りてきた。客がこぼしたお菓子か何かのカスをつついている。私の脳裏に、一瞬でピーちゃんのことが蘇ってきた。


「あれ、ピーちゃんじゃないよね!?」


 なぜそんな馬鹿なことを口走ったかといえば、その雀の片足が曲がっていたからだ。

一瞬駆け寄ろうとしたが、雀は曲げていた足を伸ばすと、ちょちょんと弾むように歩いて飛び立ってしまった。


 雀って何年生きるんだろう?


 あれから何年経ってる?


 冷静に考えれば、ピーちゃんが今も生きている可能性はほぼゼロに等しかった。


 そうなのだ。あの夏の日、ほんのわずかな期間、私が育てた命はもういない。

 

 賑やかで目新しいショッピングモールの景色が、急に色褪せて見えた。





「お母さん、早く早く!」


 もうすぐ私にとっての初孫を産む娘が、手を引く。


 ベビー服のセールに向かううちに、いつしか私の頭の中は初孫のことでいっぱいになり、新しい命の息吹で再び賑やかに彩られていった。



~LIFE~ 完












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