第29話 混乱ちう☆なんでここに⁈


「──どうしたのー? すごい音が聞こえてきたけど、何かあったー?」



 ツカサの部屋の扉の外。

 ツカサのお母さんの声が聞こえてくる。



「な、なんでもないで──」



 ──するり。

 ツカサの力が一瞬緩む。

 私はその隙をつくと、大急ぎで拘束から抜け出した。



「な、なんでもないでーす!」



 私はツカサのお母さんに向けてそう言うと、「りょうかーい」とだけ声が返ってきた。


 私は、未だ仰向けのまま寝転がっているツカサから距離をとると、自分の胸に手をあてた。

 ドクンドクン──

 心臓が強く脈打っているのがわかる。

『アネさん、ウチ、本気っスから』

 なぜかイケメン化した顔で脳内再生される、ツカサのさっきのヒトコト。

 ツカサの声が、熱を帯びた目が、頭の中で何度も再生される。

 ほほほほ……本気? ……な、わけないよね。

 たぶん、久しぶりに会えたからツカサも舞い上がってるだけ。色々な感情がごちゃ混ぜになって、ああいう事言っちゃったんだろう。あるある。

 ……あるのか?



「あっと……ツカサ? さっきから全然動いてないけど大丈夫?」


「………………」



 返事はない。

 やり過ぎてしまったと後悔しているのだろうか、それとも私が拒絶したから気まずくなって──



「つ、ツカサ? あの、いきなりこういうのはビックリする……から、次からは事前に断ってから、事に及んでもらったほうが、こ、心の準備とか出来て、色々と助かるかな……って、ワケでもないんだけど! いや、そもそも色々とおかしいわけで……」



 何が言いたいんだ。顔もめっちゃ熱いし、頭もぐちゃぐちゃになってる。

 整理しなきゃ。整理しなきゃ。



「あのー……そのー……つまりね、私が最初に言いたいのは……、べ、別に嫌じゃないよ? ツカサの事は嫌いじゃないけど、たぶんね、ツカサはいま不良してて、番も張ってて、だからあまり異性の事を見てあげられてないんじゃないかって思ってるの。異性の事をよく知らない、そんな経験も機会もないから、昔、私に憧れてた感情を好きだと勘違いしてるんだと思う。だから、だからね、もうちょっといろいろ経験して、男の人の事を良く知った上で、それでも私の事を好きでいてくれるなら、その時は私もちゃんと考えて……って、ツカサ?」



 ピクリとも動かない。

 死んだ? 出血多量で?

 うっそだー。そんなことがあるワケ……え、ないよね?

 私はおそるおそるツカサに近づき、顔を覗き込むと──



「くかー……くかー……すぴー……」


「って、寝てんのかーい!」



 私は気持ちよく寝ているツカサの額をぺしん! と叩くと、へなへなとその場にへたり込んだ。というか、腰が抜けて、足に力が入らなくなってしまった。



「なんだよー。無駄にドキドキして損したー。ほんと心臓に悪いわー……」



 今度こそ完全に酔いが覚めた。

 そして、今頃になって、この部屋がかなり芳醇な清酒の匂いに包まれてる事に気がついた。

 そりゃこんだけ酒飲んでたら、部屋が酒臭くなるのも仕方ないわ。それに、お酒に慣れてないツカサなら、この酒気で酔ってしまっても仕方ない。だから、さっきのも、たぶん酔っての行動だったのだろう。


 私は深い、深い、ため息をつくと、気持ちよく寝ているツカサをベッドまで運び、酒のカップやら鼻血やら、とにかく全部片づけて、ツカサのお母さんに挨拶して帰宅した。

 ツカサのお母さんからは『遅いから泊まっていっていいのに』と言われたが、今日の所は私がツカサを意識しすぎて無理そうだったから、お母さんには適当な理由をつけて断っておいた。


 こうして私は、大量の、空の酒カップが入った袋を担ぎながら帰路へと就いたのだった。



 ◇



 がちゃんがちゃん。がちゃんがちゃん。がちゃんがちゃん。

 私が一歩踏み出すたびに、体がすこし揺れるたびに、背負っている酒のカップがこすれ合い、不協和音を奏でる。



「──やっとついた」



 私の目の前には、懐かしの我が1Kマンションアパートメント。何とも言えない、ほんのり赤色の屋根が心に染みる。

 何だよ、倒壊したって聞いてたけど無事じゃん。


 ここにくるまで〝空のワンカップを背負って歩く怪物〟として変な目で見られたけど、そんな事など、もうどうでいいのだ。

 なぜならこうして帰って来れたから!

 今すぐ手に持っているワンカップの山を投げ捨てて、懐かしのマイホームに駆け込みたいけど、そんなことはしません。良識、持ってるからね。私は袋を背負い直すと、止めていた歩を進めた。


 カンカン。カンカン。

 心なしか足取りが軽くなった私は、軽やかなステップで、マンションアパートの錆びた鉄階段を駆け上がる。


 ──嗚呼、懐かしい。

 S.A.M.T.から支給された、やっすいゴム底の運動靴を履いているのに、この階段ってば、すっごいカンカン耳障りな音をたててる!

 なんて懐かしいのだろう!

 夜寝ている時、誰かがこの階段を昇り降りするたび、枕の下に頭を突っ込んでいたのが懐かしい。


 ──やがて私は自分の家の扉の前に辿り着くと……ある違和感に気が付いた。



「……あれ?」



 なんか、誰かいない?

 べつに中から音が聞こえてくるわけじゃないし、明かりがついているわけでもないのだけれど、けど、なんというか、私の家の中から、何者かの〝気配〟がする。

 誰?

 もしかして、何か月も家賃を滞納してたから、勝手に引き払われたとか?

 いやいや、それはないな。

 こんなしょぼい1Kのアパートに好んで住む人間なんているはずがない。それに、一階にはまだ空き家があったし、そもそも、あんなにお金大好きだった大家さんが、その大切な収入源である私を、追い出すわけがない。

 じゃあ、誰だ?

 お母さん……なワケないから、あ、もしかしてひろみかな?

 どっか行ったってお母さん言ってたけど……、なるほど、こっちのほうに移ってきたのか。


 ──ピンポーン!

 私はとりあえず、インターホンを押した。時間はちょっと遅いけど、私になんの断りもなく、この家に転がり込んでるほうが悪い。叩き起こされても文句は言えまい。



『はーい』



 応答したのは、ひろみとは似ても似つかぬ声。

 声変わりしたのかな、と一瞬思ったけど、どこの世界に声変わりして高くなる人間がいるんだ。

 そう、応答したのは完全に女の声。もしかしてひろみのヤツ、スケ連れ込んでるのか?

 なんということだ。

 田舎に両親とぼけ老人と、アントニオを残して、都会でスケとよろしくやってるなんて。これは一言、キツく言ってやらないと──



『──もしもーし、どなたですのー? 応答してくださるかしらー?』



 ……あれ?

 ちょちょちょ、ちょっと待って!

 私、この声に聞き覚えがある、というか、昼間にこの声の主と会話した気がするんだけど、なんでそいつがここにいるんだ。

 私はパクパクと口を開閉させると、なんとか声を捻出した。



「あの、間違ってたらごめんなさい。あなたもしかして……レンジ?」

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