第30話 ごくり☆インベーダーの味覚


『あら、もしかしてあなた、玄関にいるあなた、キューティブロッサムかしら?』



 間違いない。

 このやりとり、この口調、この声、そのすべてが、この家にミス・ストレンジ・シィムレスが居ることを示唆している。

 色々と疑問に思うし、色々と問い質したいけど、まずは言いたい事がある。



「なんだおまえ」


『うおンーっほっほっほ! あらあら、随分な物言いですわね、キューティブロッサム。いきなりあたくしの家・・・・・・に押し入って、〝なんだおまえ〟だなんて……、わがライバルながらなんという──』



 プツ、と急に通話が切れ、部屋の中から「遠慮のなさ。あたくし、あなたの事がすこし嫌いになりましてよ!」と聞こえてきた。

 おそらく、インターホンの通話限界時間を越えてしまったのだろう。それに気づいたのか、部屋の中から「あ、あら? 切れてしまいましたの?」とレンジの戸惑うような声が聞こえてきた。

 完全に部屋に入るタイミングを見失ってしまった私は、ぷるぷると震える指でもう一度インターホンを押した。


 ──ピー……ンポーン……。



『あら、もしかしてあなた、玄関にいるあなた、キューティブロッサムかしら?』


「……いや、なに仕切り直そうとしてるんですか」


『ま、まだそこにいらしたのですね』


「いつまでもいますよ」


『あたくし、これからお風呂に入って寝ようとしていましたので、そろそろご遠慮いただきたいのですけど』


「ご遠慮も何も、ここ、私の家なんですけど」


『な、なにを!? ……あなた、恥知らずにも程がありましてよ!? あたくしは、あたくしがセコセコと貯めたお金を、対価として、ここの大家様へ支払い、このお部屋に住まわせていただいているのです。それをよくもぬけぬけと……! 表に出なさい! 今度こそ決着をつけて差し上げますわ!』


「上等ですよ! てか、ここもう表ですけど!」


『そ、そうでしたわね。……少々お待ちなさい、いま全裸ですので』


「ほんとにお風呂に入る前だったんですね……」


『首を洗って待ってなさいな!』



 それだけ言って、急に通話が着られる。

 ガサゴソ。ガサゴソ。

 ドタバタ。ドタバタ。

 急いで準備をしてくれているんだろうけど、なんというか、物凄くマヌケに見える。



「──うるっせーぞ! このヤロウ! 何時だと思ってんだ!」



 隣の家から、男性の怒号と壁ドンの音が聞こえてくる。

 あー……そういえば、私が住んでた時からいたっけ、この人。なんにせよ、生きててよかった。私が変なところで安心していると、「あら、ごめんあそばせ」という上品な声が聞こえてきた。

 もはや緊張感もくそもない。

 ──ガチャ。

 ようやく着替えが終わったのか、扉がゆっくりと開き、中からレンジが姿を現した。……けど、そこにいたのは、私と同じような芋ジャージを着て、便所サンダルを履いたレンジの姿だった。レンジは忌々しそうな目で私を見ると、くるりと体を反転し、家の扉をしっかりと施錠した。



「あら? ……何を担いでらっしゃるのかしら?」



 呆気にとられていた私に、レンジが質問を投げかけてきた。



「昼ぶりに会って、第一声がそれですか……酒ですよ、お酒」


「お酒……ま、まさか、この国の昔話のように、あたくしを酔わせてから、その隙をついてたおす気ですのね!? なんて卑怯な……! 見損ないましたわ! この、キューティブロッサム!」


「それ悪口になってないけど、妙にこの国の文化に詳しいな……。いや、このお酒はツカサの家で色々あって……、それに全部空ですよ」



 私は背負っていた袋を下に降ろすと、レンジに開けて見せた。



「あらほんと。……廃品回収でもやってらっしゃるの?」


「やってません! ……てか、何でここに居るんですか。ここ、私の家なんですけど」


「あら、まだほざくおつもり!? この、キューティブロッサム!」


「だから、それべつに悪口じゃ……いや、悪口として言ってるんだと思ったら、急に腹立ってきたな……」


「うふふ……、でしたらここで! 決着をつけさせてあげても構いませんことよ!」



 レンジはそう言うと、手のひらを上に向け、パキパキと指を鳴らした。



「ふん、元よりそのつもりですよ。勝手に人の家に上がり、居座ったツケ、その身で払わせてやりますよ。ついでにその綺麗な顔を、昼間のグラウンドみたいにボコボコに凹ましてやりま──」


「──だァらァァァァァ! おめェらァ! 何時だと思ってんだ! こんボケがァ!!」



 ──バシィーン!!

 隣の家の扉から大きな音が鳴る。おそらくそこの住人が、扉を強く蹴ったのだろう。



「……ここでは近隣の方々の迷惑になります。場所を変えましょう。ついてきなさい、キューティブロッサム」


「あ、はい……」



 レンジはそう言うと、カポカポと音をたてながら、この場から立ち去ってしまった。私は地べたに置いていた袋を背負うと、そのままレンジの後をついていった。



 ◇



 深夜のファミレスのテーブル席。

 机を挟んだ向かい側に、人類の敵であるインベーダーが、私と対面するように座っていた。街はボロボロだけど、ここのファミレスは機能しているようで、まばらではあるが、この深夜帯でも数人の客が利用していた。

 でも、なんでレンジはここをチョイスしたんだろう。私がそんな事を考えていると──



「──こちらご注文の、〝プレミアム・ラグジュアリー・ハイセンス・デリシャス・バッファロー・コーヒー〟です」



 ウエイトレス姿の女給ウェイターさんが、ごく普通に、なんの疑問も抱かずに、レンジの前にコーヒーカップを置いて、そのまま下がった。

 ……ん? それより今、なんて言ってた?



「──〝なぜ?〟という表情をしてらっしゃいますわね。なぜあの女給さんが、あたくしに対して、インベーダーに対して、恐怖もせず、疑問も抱かずにいたのか、と」


「いや、その前になんなんですか、そのバカみたいに長い名前のコーヒー」


「バカみたい……ああ、この〝フェイシャル・エステ・サロン・ホーリー・マグナム・コーヒー〟のことですの?」


「コーヒーの部分しか合ってないんですけど」


「こちらは、ここの〝ふぁみりぃれすとらん〟でよく頼んでいるコーヒーですわ」


「よく来てるんだ……」


「まさに、あたくしのような、エ~レガントな婦人に相応しい飲み物だと思いません?」


「……いや、べつに」


「──ム。では、あなたも試飲してみてはいかが? ……ふふ、あなたの事です。このコーヒーが美味しすぎて、その場で脱糞してしまうかもしれませんわね」



 ずいっと、ソーサーに置かれたコーヒーカップが私の前へ移動してくる。

 飲めと。これを。脱糞しろと。飲んで。

 誰がするか。

 けど、インベーダーの味覚にも興味はある。

 私は興味なさそうなフリをしながら、差し出されたコーヒーを見た。


 一見すると、普通のコーヒーにしか見えないけど、リバース・ジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックス・ホールド・コーヒー……みたいな名前が付いてるからには、やっぱりすごいのだろう。何がとは知らないけど。

 さっきも言ったように、ぶっちゃけ興味はある。けど、ちょっとコワイってのもある。

 魔法少女になって、半インベーダーと化して、恐怖心を感じなくなっていたはずなのに、こうして私が恐怖しているという事は、結構やばいのでは?

 でもこうやって提供しているという事は、普通に飲めるということで……。



「あら、臆しているのですか? キューティブロッサムともあろう魔法少女が? これはお笑いですわね。おほほのほ!!」


「──ム。……ふっ、いいでしょう。飲んでやりますとも」



 私はカップの持ち手にズボッと人差し指をツッコむと、そのまま口の高さまで持ち上げ、グイっと一気に飲み干した。

 鼻から抜ける香り。舌を刺激する苦み。飲み終わった後の充足感。

 こ、この味は……!



「ふふ、そんなにみっともなくがっついて……いかがかしら? その……えーっと、クソ長ぇ名前のコーヒーは?」


「名前言うの諦めてるじゃないですか」


「諦めてはおりません。時間を短縮したまでです。それで、お味は?」


「あ……うん、このコーヒー……なんというか……」


「ワクワク、ドキドキ……ですわ」


「普通ですね」


「ガビーン! ……ですわ」


「……普通にスーパーで、五百グラム入り六百円くらいで売ってそうな味でした」


「な、なんてこと!? 庶民にはこの……スーパーコーヒーの味がわからないなんて!」


「スーパーコーヒーって……。せめて頼んだからには名前は覚えましょうよ」


「ショックで名前がすべてトンでしまいましたわ……」


「はいはい……じゃあ、本題に移りますけど──」



 ──ピンポーン。

 レンジは何食わぬ顔で、テーブルに備え付けられていたベルを押した。



「……なにやってんですか」


「あなたがあたくしのコーヒーを飲んだから、追加で注文するだけですわ」


「いや、敵同士なんですから、せめてもっと緊張感とか……いや、二人揃ってこんなところに来てる時点であれでしたね……」


「……あ、さっきのコーヒーひとつお願いしますの」


「いや、聞けよ!」


「──はい、ご注文を繰り返させていただきます。えっと……チッ、クソなげぇな……」



 ウェイターは商品名を繰り返すことなく、舌打ちをして下がっていった。



「いや、商品名変えてもらえよ!」

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