第4話 ムキムキ☆力の目覚め ※残酷描写有


「ふ、ふざけやがって……! よりによって金的って……おい、大丈夫か!? おい!?」


 意外にも野球帽の男は、悶絶しているフードの男に駆け寄った。


 謎に仲間意識だけはあるんだな、こいつら。

 ……いや、そんなことよりも、今のうちに逃げなきゃ。


 だが、その意思に反し、私は尻から地面にへたり込み、仰向けに倒れてしまった。

 すでに刺された箇所の痛みはなく、全身から文字通り血の気が引いていく感覚に襲われる。刺された箇所から空気が抜け、風船のようにしぼんでいくようだ。

 暗くてよくわからなかったが、私が思っていた以上に、私は血を流していたようだ。


 逃げなきゃ。

 寒い。

 逃げなきゃ。

 怖い。

 逃げなきゃ。

 ──死にたくない。


 体が、意識が、感覚が、段々と流砂の渦に飲まれていくように、ゆっくりと沈んでいく。


「よ、よくも……よくもやってくれたな……この……クソアマ……!」


 死にかけの私に声をかけてきたのはフードだった。

 あんなに強く股間を蹴り上げたのに、もう元気そうに私を睨みつけている。


「こ、殺してやる……殺して、切り刻んで、内臓を撒き散らして、カラスどもの餌にしてやるよ……!」


 フードの逆手に持っていた光り物ナイフがギラリと妖しく光る。


 嗚呼、あれで私はブスッといかれるのだろう。

 こんなところで、こんなしょうもないことで終わってしまうのか、私の人生は。


「まぁ……もう……どうでも……い……か……」

 もはや抵抗する気力すら失せた私は、そのままゆっくりと目を瞑った。


 ……。

 ………………。

 …………………………あれ?


 待てど暮らせど、衝撃や痛みが来る気配はない。

 もしや苦しむ間もなく、痛みを感じる猶予もなく、私は絶命してしまったのだろうか。


 それならそれでいいのだが……なんだろう。

 不思議と、さきほどまで感じていたはずの寒さを感じなくなっている。

 それどころか、まるで日向の中で微睡まどろんでいるように温かく、心地が良い。


 まさか……そうか、なるほど。

 噂には聞いていたが、ここが天国というところなのだろう。

 信じる者は救われると聞いたことがあるが、まさか碌に信じていなかった者すら天国へ行けるとは思わなんだ。


 おお、神よ。天にまします我らの父よ。

 これからは絶対、人が多いからなどと面倒くさがらず、大晦日の年越し前にはきちんとお参りさせていただきます。……最悪、三が日が終わるまでには必ずお参りします。


「って……もう死んでるのにお参りなんて――」


 私はそんな呑気なことを考えながらゆっくりと目を開けると、フードが今、まさに、私めがけ光り物ナイフを振りおろしていた。


 なぜ、なんで、どうやって。

 私の頭の中が一瞬にして疑問符に満たされた。


 さっきまでのアレ・・は一体何だったのか。

 走馬灯? 神の悪戯? 今年お参りに行かなかった罰?


 騙された!


 ふざけるなよ、神様め。私の純情を弄んで楽しいか。

 天国から地獄へと一気に突き落とされた感じだ。


 もはや何も信じられない。

 私はとっさに両手を前へ突き出して、防御の態勢をとった。


〝ドン!〟


 手のひらに衝撃。


 ぐえー! こんどこそ刺されたー! 

 ……と思ったが、なぜか痛くもかゆくもない。


 不思議に思い、おそるおそる目を開けてみると、フードの姿が忽然と消えていた。


 どこへ行ったのだろう。

 まだ私は夢を見ているのだろうか。

 そういえば刺された痛みも、体から力が抜けていく感じも今はない。


 なんだ、やはりここは天国だったのか。

 ……なんて、無邪気にそう思いたいが、何度見回してもさっきの公園だ。


 試しに立ち上がってみる。

 なんの負荷もなく脚に力が入り、すっくと立ち上がれる。

 次に腹部をさすってみるが、痛みはなく血も出ておらず、ただシャツにが開いているだけ。


「……穴?」


 虚を突かれた気がして、もう一度腹部を見てみる。

 今度はシャツをガバッとめくりあげてみる。

 穴は、間違いなく空いている。

 そしておびただしい量の血がバリバリに乾いている。

 ここから導き出される答えは――


「夢でも……あの世でもない……?」

「な、なに……やったんだ……おまえ……?」


 不意に野球帽に声をかけられる。


「なにって……」


 そう普通に受け答えをしている私の中からは、もうすでに恐怖心なんてものは吹き飛んでいた。


「おまえがいきなりアイツを……!」

「あいつ……?」

「あ、あそこまで突き飛ばして……!」

「あそこ……?」


 野球帽はそう言って自身の遥か後方、公園内の歩道横の茂みを指さした。

 目を凝らすと、茂みの中から薄汚れたスニーカーが覗いている。


「あれって……私が? ……いや、それよりもなんで私、こんな暗がりでも視えて――」

「それで……それで……おまえ……おまえ、なんなんだよッ!?」

「いや、それは私が逆に訊きたい事で――」

「おまえ、何したんだよッ!?」


 野球帽は完全に錯乱していた。

 声も裏返っており、全身から滝のような汗を流し、私を見る目に恐怖が宿っていた。

 なぜかこうしているだけで、野球帽の状態がハッキリと見てとれる。

 まるで昼間のように……とまではいかないが、公園の頼りない光源だけでも十分える。


 それに……そう、目だけじゃない。

 なんというか、体の奥底から力が湧いてくるのを感じる。

 今なら何だって出来てしまいそうだ。


「そうか……! おまえ……覚醒したんだな……?」

「覚○剤……?」


 なんなんだ、一体さっきから何を言っているのだ、この男は。

 たしかにシ〇ブをやってそうな雰囲気はあるが……いまそれ言うことか?


「へ、へへ……や、野郎ォ……! そういうことか……!」

「いや、女なんですけど……」

「じ、上等だ! ぶっ殺してやらァァアアア!!」


 野球帽は足元に落ちていた光り物ナイフを拾うと、大きく振りかぶり、そのまま私めがけ突進してきた。


 その瞬間、私はイケる・・・と思った。


 まぁ、実際のところ何がイケるのかはよくわかっていなかったが、私は野球帽を迎え撃つべく軽く助走をつけて跳躍すると、私と野球帽、その両者が交差する瞬間、両脚ドロップキックを繰り出した。


 光り物ナイフ対人間の脚。

 その射程の差は歴然。光り物ナイフの切っ先が私の顔に届くよりも先に、私の足が男の頭部を吹っ飛ばした。


「ふ、吹っ飛ばしたぁ!?」


 あまりの出来事に、言葉が思考をなぞる。

 もうすでに野球帽ごと頭を失った体は、大量の血液をまるで噴水のように首から撒き散らしている。


「な、なんなの……これ……」


 呆気にとられる私を他所に、あろうことか取り残された体がブルブルと震え出し、私をゆっくりと指さした。


「なっ!? なんでまだ生きて――」

「い……いい気になるなよ……ニンゲン……!」

「は?」


 空耳か幻聴か。

 野球帽のほうから私に語りかけてくる。


「俺たちの仇は必ずミスストレンジシィムレス様がとってくださる……!」

「なんだその変な名前」

「その時までせいぜい震えてまっているがいい……!」

「震えてるのはおまえだろ……」


 野球帽は一方的にそれだけ言ってしまうと、自身が流した血だまりに沈んでいった。

 対する私は顎に手を当て、腰にも手を当て、思考する。


 ははーん。

 夢だな、これは。

 夢に決まっている。

 いくらなんでも、こんな事は現実に起こらない。

 起こるはずがない。起こってたまるか。

 いや、起こらないでください。


「……って、はれ……?」


 そして気が付くと、地面が目の前までせり上がって来ていた。

 ……いや、これは地面がせり上がっているのではなく、私が前のめりに倒れただけだ。


 けど、ちょうどいい、このまま眠ってしまおう。

 起きたら今度こそ課長にガツンと言ってやるのだ。

 私は目を閉じると、そのまま微睡まどろみの中へと堕ちていった。

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